[特集] 帰国隊員が社会を変える

「世界を良くしたい」と使命感を持って赴任したものの、思うように力が発揮できずに悩んだり、逆に現地の方々に助けてもらうことは多い。また価値観が大きく変わった協力隊員もいる。
昨年から続く新型コロナウイルス感染拡大の影響で一時帰国を余儀なくされた協力隊員がいたように、ときには活動を中断して帰国しなければならない事態が起こることもあるが、どんなことがあっても、任地で体験したことは大きな収穫になるはずだ。
そこで、任地での出来事が転機となり、帰国後、社会を変える活動をしている協力隊OVたちを紹介する。

(Case1) 農業を通じた町づくりで外国人との共生社会の実現へ-NPO法人自然塾寺子屋(群馬県・甘楽町)

自然塾寺子屋 集合写真
矢島亮一さんと森栄梨子さん
理事長 矢島亮一さん(写真右)/パナマ・村落開発普及員・1998年度3次隊

群馬県出身。東京農業大学卒業後、カナダで山岳ガイド、日本でホテル勤務などを経て、1999年に協力隊員としてパナマへ。帰国後、甘楽町で自然塾寺子屋の事業を始めながら、グローカルな町づくりのため、大学院に進学。甘楽町ならではの町づくりを実践中。

事務局長 森栄梨子さん(写真左)/ホンジュラス・村落開発普及員・2010年度4次隊

京都府出身。高校卒業後米国留学。帰国後、滋賀県で多文化理解教育や外国籍住民サポート事業に携わり、2011年に協力隊員としてホンジュラスへ。現地女性らが寺子屋を通じて農業研修を受けていたことから、帰国後に寺子屋の農業イベントに参加。14年から勤務。

稲作体験の交流プログラムの様子

さまざまな人種・年齢の人たちが参加した稲作体験の交流プログラム

豊かな農村地帯が広がる群馬県南西部の町、甘楽町。世界遺産「富岡製糸場」で有名な富岡市と隣接し、かつては養蚕の町としても栄えた。

その甘楽町に、「農村から世界の未来を育てる」をキャッチフレーズに掲げるNPO法人「自然塾寺子屋」(以下、寺子屋)はある。理事長を務めるのは、同県高崎市出身の協力隊OB、矢島亮一さんだ。2001年に任意団体として設立して以降、03年に特定非営利活動法人格を取得、15年に株式会社も設立しながら、途上国と甘楽富岡地域の農村をつなぎ、地域の活性化を図ってきた。

青少年育成や国際協力といった社会活動のほか、イベントスペースや町案内を併設した古民家カフェを運営。また、農林水産省、JICA、町の行政などからの委託事業として、「協力隊員に向けた技術補完研修」「農業関連で海外へ行く日本人への事前研修」「海外からの農業研修員の受け入れ」「通訳・翻訳サービス」「外国人技術者のサポート」なども行っている。

幅広い活動のなかで特徴的なのが、農業関連事業は地元専業農家に指導にあたってもらい、町をあげて地域外から来る人たちを受け入れていることだ。寺子屋が立ち上げた有志農家ネットワーク「甘楽富岡農村大学校」に所属して協力隊員や研修員に技術指導をする地元農家は、実に78軒にも及ぶ。

多くの協力隊員や海外からの研修員が寺子屋に集まることによって、人が人を呼び、移住者や新規就農者も現れるようになった。寺子屋の事務局長を務める森栄梨子さんもその一人だ。任地のホンジュラスの人たちが寺子屋で研修を受けていたことがきっかけとなり、帰国後に寺子屋のイベントに参加し、移住して働くまでになった。

「ほかにも農業を始めたOBや、養蚕を始めたOBもいて、寺子屋があることで、移住者も地域になじみやすい環境があるのだと思います」(森さん)。


本当の豊かさとは何か?

日本の農業を学びに来た海外からの研修生

日本の農業を学びに来た海外からの研修生。教えるのは甘楽町や富岡市の農家の方だ

矢島さんが寺子屋を創設するに至ったのは、村落開発普及員として活動したパナマでの経験がもとになっている。

山間部の村々を徒歩で移動し、現地調査をし、農家の方々へ農業指導をする予定だった。しかし、現地へ行ってみると日本では当たり前にある農機具や道具はなく、「自分の知る農業技術が使えないことに愕然(がくぜん)としました。山岳ガイドをしていたのでアウトドアの経験はあったものの、火の焚き付けひとつとっても、道具がないともたつきました。地元の方に教わることのほうが多かったんです」。

メールやSNSで日本やほかの協力隊員とやりとりをすることなど皆無の時代だ。孤立無援で奮闘する矢島さんを、パナマの人々は「ともに働く仲間」として受け入れた。そこには貧しいなかでも助け合い、人を思いやる心の豊かさがあったという。

若い頃は実家が農家なのが恥ずかしかった矢島さんだが、パナマの農家でともに働くうちに「本当の幸せや豊かさとは何か」を考えるようになる。

「高度成長期、田舎の次男以下の男手は都会に出てサラリーマンになりました。田舎は切り捨てられて、農家の担い手は激減しました。しかし、日本の多くは今でも農村で、地域に根差した助け合いの精神や文化や歴史が残っています。東京だけが文化の発祥地ではない、それに気づかせてくれたのが、パナマでの経験でした」。


マイノリティ経験を生かして

甘楽町で就農した協力隊OBの高野一馬さん

甘楽町で就農した高野一馬さん(写真左)も協力隊OB。派遣前の農業研修時に甘楽町の魅力にひかれ、Iターンを決意した

古民家かふぇ「信州屋」の店内

古民家かふぇ「信州屋」には、喫茶、町案内、イベントスペースがある

「日本の農業の発展・改善のプロセスを、日本の農村から海外の人に伝えていこう。地方に残る人と自然の豊かさを、日本の若者に伝えていこう」。そう考えた矢島さんは、帰国後、出身の群馬県内の農村部の自治体を回り「農業を軸にした町づくりや国際協力活動」の提案を行った。閉鎖的な農村部では、こうした提案に関心を持つ自治体はなかなか現れなかったが、唯一、理解を示してくれたのが甘楽町だった。

とはいえ、最初から甘楽富岡地域の人々が協力隊員や海外からの研修生を快く受け入れてくれたわけではない。外から来た人たちが「教えてもらう」姿勢を忘れずに、必死になって取り組む。その姿を見た地域の人たちが、一人、また一人と協力者になってくれたのだ。それこそ、協力隊時代に矢島さんが経験したように。

寺子屋では近年、日本で働く外国人技術者に向け、医療面や日本でのさまざまな手続き、職場での人間関係のトラブル対応などをサポートする「グローバル人材生活安心パック」の運営も他団体と3者でスタートさせた。

「我々協力隊員は任地でマイノリティの立場を味わっていますから、日本で働く外国人労働者の気持ちがわかります。農村が培ってきた文化を今に生かしながら、国内外からの移住者も差別なく楽しく暮らせる町、甘楽富岡地域だからできる町づくりをしていきたいと思います」(矢島さん)。

転機

パナマ共和国での協力隊員時代の矢島さん

協力隊員としてパナマ共和国へ(村落開発普及員)

【転機】村人たちと接し、助けられたことのほうが多いことに気づく。「途上国と日本の農村を連携させたい」

▶帰国後、複数の自治体にプレゼン。「農業を軸にした町づくり」を行ってきた甘楽町に受け入れられる

▶甘楽富岡農村大学校設立。この頃、大学院に進学し国際学を学ぶ

▶自然塾寺子屋を設立(2001年)。任意団体からNPO法人格取得(2003年)後、事業の一部を継承する株式会社自然塾寺子屋を設立(2015年)

一時帰国の隊員も支援

キャベツの収穫

昨年は新型コロナウイルス感染拡大により一時帰国した協力隊員を、嬬恋村のキャベツ農家に派遣するプロジェクトを企画した。外国人技能実習生の入国が止まり、人手不足に悩むキャベツ農家と、志半ばで帰国を余儀なくされた協力隊員をマッチングさせたのだ。解団式ではお互いに涙するほどの絆が生まれた。今後技能実習生が来たとき、農家の方々との関係性がさらに良好になることも期待されている。

テーマ

地域活性化、外国人との共生社会、JICA海外協力隊支援、国際交流、国際協力など

知られざるストーリー