京都府出身。大学を中退して父親が興した会社を手伝っていた時、中国の取引先工場での廃液垂れ流しに衝撃を受ける。28歳で多摩美術大学で工業デザインを学び、医療機器メーカーに就職。2012年に現職参加でフィリピンへ。帰国後は義足開発に着手し、18年インスタリム創業。
島根県出身。幼少期に義足製作で来日した、モンゴル人の少年との出会いをきっかけに義肢装具士養成校に進学し免許を取得。民間の義肢装具製作所勤務を経て、2019年に協力隊員としてウズベキスタンへ。新型コロナウイルス感染拡大のため20年3月に一時帰国。日本で任期を満了し現職。
インスタリムで義肢装具を作るために開発した3Dプリンター
「3Dプリンターで義足を作れないか?」。こう尋ねられたのは、任地のフィリピンで開設した市民工房にいたときだった。
プロダクトデザイナーとして大手医療機器メーカーに勤務し、2012年に協力隊に現職参加した德島泰さん。フィリピンの貿易産業省に配属され、地元企業でデザインの相談に乗ったり、大学でデザイン教育を行ったりした。
現地で活動を始めると、ものづくりの基本から教えるよりもデジタル機器を使った指導のほうが伝わりやすいことに気づき、JICAと合同でフィリピン初となる3Dプリンターなどを設置したデジタル市民工房を立ち上げた。
「工房で廃棄プラスチックを加工した商品づくりのプロジェクトを指導していたところ、大統領が見学に見えたのをきっかけに、多くの見学者が来るようになりました。そして複数の方から義足製作の要望を受けたんです」。
フィリピンで使用者へのヒヤリング
調べてみると、フィリピンの貧困層は米主体の糖質過多な食生活が主流で、糖尿病がまん延していた。
「お金がなくて病院に行かずに放置した結果、足を切断するほかない人も多くいました。足が腐敗して動けず、『無駄な食いぶちになるくらいなら早く死にたい』といった声も聞きました」。
これまでの職歴でソフト・ハードの開発、製造ラインの管理、会社経営とひととおりの経験があり、途上国の貧困層の方々とも接してきた德島さんは、「自分がやるしかない」と決意し、3Dプリント義足の開発に着手したのだった。
会社を辞めて、フィリピンでJICAの開発コンサルティングをしながら現地調査を行った。また慶應義塾大学の文部科学省博士課程教育リーディングプログラムに参加し、給与をもらう研究員の立場で開発を続けた。義足製作ソリューションの開発に3年を費やし、18年にインスタリムを創業。翌年ついに販売を開始した。現在フィリピンに300名以上のユーザーがいる。
さまざまな義足。左がインスタリムで開発した3Dプリント義足、中央が国際赤十字社の義足、右がインドのNGOが作った水道管パイプを使った義足
昨年職員の一人に、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて一時帰国したまま任期満了となった、義肢装具士の岩根朋也さんが加わった。志半ばで帰国した岩根さんにとっても、協力隊OBが経営する企業で、同じ理想を追い続けられることは本望だったという。
協力隊員になってから、德島さんの生活は大きく変わった。「価格が低ければ、あきらめていた人も義足が手に入るかもしれません。歩けるようになれば職に就く可能性も高まります。今後も低価格・高品質な製品を作り、貧困の連鎖を止めたい」。躍進を続けるインスタリムに、世界が注目している。
医療機器メーカー在職中に協力隊員としてフィリピンへ赴任(デザイン)
【転機】市民工房開設。廃棄プラスチックの加工プロジェクトスタート。3Dプリンターによる義足製作の要望を受け、現地調査スタート
▶帰国。前職を退職し、慶應義塾大学大学院で研究員として2つのプロジェクトを続ける
▶合同会社としてインスタリムを設立(2017年)
▶インスタリム株式会社創業(2018年)
ものづくり、DX(※デジタルトランスフォーメーション)、障害者支援、途上国支援、医療
※デジタルトランスフォーメーション…デジタル技術を活用することで社会や生活を良い方向に変化させること。