[特集] 帰国隊員が社会を変える

(Case3) 自然体験で子どもたちと持続可能な社会を目指す-NPO法人大杉谷自然学校(三重県・大台町)

NPO法人大杉谷自然学校 大西さん
大西かおりさん
校長 大西かおりさん/フィリピン・理数科教師・1995年度2次隊

三重県出身。小学生の頃に新聞で青年海外協力隊の記事を読み、協力隊への参加が将来の夢になる。三重大学卒業後、協力隊員に応募し、1995年から3年間フィリピンへ赴任。帰国後に自然学校指導者の資格を取得し、2001年に大杉谷自然学校を開校、校長に。

おおだい森のようちえんの参加者たち

未就学児と親が参加する「おおだい森のようちえん」は、年5回の自然体験プログラム。大台町教育委員会の受託事業

アユを捕まえる伝統漁法「しゃくり」の様子

アユを捕まえる伝統漁法「しゃくり」の継承を行っているところ

任地で活動するなかで、漠然とでも「自分が本当にやりたかったこと」や「心地いいと感じること」に気づけば、具体的なビジネスモデルはなくても、おのずとその方向に歩みだすことができる。故郷の三重県大杉谷地区でNPO法人大杉谷自然学校を運営し、今や地域に欠かせない存在となっている大西かおりさんもそんな一人だ。

紀伊半島にある吉野熊野国立公園。多様な自然や文化が織りなすこの国立公園の一部に、三重県・大杉谷地区はある。山あいで育った大西さんが青年海外協力隊の存在を知ったのは、小学生のときだ。途上国で井戸を造る協力隊員の記事に感銘を受け、「いつか私も」と心に誓ったという。

大学を卒業した大西さんは晴れて協力隊員となり、フィリピンの理科教師たちへ向け、実験機材の使い方や授業の進め方の指導にあたった。任期を1年延長して挑んだ3年間の活動のなかで大西さんの心に響いたものがある。それはフィリピンの地方に残る雄大な自然や、現金収入をあまり必要としない自然と共存した生き方、そこで育まれる家族や地域の深い絆だった。

「日本でも昔は当たり前だった持続可能な生き方には、文化や知恵や技術が生きています。消えゆく前に、残さなければと思いました」。

1998年に帰国した大西さんは、任地で感じた思いを仕事につなげるにはどうするべきかを考え続けた。

林業体験中の小学生たち

地域の小学校では、4年生の授業で1年間の林業体験を行う

アユをが焼け上がるのを待つ子どもたち

川遊びで手づかみして捕ったアユは塩焼きに

その頃、大杉谷地区では農業や林業に従事する人が減り、廃校になった小学校の校舎活用案が募集されていた。

「都会に住む人が増えて、子どもたちだけでなく親世代も本物の自然と触れ合う機会が減るなか、自然体験を提供する自然学校が世の中に広く認知され始めた時期でした。そこで、町に大杉谷自然学校の設立を提案したのです」。

大西さんの思いは町に受け入れられ、2001年に大杉谷自然学校が開校、体験型環境教育が始まった。

その中には、地元の高齢者を講師に招き、自然とともに暮らす日常のなかで生まれた「知恵や伝統技術」を教わるといったプログラムもある。

「この地域には、小学校に上がる頃から覚えて、70歳になる頃まで続ける伝統漁法『しゃくり』があります。アユの行動を先読みして釣り上げる漁法で、しゃくりを通して、子どもたちはアユと駆け引きする知恵、川のルール、人付き合いなどを学んできたのです」。

地元小学校では、山で木を切り、乾かし、売るといった一年を通した林業体験の授業もあるという。

「子どもたちは自然のなかで仕事をすることで、先人たちの知恵や技術を学びます。『昔の日本人のすごさ』は、これからの日本になくてはならない力です。人口減少は止められなくても、知恵や技術は子どもたちに継承し、地域の良さを残していきたいです」。

転機

教壇に立つ大西さん

新卒で協力隊員としてフィリピンへ赴任(理数科教師)

【転機】星座も埋もれるほどの星空と、家族の絆や地域の助け合い。現代の日本が急速に失いつつある大切なものに気づく

▶帰国後、故郷で社会に貢献する仕事を探していたとき廃校活用の話があり、自然学校を提案

▶任意団体として「大杉谷自然学校」を設立(2001年)

▶特定非営利活動法人設立(2007年)

テーマ

環境教育、自然環境保護と調査研究、地域支援(自然と共生する町づくり、移住促進など)

知られざるストーリー