教育機関や障害者関連施設などで支援活動を行う。
※人数は2021年8月末現在。
群馬県出身。大学卒業後、小学生から高校生までが在学する神奈川県の特別支援学校の教員として5年間勤務。途上国をバックパックで旅行するのが好きだったことと、常に新しいことをしていたいと、協力隊に応募。新型コロナウイルス感染拡大により2020年3月から12月まで一時帰国。再赴任後、21年4月に任期満了。
授業で教えた日本の歌や手遊びはベトナムの子どもたちにも大人気(中央が清水さん)
配属先はベトナム中部のフエにある障害児支援施設でした。教員や保護者の支援と、障害に合った指導計画書の作成が要請内容でした。しかし教員には専門知識がなく、授業は生徒の実態に合っていなかったり、同じ内容を繰り返し行ったりしているのが現状でした。授業をするにも教材が十分にそろっていなかったため、まずは授業環境を整えるためにペットボトルなどの廃材で作った教材を使い、私が授業をするところから始めました。
同僚との関係です。外から突然やってきた私に「これはダメ」「こうして」と言われるわけですから、やはり面白くありません。授業で生徒との距離が近づくほど、同僚との距離が離れていくのを感じました。そこで、指導や助言をするのを一切やめ、一緒に遊びに行ったり家族の話をしたりして、個人として関係を築くように心がけました。そのうち、楽しそうな生徒の反応を見て、私の授業にも興味を持ってくれるようになりました。そうしてだんだん距離が近づいてきた頃に、コロナ禍で一時帰国することになってしまいました。
帰国してからは「いつ帰ってくるの?」というメールが、毎日のように同僚たちから届きました。帰国中は、地元・群馬に暮らすベトナム人のサポートをする傍ら、教材の作り方を動画にして現地の同僚向けにSNSで発信もしました。ベトナムに再赴任したとき、みんなが動画を見ていたことを知って驚きました。一時的に離れたことで、お互いに絆を確認できたような気がします。それからは同僚へのアドバイスもしやすくなりました。以前は日本にいたときと比較して「こうあるべき」と思っていたのが、ベトナムで過ごすうちに「決まった型にはまらなくていいのだ」と、私自身の感じ方も変わっていきました。
同じ障害でも取り巻く環境が違うと、物事への反応や感情の表し方が違うことを知り、障害児教育に対する私の考え方も活動方針も大きく変わりました。赴任当初は、やろうと思っていたことと現実とのギャップに悩みましたが、自分がいいと思うことを頑張って続けていけば、きっとまわりの人に伝わると思います。