帰国後、内定までの就職活動の方法を聞きました。
佐賀県庁 県土整備部 佐賀土木事務所
事業概要:各種施策の立案・企画、県財政の管理、公共施設の管理・運営など
日髙さんが配属されたリーブルビル零細漁業支援センター(CAPAL)は、日本の水産無償資金協力により2012年に建てられた魚市場だ。しかし着任した当時、利用者はほとんどなく、日本の無償資金協力案件でワースト3に入るとまで言われていた。
CAPALの活性化は、ガボン政府、JICAにとっても大きな課題であり、日髙さんの活動も、関係省庁、JICA専門家と連携することが多かった。
活性化のため、日髙さんが取り組んだことの一つが、施設を造花で飾る美化活動や、パンフレットで魅力を伝える広報活動だ。協力隊参加前の職場で、衣料品売り場のマネジメントを担当していた経験も生きた。関係づくりから始め、従業員が率先して掃除をするようになるなど徐々に意識も変わり、仕事への意欲も高くなっていったという。
こうした経験を通じて、地域活性化、地方創生における行政の役割に関心を持つようになった日髙さんは、帰国後の就職先に佐賀県庁を選んだ。採用面接で念押しのように確されたのは、県庁で働くことの覚悟だった。
「〝県庁の仕事は堅いけれど続けられるか〟と何度も聞かれました。最初の配属先での仕事は、主に法令や工事契約を取り扱う法務・総務調整だったので、今思うと、〝確かに堅い〟と納得しました」
実際、最初のうちは、これまでやってきた経験を生かせないと葛藤もあったという。それでも、最初の2年間法務・総務調整を担当したことで、行政の仕事の基本が理解できた。
採用面接では協力隊の経験を聞かれることはなかったというが、実際に県職員として働いてみて、経験が役立っていると感じることもある。
「どんな仕事をするにも正解はないし、やり方は一つではない。いろいろな視点を持って仕事に取り組めています。それは、協力隊での経験が大きいと感じています」
CAPALで収入向上に貢献した女性たちの表彰式。この笑顔が忘れられない
リーブルビル零細漁業支援センター(CAPAL)は、水揚げした鮮魚の集約や水産物の流通体制の整備を目的に建てられた施設です。施設の運営補助と、鮮魚を販売する女性グループの収入向上が要請内容でしたが、当時は売る人も買う人もほとんどいないという状況でした。まずは、市内の市場で女性に声をかけ、CAPALで試験的に魚を売ってもらうところから活動をスタート。従業員やJICA専門家とも連携することで、最終的には1日の利用者が100人を超えるなど、成果を感じることができました。
帰国するまではアフリカで働きたいという気持ちもあったものの、迷いながらも就職しなければという気持ちから、「PARTNER」で求人を探しました。就職先の条件は、地元の九州であること、地方創生にかかわれること、腰を据えて働けることの3つ。
それでヒットしたのが、佐賀県庁でした。2年間の協力隊の活動を通じて、行政の力の重要性を感じていたので、社会人経験枠(※)で応募することを決めました。
▶「PARTNER」
3つの条件をキーワードに検索して、求人情報を探しました。
※ JICA 等における海外ボランティア活動、地域おこし協力隊等の地域貢献活動、スポーツ分野の活動等幅広い分野の様々な活動経験者を対象とした採用枠
▶提出書類
第1次試験は書類選考。アピールシートには、アピールしたい経験と、その経験を通じて得た考え方や行動の変化、さらに、その経験で培った能力を生かして、県職員として取り組みたいことを書くよう求められました。アピールシートは採用側が初めて目にする書類なので、「この人に会いたい」と相手が私に興味を持ってもらえるようにアピールしたい能力を3つに絞って箇条書きにし、論理的に記入しました。
▶内容
小論文は、「佐賀県の『強み』、『弱み』について挙げたうえで、佐賀県の今後の発展の方向性について論じる」というのがテーマでした。面接では協力隊での活動について聞かれることはあまりなく、前職の民間企業での職務内容や人間関係について聞かれたことを覚えています。
▶内容
面接
最初の10分がプレゼンテーション。テーマは「私が社会人経験で培った能力」。
面接では、「堅い仕事だけど大丈夫?」と、仕事に対する覚悟を繰り返し聞かれたことが印象に残っています。
※このページで紹介した採用方法は、日髙さんのご経験に基づいたもので、現在は採用方法が若干変更されています。
佐賀土木事務所にて、道路の審査中の様子。
入庁直後は、SAGAサンライズパーク(スポーツ複合施設)整備推進課に配属され、法務・総務調整を担当しました。まさに面接で言われた「堅い仕事」でしたが、行政の仕事の本質を教えられた濃い2年間でもありました。
当時の上司に、公務員の仕事は法律がベースにあり、そこから広がっていくと教えられましたが、その言葉の意味もよくわかりました。20年4月からは、土木事務所に配属になり、道路の管理に関する仕事をしています。県民との距離が今までよりも近くなり、県民の生活をサポートしていると実感しています。
帰国後、何をしたいのか悩んでいる人も多いと思いますが、まずは、どういう生き方をしたいのかを考えると仕事を見つけやすいのではないでしょうか。。
協力隊の経験は人生の通過点なので、それをこれから、どのように生かしていくかが大切です。協力隊を含め、自分のそれまでの経験を伝えられるようにするといいと思います。
Text=油科真弓 写真提供=日髙沙知さん