[特集] 活動や経験をどう生かす?ニッポンの伝え方

Case3 広島県出身の隊員がウズベキスタンで実現
『日本の今と昔 ~平和を祈る写真展~ 』

田口実佳さん
田口実佳さん
ウズベキスタン/保健師/2014年度4次隊

PROFILE

広島県出身。広島市役所で保健師として住民の健康診査や保健指導などを担当。2015年に現職参加で協力隊に参加しウズベキスタンへ。診療所に配属され、住民の肥満予防や子どもの歯磨き・手洗いを広める活動を行う。17年に帰国。21年に広島市役所を退職。

イベントの告知ポスター

宮島や折り鶴など、広島をイメージさせるイベントの告知ポスター

 広島県出身だからこそ実現した日本祭もある。ウズベキスタンに保健師隊員として配属された田口実佳さんが行った、原爆展『日本の今と昔~平和を祈る写真展~』だ。

「赴任した当初から、現地の人に『広島から来ました』というと、たいてい原爆のところですよねと言われました。ときどき『原爆の影響で病気や障害がある人が多いのでしょう』と言われることがあり、今も広島といえば原爆が落ちた危険な場所というイメージがあるのだと、すごく衝撃を受けて、機会があれば、原爆が落ちたときの広島と今の広島、両方を伝えたいと思っていました」

 赴任してから10カ月、活動が軌道に乗ってきたころに、そのチャンスは巡ってきた。

「同じ任地の隊員に原爆展のことを相談すると、現地の人に興味を持ってもらえるように日本祭と一緒にやったらどうだろうという話になり、8月6日の原爆投下の日に合わせて実施することにしました」

 田口さんの背中を押したのは、もう一つ。JICA中国が出発前の広島県出身の協力隊員を対象に実施する派遣前平和学習だ。

「『現地で原爆展を開催するときは必要な備品を送ります』と聞いたことも実施の動機になりました。ポスターやDVD、広島平和記念公園の『原爆の子の像』のモデルになっている佐々木禎子さんの資料などを送っていただきました。また研修で講話された方の『平和は努力しないと保ち続けることは難しい』といった話も私のなかに残っていて、原爆展こそが自分のできることだと思いました」

原爆の写真を見る大人と子ども

原爆の写真は、大人だけでなく、子どもも興味深く見てくれていた

 会場はウズベキスタンの首都、タシケントにある「平山郁夫国際文化キャラバン・サライ」。広島県出身の画家、平山郁夫氏が平和の祈りを込めて設立した建物であり、ウズベキスタン人の館長も平和への理解は深い。田口さんたちは館長と相談しながら会場に飾る写真を選んだ。

「日本では原爆によって亡くなった人の写真も展示しますが、ここでは亡くなった人の写真はちょっと……という反応がありました。日本にとっては大事な歴史でも、外国で展示するときは、その国の人がどういった気持ちになるかを考えて選ぶことが大切だと気づきました。館長に事前に確認ができてよかったです」

 ほかにも着物や浴衣の着付け体験、けん玉や折り紙遊びといった日本文化が体験できるブースを設けることにした。

 また事前にJICAの企画調査員から「やりっぱなしはダメです」と言われていたことから、来場者にはアンケートを取ることにした。

大人だけでなく子どもも 写真を見る姿が

アンケートのお礼の折り鶴ストラップを受けとる参加者たち

アンケートを書いたお礼の折り鶴ストラップを受けとる参加者たち

 イベントが行われたのは、8月6日、7日の2日間。開場中に停電になったため、急きょ、室内のものを外に出して青空の下、折り鶴を作る折紙遊びを行った。会場には原爆投下時の広島の写真と、現地隊員が撮影した広島をはじめとした今の日本の美しい風景写真を30~40点展示した。また広島の子どもからウズベキスタンの子どもに向けたメッセージを掲示し、来場したウズベキスタンの人にも広島宛てにメッセージを書いてもらった。田口さんは佐々木禎子さんの紹介をし、その後、みんなで折り鶴を作り、作ってくれた人にはお礼に、協力隊員手作りの折り鶴ピアスや折り鶴キーホルダーをプレゼントした。

 田口さんが嬉しかったのは、写真展を大人だけでなく、子どもも見てくれていたことだった。

「少しでも子どもたちの心にとどまるものがあれば、いつか広島に興味を持ってくれるかもしれません」

浴衣や法被を着付けてもらってニッコリ

浴衣や法被を着付けてもらってニッコリ

 終わってみれば2日間で、約150人ものウズベキスタンの人々が来場してくれた。アンケートによると、来場者の年代は10~20代が最も多かった。

 感想欄には「日本文化を体験できてよかった」という声以上に「原爆の写真を見て、原爆の熱線の痛みを想像した」「戦争を二度と繰り返してはならない」「平和が一番大切であることに気づいた」など、平和への思いをつづったものが多かった。一方、「ロシア語だけでなくウズベク語表記もほしかった」といった要望もあり、課題を見つけることもできた。反省点としては、開場中にDVDやけん玉が紛失してしまったため、「興味を持った来場者が持ち帰ってしまわないよう、物の管理にもっと気を配るべきだった」と言う。

 停電や紛失などのアクシデントはあったものの、イベント自体はスムーズに運んだ。その理由を田口さんはこう語る。

「一つは開催場所でウズベキスタン人の協力者を見つけられたことです。今回のイベントの場合は、キャラバン・サライの館長や青少年のボランティアの方々の理解があったからこそ、開催できました。もう一つは開催時期です。

隊員たちの手作りの折り鶴ピアス

大好評の隊員たちの手作りの折り鶴ピアス。強度を高めるために、折った鶴の上にコーティング加工をしている

ウズベキスタンでは9月は国家総出で綿摘みがあるので、来場者がぐっと減ります。8月開催はタイミングもよかったと思います」

 このイベントを開催したことで、お互いの国に興味を持てて、距離が縮まったという田口さん。また中央アジア5カ国が『非核兵器地帯条約』を結んでいることも知った。

「中央アジアそれぞれの国が、地道に平和を守るための努力を続けている姿勢を見たときに、平和を守るというのはどういうことなのかをあらためて考えるきっかけになりました」

 広島に戻った今も、田口さんはその答えを探し続けている。

JICA中国の派遣前平和学習とは?

広島県出身の隊員は、任地で原爆の質問を受けることが多く、それを機に原爆展を考える隊員も多いことから、新規隊員は広島県に表敬訪問後、1時間程度の派遣前平和学習を受ける。内容は、被爆体験の講話と質疑応答が中心。そのほか、JICA中国から受けられるサポートの紹介も。

『日本の今と昔 ~平和を祈る写真展~』開催までの道のり

2016.1
現地隊員と発案。開催時期や会場、内容を詰めていくと同時に、他の現地隊員に協力を呼び掛ける。

2016.5
写真展に展示する写真のセレクト、折り鶴ピアスや折り鶴キーホルダーなどのプレゼントの制作、アンケート作りを行う。宣伝活動も始める。

2016.8.6・7
原爆投下の日に合わせてイベントを開催。2日間にわたって行った。


イベント成功の3大ポイント

1 現地の協力者や理解者を見つける

2 アンケートをとって課題を次につなげる

3 国の行事を避けて開催する


Text=池田純子 写真提供=田口実佳さん

知られざるストーリー