外交関係樹立前に協力隊の派遣が始まったサモア。
日本とは家族のような関係が続いています。
※2021年8月5日現在 出典:外務省ホームページ
※2021年11月30日現在 出典:国際協力機構(JICA)
おおらかな南の島と捉えられがちだが、気候変動や国際関係をめぐり、太平洋の国々は今、世界の注目を集めている。国際機関太平洋諸島センター次長の髙橋明子さんには太平洋島しょ国全般の基礎知識を、サモア協力隊OVの才田春夫さんには体験と共に、サモアを取り巻く状況や文化についてお話を聞かせていただいた。
PROFILE
京都大学霊長類研究所在職中に動物の生態や海外の習俗に関心を持ち、協力隊に参加。富山国際大学の研究員を経て、2002年より同大学で教壇に立つ。国際ボランティア養成科目を開設し、サモアで学生と共に女性自立支援プロジェクトを進めた。現在、同大学名誉教授、富山県青年海外協力隊を育てる会会長。
PROFILE
国際機関太平洋諸島センター(南太平洋経済交流支援センター) 次長。航空会社、外国政府観光局で広報業務に従事したのち、外務省報道官組織、総合外交政策局を経て、現職。島しょ国の人々の生きる力や伝統文化、ゆったり流れる時間(Pacific Way)に触れるたび、その心の「豊かさ」に感心している。
サモア独立国(以下、サモア)は日付変更線のすぐ西側にあり、世界で一番早く朝を迎える国の一つだ。初の協力隊派遣は1972年12月の土木施工の隊員で、日本とサモア(当時は西サモア)との外交関係樹立はその翌年だ。初代隊員が従事した火力発電所が完成し、配属先の公共事業省の担当相が首相となり、派遣要請は急増した。
サモア諸島は赤道の南約1200キロメートル、南太平洋の中心に位置する。サモアは、首都アピアのあるウポル島と、その西のサバイー島などから成り、日付変更線を挟んで東側に米領サモアがある。18世紀以降、ヨーロッパ人やアメリカ人がサモア諸島に来訪し、勢力争いを展開。1899年に西部をドイツ、東部を米国が統治することになり、1962年に西部は西サモア独立国として独立、97年に現在の国名・サモア独立国になった。
大洋州地域は、ミクロネシア、メラネシア、ポリネシアに区分され、サモアはポリネシアに属するが、認知度は高くない。国際機関太平洋諸島センターの髙橋明子さんは、その理由に、独立から比較的日が浅いことやあまりにも小さい島国が多いことを挙げる。サモアの人口は約20万人、ニウエは約2000人だ。
最近、この地域への国際的な注目が高まっている。その理由の一つが、気候変動の影響を最も大きく受ける地域であること。各国は地域一体となって対策の必要性を訴えている。
伝統的なサモアの家「サモアンファーレ」。柱以外の壁がない=1980年
もう一つは、中国の進出と日・米・豪などとの勢力争い。「人口が圧倒的に少なく、経済的自立が難しいなか、台湾支持だった国が、投資を期待して中国支持に態度を変えることもある」と髙橋さん。日本の海上輸送路であるうえ、親日的で日本の方針を支持する国も多く、外交的にも重要だ。一帯はマグロやカツオの漁場でもある。79年からサモアで協力隊員として活動した才田春夫さんは「漁業隊員からタタキをもらって食べた」と話す。
サモア人は「南太平洋一といわれるほど、伝統を重んじる」と髙橋さん。自尊心の高さは周辺の島しょ国の中でも抜きんでているため、「対等な立場で協力を申し出るのはいいですが、〝助けてあげる〟という意識では絶対うまくいかない」という。
「初めて訪問する村では、マタイ(酋長)らとカヴァ(※)を飲み交わす儀式を行わなければ、村の正式な客人として認めてもらえません。年長者を敬うことも含めて、昔ながらの文化や慣習が受け継がれています」(才田さん)
※コショウ科の木の根を砕き水を加えてこした飲み物
Text=三澤一孔 写真提供=才田春夫さん、髙橋明子さん