派遣から始まる未来~進学、非営利団体入職や起業の道を選んだ先輩隊員

非営利団体ふるさとの会入職

海外での経験を糧に日本の"困窮" と向き合う

佐藤信希さん
佐藤信希さん
東ティモール/料理/2016年度3次隊・東京都出身
バイタル測定を行う佐藤さん

施設利用者のバイタル測定を行う佐藤さん

 「行き場を失った人たちの最後のとりで」、そう呼ばれる福祉施設がある。都内で700人以上の高齢者らを受け入れる、NPO法人自立支援センターふるさとの会。佐藤さんは、2021年から生活支援員として働いている。

 大学を卒業後、物流企業に就職したが、東日本大震災をきっかけに災害などの危機的状況下でも役立つ技術を身につけようと、「食」の道を志した。専門学校に入り直し、調理師免許を取得。同級生の多くはホテルやレストランなどに就職したが、佐藤さんは都内の病院に勤務し、朝昼2回、各200食、重症患者や産後の女性、胃潰瘍の患者などの病態や体調に合わせて食事をこしらえた。

シーツを取り込む

施設利用者のシーツを取り込む

 2年後、積み重ねた調理の腕を試そうと協力隊に応募。「学生時代、ルーマニアの被災地でボランティア活動をした経験から、いつか身一つで世界へ行って働きたいと思っていました」。

 16年1月、東ティモールに派遣され、国立の職業訓練校で調理実習などの授業を担当。生徒に料理の楽しさを伝えることから始め、食堂のメニューの改善や献立計画の導入なども行った。また、隊員活動の合間を縫って、国際自転車レース「ツール・ド・ティモール」の料理班として参加。中継地点に設営されたキャンプの厨房で、選手やボランティアの食事を作りながら、周囲のメンバーにさまざまな調理法を教えた。佐藤さんは「赴任当初は生徒や職員の〝食〟に対する意識の低さに落胆しましたが、配属先以外の人との交流を通じて、東ティモール国民の多様性を実感し、結果的に充実した隊員活動となりました」と振り返る。

職業訓練校で調理実習などの授業を担当

隊員時代は職業訓練校で調理実習などの授業を担当。配属先の生徒のインターン先に訪問し、授業外での生徒の様子を垣間見ることができた

 帰国後は大学病院に就職し、調理の仕事に戻ったが、20年、新型コロナウイルス感染症が流行。病院内の状況は急変し、病床や人手不足を理由とする一時退院や転院、手術の延期など命の選択を迫られる〝危機〟を垣間見た。

「特に病院の外に出された命の行方が気になりました」。そうしたなか、帰国隊員向けのメールマガジンのなかにあった「生活困窮者」という言葉に目が留まった。自立支援生活センターふるさとの会の求人情報だった。帰国後ずっと気になっていた国内の〝貧困〟を知るきっかけになるかと、佐藤さんは吸い寄せられるように応募した。

「誰もが地域で孤立せず最期まで暮らせるように」をスローガンに掲げるふるさとの会は、1990年に東京・山谷地域でホームレスを支援するボランティア団体として始まり、99年にNPO法人格を取得。共同住宅の空き家などを改装して3食付きの個室を用意し、地域の医療機関やヘルパーと連携して24時間体制で暮らしを支えてきた。台東区や墨田区など5つの区に展開する29施設のうち、佐藤さんは、一人暮らしが困難な高齢者など70人以上が入居する日常生活支援住居施設に配属され、入居者の病院の付き添いや健康管理、生活のサポートなどを行っている。一人で外出してしまい交番で保護された利用者を「おかえり」と迎える日もある。宿直時は寝泊まりしながら利用者の心を感じ取る。

「病院調理の仕事では患者さんと直接向き合う機会が少なかったのですが、今は違います。一人ひとりの話を聞く時間がたくさんあります」。生活困窮者とひとくくりにされがちな人にも、異なる物語がある。統合失調症や認知症、お金とうまくつき合えないまま生きてきた人もいる。ふるさとの会は、さまざまな問題を抱える人々と向き合い、解決法を見つけて路上から引き上げ、暮らしと笑顔を取り戻してきた。

天皇誕生日のレセプションに協力

東ティモールの日本大使館で行われた天皇誕生日のレセプションに協力

「新卒で今の仕事をしていたら長くは続けられなかったかもしれません。でも協力隊など世界で多様な境遇の人に会ってきたせいか、今はどんな困難にいる人とも向き合える気がします」

 他方、見えてきた日本の「困窮」の実態は深刻だ。東ティモールは失業率が高く、物質的には日本より貧しいが、「困窮」という印象ではなかった。むしろ今ある環境で「足る」を知り、上手に生きているように見えた。

「日本では、生活保護や制度に守られた環境下で、満たされることのない欲求に多くの人が苦しんでいます。精神的な貧しさを少しでも減らし、生きづらさを抱える人たちを社会全体で支える〝共同性の回復支援〟につなげていきたいと思います」

佐藤さんの歩み

2004年 神田外国語大学国際言語文化学科(旧)在学中、ルーマニアでボランティア活動。
卒業後、物流企業に就職。

豪雨の被害を受けた山奥の村へ、小さなプロペラ機に乗って入りました。重機などの支援があっても使いこなせる人がいなくてバケツリレーで泥出しをしました。

2014年、調理師免許を取得。東京都内の病院に勤務。

患者の病態に合わせ、同じ料理でも8つの鍋を用意する日もありました。大量調理は段取りが大切で、物流企業での経験が生かされました。

2017年1月、協力隊として東ティモールへ

料理に関心のある人は多くなかったですが、地産地消の発想を大切に、その場にある食材で作る良い経験になりました。

2019年、東京医科大学で病院食を調理。

帰国後、日本ユニセフ協会で寄付管理などの仕事をしていましたが、コロナ禍で再び病院に戻りました。

2020年、現職。

生活支援員の仕事を始めてまだ1年。目の前の一人ひとりと向き合う日々です。

防災訓練では屋外実践を行った

防災訓練では施設利用者と避難することを想定して屋外実践を行った









Text=新海美保 写真提供=佐藤信希さん

知られざるストーリー