JICA海外協力隊に参加する人はどんな人?

【CASE4】現職教員特別参加制度での参加に挑戦し続け、39歳で合格
視点が変わり、授業の説得力が増した

現職教員特別参加制度で参加した譜久山ゆかりさんの場合
► JICA海外協力隊小学校教育隊員としてガーナへ ► 帰国後:復職

譜久山ゆかりさん
譜久山ゆかりさん
ガーナ/小学校教育/2015年度1次隊・沖縄県出身

高校生時代に手にしたJICA海外協力隊員の本を読み、隊員を志す。大学卒業後応募し続け、39歳で教員の身分を維持しながら参加できる「現職教員特別参加制度」を利用して合格。2015年7月よりガーナの小学校を巡回し、理数科目の授業の質向上を目指す。帰国後、復職。

現地教員への研修会

隊員時代:現地教員への研修会。折り紙を使った図形の学習法を考案して教えた。折り紙は紙を正方形にカットして作ったもの 

「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会で活躍した『外国にルーツを持つ』日本代表選手を、班ごとに挙げてみましょう」。この問いかけから、沖縄県立知念高等学校の地歴公開授業は始まった。

   名前が出そろうと、次のパリ五輪に向け、チームJAPANの代表選手を選ぶ場合の基準について班ごとに話し合った。「父が日本人」「日本生まれ」「在留資格がある」「日本語が話せる」「正確なシュートが決められる」「日本で納税している」「日本を愛している」など、24項目ある条件のなかからふさわしいと思うものを選び出したあと、これをチームJAPANではなく、「日本国民としての条件」に置き換えたときに条件が変わるかを考察。最後に、外国人労働者の力が必要になる日本で、どのように日本人と外国人が同じ「国民」として多文化共生を実現できるかを考えてまとめさせた。

九九ソングの暗唱テスト中

隊員時代:九九ソングの暗唱テスト中

覚えられた児童は☆をつけて張り出した

隊員時代:覚えられた児童は☆をつけて張り出した

九九の暗唱ができると、譜久山さん手作りのメダルがプレゼントされた

隊員時代:九九の暗唱ができると、譜久山さん手作りのメダルがプレゼントされた。もらった児童たちは誇らしげ

   “あたらしい「日本国民」としての条件”を考察するこの公開授業を行ったのは、同校の地理歴史科教諭で元JICA海外協力隊員の譜久山ゆかりさんだ。現職教員特別参加制度を利用して譜久山さんがガーナに派遣されたのは、2015年のこと。

   配属先のノーザン州タマレ市にある教育事務所からは、教育主事としてできるだけ多くの小中学校に出向き、教員の理数科指導を向上させることが求められていた。1~3校を3カ月ごとに巡回していくため、各校3カ月間で信頼関係を築いて結果を出す必要があった。事前の授業見学で多くの生徒が掛け算を習得していないことを知った譜久山さんは、九九の暗記を活動の一番の目標に設定した。

「現地のテレビCMで使われていた『きらきら星』の曲にのせて九九を暗唱してもらうことにしました。暗唱できた生徒の名前を張り出すようにしたところ、『家で練習してきたから歌わせて』という生徒も出てきて、嬉しかったです」。九九すべてを暗唱できた生徒には、折り紙で作ったメダルをプレゼントした。

   九九の暗唱のほかにも、折り紙で行う図形の授業、手製の実験器具を使った理科の授業など、工夫を凝らした授業は生徒たちを魅了した。「最初は現地語なまりの英語がわからなかったり、環境の変化についていけずに戸惑うことばかりでした。でも、私の不安をよそに、教員たちは私の働き方を見て何かを感じ、受け入れてくれるようになりました。皆より早く出勤して採点したり、担当教員が遅刻しているときに授業をつないだりしたので、日本から来たボランティアがなぜそこまでするのかと驚かれました」。ガーナでは乳幼児を連れて授業を行う女性教員も少なくないので、女性教員が赤ん坊にミルクを飲ませている間に譜久山さんが代理を務めるといったこともあった。

   最終的に教員からも頼りにされる存在になって活動を終えた譜久山さんだが、協力隊を志したきっかけは、高校時代にさかのぼる。「進路に迷っていたとき、図書館で『ガーナに賭けた青春』(女子パウロ会)を偶然見つけたんです。村おこしのためにパイナップルファームを造った協力隊員の本で、いつか私も隊員になって途上国で活動したいと思いました」。教職を選んだのも、協力隊終了後に生徒たちに体験を伝えることで、社会還元できると考えたからだという。

   ところが、順調に教員採用試験に合格し高校教諭となったものの、隊員になるチャンスはなかなか巡ってこなかった。「現職教員特別参加制度を利用して参加するには、教頭や校長に承認してもらい、また、県の教育委員会に選んでもらう——こうしたハードルを超えなければ応募できないので、何度か挑戦したもののかないませんでした。当時はこの制度で応募できる年齢の上限が40歳までだったので、39歳のときに諦め半分、記念受験くらいの気持ちで応募したんです(※)」。

沖縄県立知念高等学校の公開授業

帰国後:沖縄県立知念高等学校の公開授業。日本の多文化共生をテーマに、日本国民としての基準とは何かを考えさせた

   それまでにJICA沖縄が教職員向けに実施する海外研修に参加し、ボリビアの沖縄移民が開拓したコロニアオキナワを訪ねたりした経験があったことから、「中南米の国を希望してスペイン語を勉強していた」という譜久山さんだが、決まった派遣先は英語圏のガーナだった。「最終面接の感触で、小学校教育でザンビアへ派遣になるかと思っていました。でも最終的にガーナに決まったのは、高校時代からの運命だったのかもしれません」。

   協力隊への参加で譜久山さんの視野は広がり、地理・歴史を教える際の視点が変わり、授業に説得力が増した。将来的には、日本の教育への還元だけでなく、勉強をしても自国で働き口が少ないガーナの人たちと、日本の企業をつなげるパイプ役のような存在にもなりたいと考えている。

譜久山さんから応募者へのMESSAGE

現地では日本での専門だけではなく、なんでも求められることがあるので、日本でいろいろなことに挑戦しておくと対応しやすいと思います。英語の九九ソングは、ガーナで私自身も練習を重ねました。

職種ガイド : 小学校教育

現地の先生と一緒に、算数、理科、音楽、体育、図工、情報(ICT教育)などの授業を行ったり、授業手法や教材の改善に取り組んだりすることで、児童がよりよい教育を受けられる環境づくりを行う。譜久山さんの場合は、ガーナ教育省の受け入れでノーザン州のタマレ市教育事務所に配属され、市内の小中学校を巡回した。現地教員の理科と算数の授業に対し、教材の紹介、授業の改善の提案をし、指導力アップを目指すことが求められた。

現職教員参加制度とは?

公立、国立大学付属、公立大学付属、私立および学校設置会社が設置する学校の20~45歳の教員が、身分を保持したままJICA海外協力隊へ参加できる制度。4月1日から参加開始後は、日本での事前学習と派遣前訓練、任地での協力隊活動、帰国と、2年後の4月1日から年度の開始と同時に職務復帰ができるよう、ちょうど2年間で参加できるスケジュールが組まれている。対象期間中は、現職参加促進費または現職教員派遣委託費が都道府県などの所属先へ支給される。

※当時は応募時の年齢が40歳までだったが、現在は45歳までに引き上げられている

Text&Photo=ホシカワミナコ(本誌) 写真提供(協力隊員時代)=譜久山ゆかりさん

知られざるストーリー