退職後参加した北原英一さんの場合
► JICAシニア海外協力隊空港隊員としてフィジーへ ► 帰国後:ボランティア活動や趣味に打ち込む
整備士として日本航空に37年間、その後、フジドリームエアラインズに勤務。60歳でフィジーへ。帰国後、三菱重工国産ジェット旅客機「MRJ」(のちに「スペースジェット」に改名)の開発などに参画。東京オリンピック・パラリンピックではボランティアとして参加。
「要請は、フィジー国立大学理工学部航空工学科の先生方への最新技術伝習とレベルアップ。つまりフィジーの教育レベルを、最新の世界レベルに近づけることでした」
そう話す北原英一さんが、シニア海外協力隊としてフィジーに派遣されたのは2014年のこと。航空整備士として日本航空などに40年勤務したキャリアを買われてのことだった。応募のきっかけは、いくつかの偶然が重なった。
「一つは娘が2013年度2次隊でパラオに派遣されていたことです。当時、娘のところに様子見に行ってみると、環境は過酷なのに、娘は生き生きと楽しそう。そうしたら娘が『お父さんも応募してみたら』って。当時勤めていた会社も60歳で一つの区切りを迎えるタイミング。試しに探してみたら“空港”という要請が見つかりました。しかも、前任者は同じ会社のOBで、なんだそういう人が行っていたのかって考えたら、もう応募するしかないと思いました」
しかし赴任してすぐに、冒頭のフィジーの要請に対して「そんな段階じゃない」という印象を抱いた。「正直、これで大丈夫なのかなというレベルでした。要請は指導者のレベルアップでしたが、それ以前に現場でどのような指導が行われ、学生たちはどう受け止めているのか、現場の様子を知ったうえで、学生の将来に役立つ教育をつくりだすことが大切だろうと考えました。そこで直接、自分で授業を受け持たせてほしいと頼み、1年目は1年生、2年目は3年生の授業を担当させてもらいました」。
北原さんが真っ先に生徒たちに伝えたのは日本独特の“カイゼン”という考え方。「例えば、工具室らしきものはあるものの、工具はそのへんに放りっぱなし。でも飛行機というのは、工具を一つでも飛行機に置き忘れたりすると、大変なことになります。探し出すまで出発させることができません。それぐらい工具の管理は重要だと伝えたくて、ボードにツールの絵を描いて、使ったら必ずそこに戻すなど管理の仕組みをつくらせ徹底的に教え込みました」
とはいえ、最初から理想どおりにいったわけではなかった。島特有ののんびりとした時間の流れ、いわゆる“フィジータイム”に阻まれたからだ。
「授業のスタートに生徒全員が集まったこともなければ、気乗りがしなければ途中で出て行ってしまう学生もいました。でも授業を進めて、一人ひとりと話していくうちに、信頼関係が生まれてくるんです。気持ちが通じ合えば、あいつの言うことなら知っておいたほうがいいなと感じてくれて、授業も一生懸命聞いてくれる。ただ授業より実習のほうが積極的に取り組んでいたので、実習での指導を取り入れる工夫もしました。結果的に学生の姿勢は、ずいぶん変わりましたね」
北原さんと学生たちのやりとりをはたで見ていた先生たちの意識も、だんだん変化していった。「先生が私の部屋にやって来て『これに関する資料はないか』『これを説明してほしい』など、質問や相談を受けることが多くなっていきました」。
現場で感じて考えて、求められることを実践し、もともとの要請内容を振り返りながら活動していくうちに、あと半年、あと3カ月と任期満了が迫ってきた。
「任期は2年で、基本的に延長はありません。だから即断即決でやっていくしかないですよね。私が派遣された意義は現地の人たちが決めることですが、自分の伝えたことが学生の心に残って、将来仕事をするなかで生かされれば、私としてはこれ以上嬉しいことはないです」
帰国後は東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会にボランティアとして参加した。
「特に思い出深かったのは、パラリンピックの選手村で、アゼルバイジャンの選手団の専属アシスタントを務めたこと。専任スタッフというのは、いわばよろず相談屋。選手村への入居から退去まで、居室、食事など生活のお世話から、競技場へ同伴し選手の車いすを押したり、何から何までケアしましたが、そういったことに対応できたのは、やはりフィジーでの2年間の経験が大きかったですね。国も考え方も違う人に対して、こうあるべきだと主張しない。こちらが折れる、慣れるというのは、フィジーでの生活が教えてくれました」
70歳まであと3年。今後、コロナが収束し、また“空港”の要請があれば応募してみたい、と北原さんは目を輝かせる。
「シニア案件は一芸が必要です。私にとって“空港”は一芸でもあり、人生そのもの。それが生かせるなら、またどこかでチャレンジしてみたいですね」
自分では大したことはないと思っている技術やスキル、経験でも、開発途上国ではそれが価値のある財産として受け入れてもらえます。それを伝えることは楽しいし、やりがいもあるので、興味があれば、ぜひ行ってください!
生活・サービスに関わる「公共・公益事業」分野の一つ。空港は、日本での実務経験や専門資格、幅広い知識が求められる。北原さんへの要請は、ナンディ国際空港に隣接する国立大学理工学部航空工学科で、学生の航空整備士資格取得を目標に、航空整備科目を同僚スタッフと共に指導すること。授業や実習を通して、日常作業安全指導や作業環境改善意識の向上、訓練機材の整備を支援した。
一定以上の経験・技能などが必要な要請に基づいて活動する。派遣期間は1~2年で、対象年齢は20~69歳。中南米の日系社会で活動を行う「日系社会シニア海外協力隊」もある。
Text=池田純子 Photo(プロフィール)=大竹幸乃(本誌) 写真提供=北原英一さん/和光市シビックコンサート実行委員会(オーケストラの写真)