日系社会の学校や、イベントなどにおいて日本文化を紹介する。
※人数は2022年1月末現在。
大阪府出身。高校時代から三線、エイサーなどの沖縄の伝統芸能を学ぶ。沖縄の大学を卒業後、沖縄県中城村役場に就職し、国際交流事業を担当。ボランティア休暇制度の導入を村に働きかけ、身分を所属先に残したまま参加する「現職参加」で協力隊に参加。
現地校の講義では、缶を使ったカンカラ三線の製作から演奏までを指導
要請内容は、日系人に日本文化を継承すると共に、パラグアイ社会に日本文化を紹介すること。日本人会・文化協会や日系団体が運営する日本語学校では日系人を対象に、パラグアイ・日本・人造りセンター(CPJ)や現地校2校では非日系人を対象に、講師として日本文化を伝えることです。私が初代の文化隊員だったので、具体的にどんな講座を開きたいのか、各団体、学校の希望をヒアリングするところから始め、それに合わせて講座を決めました。
その結果、日本人会・文化協会では、着物の着つけ、生け花、沖縄の伝統芸能エイサー、三線など。茶室があるCPJでは茶道のほか、子どもからお年寄りまで誰でもできるちぎり絵の講座を開くことになりました。また現地校では三線やエイサーを指導することになりました。
日本の協力団体から贈られたエイサーの太鼓約30個が、現地の郵便局ですべて盗まれてしまうトラブルがありました。太鼓がなければ指導することはできません。協力隊に参加する前に、南米から日系人を沖縄に招待し交流する事業を担当していましたが、そのときのつながりから隣国のアルゼンチンで活動するエイサーグループに連絡を取り、中古の太鼓を譲っていただきました。日本での交流が、遠いパラグアイで生きたのは幸いでした。
バスでの移動です。9つある日本人会・文化協会を巡回するのですが、片道8~9時間は当たり前。総移動距離を計算したら、地球1周半にもなりました。それでも、バス内で上映されていた映画を通してスペイン語を勉強したり、パラグアイの音楽を三線で弾くための楽譜を作ったりするなどして、移動時間を有効に使うよう心がけました。
帰国する少し前、私が指導した日系人と非日系人で一つのグループをつくり、日系人が主催する「NIHON MATSURI(日本祭)」でエイサーを披露しました。パラグアイでは、日系人と非日系人が協力して同じチームで何かをするということがほとんどありません。日系社会と現地社会の間に大きな壁があると感じていたので、一緒に何かをしたいと企画したものです。これが二つの社会の交流のきっかけになればと思っています。
Text=油科真弓 写真提供=川口曜穂さん