1996年10月号の丹羽さんの体験記より※部分抜粋
(前文略)
最初に、あせって人間関係を作ろうとしたり、まわりにとけ込もうと無理をすると、肉体的にも精神的にもとても疲れてしまいます。特に言葉がうまくなっていないので、伝えたいのに伝えられないもどかしさや、いろいろ聞きたいのに答えてもらっても、意味が分からずにだんだん口数も減ってきます。このままズルズルと流されてしまうと、自分のいる場所がなくなってしまい、まわりからも「何もできない奴」と思われがちで、あなた自身も「一体、私の活動は何なのか」、「こんな所にはもう協力隊はいらない」と思うことにもなります。
(中略)
慣れない状態でどうしたらよいか分からないけれど、活動をしなければという思いが先に立ってしまい悩みますが、今のあなたは何もできるわけがありません。活動の期間は2年と長いのですから、特に仕事のことは考えず、腰を据えて次のことに取り組んで、今から自分の仕事場となる職場の全体像をつかみましょう。
(1)まずあなたの職場の組織はどうなっているか知ろう
1.組織図はあるのか(なければ自分で調べて作成する)
2.職員は何人いるのか(名前、年齢、役職は)
3.建物の中はどうなっているのか(組織図と一致するか)
(2)人の名前と顔を覚え、相手に自分の顔と名前を覚えてもらう
自分がどこから来たのか、これからどこで働くのか、どこに住んでいるのか。また相手がどこで働いているのか、どこに住んでいるのか、結婚しているのか、子供がいるのかなど自分のできる言葉すべてを使って会話して下さい(意味が分からなくても問題ありません。分かるまで聞いて下さい。ここで蒔いた種は後で必ず花が咲くので、じっくりとやって下さい)。
(3)職場の長とあなたの処遇について話し合う
1.自分の立場・権限(予算、事務機器、電話、勤務時間、休暇、その他)
2.カウンターパート(これは後になって大きな問題になるので、はっきりさせておく)
3.協力指導内容(何が現在問題なのか、何について協力して欲しいのか)
着任してすぐは、なかなか難しいですが、最初の3カ月をめどに職場の状況把握に努めてみて下さい。
(中略)
上司たちとの話し合いは仕事の話なので、ある程度インドネシア語ができないと、大変つらいものになってしまいます。しかし、それをしないで下の人ばかりと簡単な話ばかりしていると、後になって上司のところへ行けなくなってしまいます。そうなってしまったらもう、手遅れで回復には相当の努力が必要です。そうならないためにも、一日一回とはいいませんが、せめて三日に一回は所属長に会っていろいろ話をして下さい。とにかく自由に職場の長と会える立場になることが、最初の3カ月間の目標です。
(以下略)
編集室:まずは簡単に皆さんの活動内容などについて教えてください。
丸田:村落開発普及員として、当初はホンジュラスの農業協同組合の本庁に配属されました。でも、農家の人々と接して課題解決をしたいと要望を出して、首都から車で3時間の支所に任地替えしてもらいました。支所では経理や財務を担当しました。
酒井:大学は農学部だったものの、きのこは未経験。日本で2カ月間技術補完研修(現課題別派遣前訓練)を受けてからネパールへ赴きました。農業研究所は私で4~5代目。勉強しながら活動をスタートさせました。
桑山:ボツワナでは小学校教員の養成学校でPCの使い方などを教えました。PCは日本で独学で使いこなしていましたが、教師経験がなかったため、訓練所で授業計画を立てたり模擬授業を行ったりして学びました。
下松:日本で日本語教師の資格を取得し、ボランティアで在住外国人に日本語を教えてから、協力隊に応募。
配属先の日伯文化連合会では、11~15歳くらいの生徒約13人が学ぶ、中級クラスの指導を任せられました。
授業だけでなく、劇やミュージカルの指導も行いました。
前原:環境問題に興味はあったものの未経験だったため、技術補完研修でコンポストの作り方を学んだりしてからスリランカへ。ごみの削減問題に取り組みました。配属先の環境教育隊員としては2代目で、その前に村落開発普及員(現コミュニティ開発)が5~6人いました。
編集室:早速ですが、右の丹羽さんの記事を読んで、共感するところ、そうでないところ、率直な感想をお聞かせください。
前原:まず周りから「何もできない奴」と思われて落ち込むというところ。確かに言葉が話せないと意思疎通ができなくて落ち込むことはあります。でも、それはみんなが通る道なので、開き直ったほうがいい。私の場合、英語はある程度はわかるからと思っていたものの、配属先に行ってみたらシンハラ語なまりの英語で、全然聞き取れない。これはやっぱり現地語で話さないとダメだとシンハラ語を勉強しました。シンハラ語は書く言葉と話す言葉が違う単語もあるので最初は戸惑いました。
丸田:私も最初は言葉の壁にぶつかって、同僚たちとの距離を感じました。そこで日本の雑誌を切り抜いて、それらにスペイン語注釈をつけて、配属先の掲示板に貼ったんですね。そうしたら、切り抜きを読んだ職員が声をかけてくれるようになりました。
桑山:私も英語が通じるとはいえ、現地語で話したほうがコミュニケーションが円滑にいくので、ボツワナ語も勉強しました。地元の人にボツワナ語で話しかけると、やっぱり喜ばれます。
丸田:そうそう。現地なりの言い回しや方言を覚えて、相手を和ませる話をいくつか用意しておくといい。とにかく相手をにんまり笑わせたら、最初の入り口はスムーズですよ。
下松:私の場合は日系社会なので、ある程度日本語が通用しました。ポルトガル語は日常会話程度しかできませんでしたが、日本語で日本語を教えていたので、言葉の壁はほかの国に比べると低かったと思います。
酒井:日常会話は協力隊の訓練所で学んだネパール語でなんとかなりました。職場である農業研究所の皆さんは高学歴で、ネパール語のなかに英語の単語を織り交ぜて話していたので、専門用語など英語の単語を知っていれば、コミュニケーションに困ることはありませんでした。私にとっては、言語よりもきのこ栽培の技術と経験がなかったことのほうが問題でした。
前原:近年のスリランカの環境教育隊員は、専門用語や活動報告、困ったときの虎の巻のようなものを各々がデータ化して受け継いでいます。環境教育で使う用語もまとめてあるので助かりました。
編集室:やはり活動の第一歩は言語ですか。では、次に必要なことはなんでしょう。
前原:丹羽さんの記事にもあるように「職場の組織図を作る」ことではないでしょうか。組織を知らないと活動できないので、ぜひやったほうがいいと思います。組織図で相手の名前を覚えておくだけでなく、周囲に自分の名前を覚えてもらうのも大事です。
酒井:私の場合は組織図は作りませんでしたが、研究所には同年代の女の子がいて、その子とおしゃべりしながら、組織のことだけでなく、きのこ栽培や、ネパールのことなどいろいろ教えてもらいました。同年代の同僚と親しくなったのは大きかったと思います。
丸田:丹羽さんの記事には「カウンターパートをはっきりさせておく」とありますが、これには同感です。私は普段から上司に進言するときもカウンターパート(以下、CP)に任せていましたし、本庁から支所に活動先を移してもらった際もCPが一緒に異動してくれたんです。私にとってCPの存在は大きかったです。
前原:私のCPは日本で研修を受けたことがある人で、多くの先輩隊員も見てきているので、頼れる存在でした。すぐに動きださなくてはと思っていたときに、「まずは収集車に乗って現場を見に行け」と指示してもらったので、肩の荷が下りました。人格者で僕は恵まれていました。
桑山:CPは、年上のボツワナ人でしたが、イギリスの大学院に留学して外の世界を見てきているから、現地の問題をきちんと認識していました。彼と話せば、組織のことや現状が理解できました。
下松:私にはCPはいませんでしたが、校長先生と話せば、ほとんどのことは解決しました。同僚の教師が全員年上の日系人女性で教師歴も長かったので、信頼関係をつくって活動していくことに注力しました。
Text=池田純子 Photo=ホシカワミナコ