派遣国の横顔   ~知っていますか?
派遣地域の歴史とこれから[ザンビア]

1964年の東京オリンピックと同時に独立したザンビア。協力隊派遣の歴史は52年にも及び、日本とザンビアの間には深い絆が結ばれています。

ブラジル

ザンビアの基礎知識

  • 面積:752.61千平方キロメートル(日本の約2倍)
  • 人口:1,838万人(2020年:世銀)
  • 首都:ルサカ
  • 民族:73部族(トンガ系、ニャンジァ系、ベンバ系、ルンダ系)
  • 言語:英語(公用語)、ベンバ語、ニャンジァ語、トンガ語
  • 宗教:8割近くはキリスト教、その他 イスラム教、ヒンドゥー教、伝統宗教

※2021年9月13日現在
出典:外務省ホームページ

派遣実績

  • 派遣締結日:1970年4月10日
  • 派遣締結地:ルサカ
  • 派遣開始:1970年3月
  • 派遣隊員累計:1,607人

※2022年2月28日現在
出典:国際協力機構(JICA)

平和を愛し、平和に暮らせる国に
国民が誇りを持つ、多民族国家

ザンビアは多民族国家でありながら独立以来紛争がなく、穏やかな国民性といわれる。青年海外協力隊のザンビアOVであり、現在、JICAザンビア事務所長を務める徳橋和彦さんに、国の状況や協力隊の歴史についてお話を聞いた。

お話を伺ったのは
徳橋和彦さん
徳橋和彦さん
豆炭製造(林産加工)・1987年度2次隊・新潟県出身

PROFILE

JICAザンビア事務所長。企業の内定を受けていた大学在学中に、たまたま行った説明会で協力隊に興味を覚え、就職を辞め新卒で協力隊に参加。1992年に国際協力事業団(旧JICA)に入団。青年海外協力隊事務局やケニア事務所などの勤務を経て、2014年から17年までマラウイ事務所長。20年2月から現職。

野生動物を観察しやすいザンビアの国立公園

国立公園が多く野生動物を観察しやすいザンビア(写真提供=塚越貴子さん)

    ザンビア共和国(以下、ザンビア)と日本の縁は、1964年に行われた東京オリンピックまでさかのぼる。10月24日、大会最終日にイギリスからの独立を果たし、参加していた選手団は、世界中が見守る閉会式に新しい国名と新国旗を掲げて入場し、大きな話題となった。

   この新しい国を応援しようと青年海外協力隊が派遣されたのは70年、柔道指導の6人が始まりで、無線通信機、電話線路とインフラ整備の最前線に携わる職種の隊員が続いた。その後は、漁業や養鶏、自動車整備へと広がり、農業、工業、保健、教育・スポーツ、産業人材の育成、中小零細企業の経営改善とあらゆる分野へと広がった。ボランティア事業は草の根レベルの協力で効果を上げられる分野で展開してきたが、なかでも最も派遣人数が多いのは教育分野だ。理数科教育を中心に、体育・初等教育、情報技術関連など600人以上が派遣され、近年は教育の質の向上を重視した活動に取り組んでいる。

   独立後、戦争や内戦がなく、アフリカで平和な国の一つとされるザンビア。隊員時代から30年ぶりに赴任したJICAザンビア事務所長の徳橋和彦さんは2021年に行われた大統領選をその地で見守った。「結果を巡って暴動が起きることが懸念されていましたが、現職の大統領が潔く敗北宣言をして平和裏に政権移譲し、胸が熱くなりました。非暴力主義のケネス・カウンダ初代大統領が掲げた『One Zambia, One Nation(一つのザンビア、一つの国家) 』というスローガンの下で、73もの民族が平和に暮らせることに誇りを持ち、民主政治が根づいていることを改めて感じました」。

   隊員の存在は国内でよく知られ、評価も高い。昨年、「協力隊派遣50周年記念式典」がコロナ禍で1年延期され開催された。「その際、前住宅インフラ大臣が中学生のときに隊員から数学を教わり、時間を守ることの大切さや誠実さも学んだことを披露しました」。

ルサカ郊外のコンパウンド

ルサカ郊外の、コンパウンドと呼ばれる低所得者が居住する地域(写真提供=飯塚明夫/JICA)

   ザンビアは銅生産で知られる資源国だが、輸出収入は市況に左右され不安定だ。交通網や電力などインフラはいまだ脆弱で、教育や医療、給水衛生施設なども未発達なので、地方の農村部の生活は厳しい状況にある。一方で公用語が英語のため活動しやすく、海外からの援助は多い。「協力隊と日本の大学やJICAの技術協力との連携、NGOの活躍、さらには複数の援助国・機関による援助まで、ザンビアではさまざまな事業が実施されています。協力隊活動をしながらそうした人たちと過ごした隊員が、帰国後に国際分野を目指すのも特徴かもしれません」。

Text=工藤美和  写真提供(プロフィール)=徳橋和彦さん

知られざるストーリー