派遣国の横顔   ~知っていますか?
派遣地域の歴史とこれから[東ティモール]

美しい海と星空、さまざまな自然の恵み。独立から今年5月で20年を迎えました。

東ティモール

東ティモールの基礎知識

  • 面積:1万4,900平方キロメートル(東京・千葉・埼玉・神奈川の4都県の合計面積とほぼ同じ大きさ)
  • 人口:約130万人(2021年、世界銀行)
  • 首都:ディリ
  • 民族:メラネシア系とパプア系。その他マレー系、中華系など、ポルトガル系を主体とする欧州系およびその混血など
  • 言語:公用語はテトゥン語とポルトガル語。実用語にインドネシア語と英語。その他、30以上の地方言語が使用されている。
  • 宗教:キリスト教99.1%(大半がカトリック)、イスラム教0.79%

※2022年1月12日現在
出典:外務省ホームページ

派遣実績

  • 派遣締結日:2005年1月25日
  • 派遣締結地:ディリ
  • 派遣開始:2010年4月(短期)
  • 派遣隊員累計:116人

※2022年3月31日現在
出典:国際協力機構(JICA)

長い支配と困難を経て21世紀最初の独立国誕生から20年

独立を果たすまで、東ティモールはポルトガル、日本、インドネシアの支配下にあり、多くの苦難を背負ってきました。独立前から東ティモールの人々と関わり、現地に駐在したこともある奈良県立大学准教授の亀山恵理子さんに歴史と現状をお聞きしました。

お話を伺ったのは
亀山恵理子さん
亀山恵理子さん

PROFILE

奈良県立大学地域創造学部准教授。1995年夏、医療支援を行っていたグループに同行し、独立前の東ティモールを初訪問。以後、同グループの現地訪問や独立運動を進める東ティモール人の講演会などで通訳を務める。2000年以降、NGOアドラ・ジャパンやJICAのスタッフとして現地にも駐在した。

1980年代初頭に亡くなった人々を祀る墓=マヌファヒ県

インドネシア支配下、不安定な生活のなか、栄養不足などで亡くなる人もいた。1980年代初頭に亡くなった人々を祀る墓=マヌファヒ県、2015年(亀山さん提供)

    東ティモールは20年前の2002年5月20日、「21世紀最初の独立国」として新たな歩みを始めた。協力隊の派遣は10年、短期ボランティアの派遣から始まり、翌11年から長期ボランティアが派遣されている。当初はPCや機械に関する職種から手工芸まで幅広い分野で派遣されたが、現在は、保健、農業、観光、スポーツの4分野に重点が置かれている。

   独立前の1995年から東ティモールの支援に関わり、「東ティモールに自由を!全国協議会」の講演会で、来日した東ティモールの人たちの通訳もした奈良県立大学准教授の亀山恵理子さんは「この国の場合は特に、苦難の歴史を知ったうえで行くことが重要」と話す。

   バリ島の東方にあるティモール島はかつて、いくつもの王国に分かれていた。16世紀にポルトガルが全島を植民地化し、17世紀半ば、インドネシアを植民地にしていたオランダが西半分を占領した。第2次世界大戦中の1942年から終戦までは、日本軍が東ティモールを占領した。

   「占領中、日本軍から暴力を受けた人もいます。そのことを忘れてはいけません」(亀山さん)

   45年、東ティモールは再び、ポルトガルによる植民地支配下に置かれた。一方、西ティモールは、独立したインドネシアの一部となった。

   74年、ポルトガルの政権交代で東ティモールの植民地支配が放棄されると、75年に独立を宣言。するとインドネシアが軍事侵攻し、併合を宣言した。「国際法上、東ティモールは、インドネシアになっていません。独立について、『インドネシアからの独立』というのは、正確ではありません」と亀山さんは話す。

   侵攻後の戦争で家族を失った人も多く、その後も軍への抵抗運動は続いた。「軍に見つかって被害を受けた住民も少なくありません。最悪の場合、命を落とすこともありました」(亀山さん)。99年、独立の是非を問う住民投票が行われ、約8割が「分離・独立」を選択。その直後、独立反対派による破壊・暴力行為が激化した。国連は多国籍軍を派遣し、国連東ティモール暫定行政機構を設立し、2002年5月の独立に至った。

   独立から20年。亀山さんが注目するのは、アートや文化。かつては、若者が書いた演劇の脚本を、インドネシア軍の監視を恐れた家族が燃やしてしまうことさえあったが、地元のテトゥン語による小説や若者の映像作品が自由に発表され始めている。

Text=三澤一孔 プロフィール写真提供=ご本人

知られざるストーリー