派遣から始まる未来
~進学、非営利団体入職や起業の道を選んだ先輩隊員

NPO法人TICO 設立

吉田 修さん
吉田 修さん
(マラウイ/医師/1988年度3次隊・徳島県出身)





徳島の診療所を拠点に、ザンビアの医療と農村の改善に協力する

マラウイの小児病棟。医療品、注射器などは慢性的に不足している

マラウイの小児病棟。医療品、注射器などは慢性的に不足している。「消毒液やガーゼがないこともありました」

   肌の色は日本人と違うけれど、おなかの中にある臓器はまったく同じ――。吉田 修さんはこの当たり前の事実を目の当たりにした。今から30年以上前、マラウイの病院で外科手術(編集室注・現在は原則として、身体侵襲行為を含む医療行為は、JICA海外協力隊の活動内容に含まれません)に臨んだときの出来事だ。1988年、大学病院所属の臨床医として6年間を過ごした。「何となくカッコいいかな」と軽い理由で青年海外協力隊に応募したと振り返る。外科医として活動できるなら世界中どこにでも行くと明言。結果的に派遣国がマラウイだったにすぎなかった。しかし、この地での2年間が吉田さんの人生を決定づけた。

「私が主に働いたゾンバゼネラルホスピタルは、300床の病棟に900人もの患者が入院している状況でした。一つのベッドを2人で共有したり床にマットを敷いたりして寝ているのです。外科医は私しかいませんでした」

   病名は鼠径ヘルニア(脱腸)や腹膜炎など、日本でもよく知られたものがほとんどだった。しかし、現地の貧しい人たちは祈祷に頼ることが多く、病院までの交通費を賄うのも難しい。

「脱腸は放置すると腐ってしまいます。ずっと我慢して何十キロも離れた地域からバスに乗って来たりと、日本では考えられないことばかりでした」

TICOによるザンビアザンビア大学病院心臓血管外科チーム養成授業

TICOによるザンビアザンビア大学病院心臓血管外科チーム養成授業。豚の心臓で手術の練習中

   病院のスタッフから逆に教えられたこともある。輸血する血液が足りないケースが多いため、手術中に患者のおなかにたまった血を再利用する離れ業だ。自己血輸血は日本でも行われているが、もちろん手術中ではなくて事前に採血して検査し保管している。当時のマラウイではその余力がなく、臨機応変の対応を取らざるを得ない。それでも何人もの命を助けられた。

「若い医師にとってはやりがいのある環境でした。日本では偉い先生が執刀して、後処理を任されるだけのことがほとんどですが、マラウイの病院ではすべてを経験できる。この2年間で手術のスピードが速くなりました」

   帰国後も途上国支援への思いが募った吉田さん。岡山を拠点とするNPO法人AMDA(※1)に参加し、世界各地での緊急人道支援に従事した。JICA専門家として派遣されたザンビアでは、現地の人が自分たちで健康を守るプライマリーヘルスケアプロジェクト(※2)に関わった。

さくら診療所の若手スタッフと吉田修さん

さくら診療所の若手スタッフと吉田修さん(右から2人目)。スタッフは70人ほどいて、国際協力と両立するために支え合って診療所を運営している

   アフリカを中心とする「現場」を回って吉田さんが痛感したことがある。紛争地で大干ばつなどが起きればクリニックの建設だけでは何も救えないという現実だ。「もちろん医療も大切です。でも、今日の水も食料もない状態で薬どころじゃないでしょう」。

   吉田さんは徐々にザンビアの農村支援活動を行うようになった。その基盤となったのは93年に立ち上げた「徳島で国際協力を考える会」。のちにNPO法人TICOとなる。

   TICOは国際保健に従事したい医師をサポートしつつ、主にザンビアで農村の環境を改善するさまざまな事業を行ってきた。栄養・衛生教室、妊産婦ケア、菜園づくり、小規模ローン、家畜の疫病予防などだ。

「TICOが支援終了後も多くの村で活動はまだ続いていると思います。でも、ボランティアたちが毎月のミーティングのためにヘルスポスト(医師のいない診療所)に集まるのも徒歩数時間、無報酬。TICOがいるときは昼食や筆記用具、時々ユニホームの支給などをやっていました。何らかの経済活動とリンクさせてモチベーションを維持しないと続かないと感じます」

NPO法人AMDAと合同医療チームを結成し、ウクライナ国境近くで医療支援活動も行う

NPO法人AMDAと合同医療チームを結成し、ウクライナ国境近くで医療支援活動も行う(2022年3月 写真提供=AMDA・TICO

   医療分野のほうは心臓外科に注力している。先天性の心臓奇形を持って生まれてくる子どもはどの国にもいる。しかし、ザンビアでは手術ができる医師がいないために次々に亡くなっている。TICOはザンビア人医師でも手術ができるように技術指導をしている。こうした活動は日本国内でも助け合う基盤があればこそ継続可能だ。

「私が院長を務めるさくら診療所には現在4名の医師がいてワークシェアをしています。途上国支援のために誰かが抜けたら、その穴はほかの人が何も言わずに埋める、という体制です」

   吉田さんによれば、国際協力を志す日本の医師や看護師は決して少なくない。そして、ザンビアに行けば数百人が常に手術を待っている。若手が大いに経験を積める環境だ。双方のニーズをマッチさせるために、TICOと吉田さんは今も奮闘している。

吉田さんの歩み

徳島県出身。宮崎医科大学卒業後、徳島大学第2外科に勤務。1989年、協力隊としてマラウイへ。

大学病院の指導教授からも「行ってこい。でも、帰ってこいよ」と言ってもらえました。先進国への留学は奨励されても、途上国支援には教授の理解を得られないこともあります。私は恵まれていました。

1992年よりNPO法人AMDAの緊急人道支援に参加。

ルワンダ内戦難民やモザンビーク紛争後の帰還難民支援などに携わりました。アフリカでは戦争が終わったあとも危険なのです。元兵士が武器を持ったまま街に帰ってきてギャングになってしまうことも少なくありません。ゾッとする光景をたくさん見ました。

1993年、徳島で国際協力を考える会/TICOを設立。

帰国後の2年間は国内の病院で働いていましたが、「アフリカに戻りたいな」という気持ちが消えませんでした。

1999年、徳島県吉野川市にさくら診療所を開設。

私の父が開業医として診療所をやっていた場所です。私は当初、開業医ではなく心臓外科医を目指していたのですが、AMDAに参加して、国際協力を継続したい医師たちと開業しようと考えが変わりました。

2004年、TICOをNPO法人化。

現在、ザンビアへの心臓外科技術移転などをしつつ、農村への支援も引き続き行っています。世界的には気候変動の改善も急務です。ザンビアでも農地や燃料確保のために森林破壊が進んでしまっています。持続可能な農業や養殖を試行錯誤しているところです。

※1:AMDA…多国籍医師団を結成して、災害や紛争発生時に医療・保険衛生分野を中心に緊急人道支援活動を展開しているNPO法人。

※2:ルサカ市プライマリーヘルスケアプロジェクト…ザンビアの首都ルサカ市およびその周辺でJICAが行っていた技術協力。子どもの成長をモニタリングする活動と、住民参加の環境衛生改善活動を組み合わせた支援を行った。

Text=大宮冬洋 写真提供=TICO

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