[特集] 再派遣から任期終了まで
コロナ禍のハンデを乗り越えた先輩隊員

CASE2    一時帰国中も授業のネタを収集、再派遣後すぐに稼働できる状態に

八丁文子さん
八丁文子さん(中華人民共和国/日本語教育/2019年度2次隊・大分県出身)

PROFILE
はっちょう・ふみこ ● 琉球大学で日本語教育を専攻。卒業後、約5年間中国で生活する。ワーキング・ホリデーでニュージーランド、オーストラリア滞在、小学校の日本語指導員などを経験。大学院で修士号を取得したのち、協力隊に参加。2022年4月より大分県で日本語教師として勤務。

 

任務を全うするため焦らずに、好機を待つ

作文授業風景。同僚教員からも頼りにされた

作文授業風景。同僚教員からも頼りにされた

「自分では行けない場所で生活してみたかった」という八丁文子さん。大学で日本語教育を専攻し、これまでに日本語教師をはじめ、さまざまな仕事に従事しながら、中国、ニュージーランド、オーストラリアなどの国で生活してきた。実は、協力隊の応募は2度目。大学4年生のときに空手の指導で応募したが不合格だったという。

   20年近くを経て再挑戦。2019年11月、日本語教師として着任したのは中国南西部・貴州省凱里市の全寮制高校だ。約4000人の生徒の8割近くがミャオ族やトン族などの少数民族で、外国人を見たことがないという生徒も多い。

   初の外国人教師として、同僚や生徒たちから歓迎されたのもつかの間、赴任して約1カ月半後、新型コロナウイルス感染拡大による退避勧告が出された。高校は春節休み中で、遊びに行っていた同期隊員の家で連絡を受けた八丁さんは、スーツケース半分ほどの荷物を持って、いったん北京に退避した。

「同僚の先生に『いったん帰ることになった、ごめんね』という連絡だけしました。凱里市には感染者がいなくて、そのときはお互いすぐ戻れるだろうと思っていたのです。それが、世界中の隊員が帰国することになって、だんだんとこれはすぐに戻れないかもという雰囲気になりました」

   日本に一時帰国してからは、大分県にある実家に戻り、外国にルーツを持つ人たちの面接の通訳や子どもたちの学習支援のボランティアをして過ごした。再赴任後の授業で使えるようにと、お正月飾りやどんど焼き、春の桜、夏の七夕など、日本文化がわかるような写真や動画も撮りためた。

手作りのおみくじ。

手作りのおみくじ。割り箸をおみくじの棒にし、チョコレート菓子の六角形の箱に画用紙を張って、おみくじを入れる箱を作った

「焦りはなかった」と当時を振り返る八丁さんだったが、半年以上経過すると、日本で就職したほうがいいのではという思いがよぎるようになった。面接の通訳を手伝った学校からは、正式に働いてほしいと声がかかった。「再赴任したいけれど、地元で希望の職に就けるチャンスは少ない。再赴任するか迷っているとVC に伝えました」。

   迷っていたのにはもう一つ理由がある。35年間続いた日本の対中政府開発援助(ODA)が22年3月で終了し、協力隊の派遣もこれで最後となるからだ。待機を選んでもこのまま活動終了となる可能性もある。

「後悔したくないからぎりぎりまで再赴任のチャンスを待つことにしましたが、もっと遅くなっていたら諦めていたかもしれない。それはもうタイミングや運としか言いようがないですね」

   結局、再派遣が決まったのは20年12月。大連で3週間、貴州で1週間の隔離期間を経て、21年1月に赴任先に戻ることができた。

   過酷な受験戦争で知られる中国の日本語入試問題では、文法や読解のみならず、日本の文化や常識についても問われる。再赴任後の八丁さんは生徒たちから知りたいことや興味があることを聞き、授業に生かした。

   ほかに、初の試みとして、動画のやりとりで日本の公立小学校と交流を図った。オンライン環境が整っていなかったため、リアルタイムではなく、生徒たちの学生生活をスマホで撮影し、パソコンで編集したものを日本に送った。「動画編集は初めてでしたが、同期隊員にやり方を教えてもらって挑戦しました」。

   ほかの先生が受け持っていた生徒の作文を添削したことがきっかけで、途中から作文の授業も追加された。

「添削したものを授業でフィードバックしたら喜ばれて、『継続してほしい』と頼まれたのです。受験対策を踏まえた授業にするため、中国の大学入試要項も全部調べました」

   一方、授業とは別に、大多数を占める英語クラスの生徒を対象にした「日本語クラブ」を発足させた。交流しながら日本文化への興味が深められるよう、日本のアニメのセリフを文字起こししてアテレコしたり、食堂を借りて白玉だんごを作ったりして楽しんだ。

手作りのふくわらい。鬼やおたふく、人気アニメキャラクターの顔などで作った

手作りのふくわらい。鬼やおたふく、人気アニメキャラクターの顔などで作った

「初めからあれもこれもやりたいと意気込んでも現地の先生たちは困惑しますよね。授業を見て、認めてもらったうえで、『これもお願い』と任せてもらえたのはよかったと思います」

   本来の任期は21年11月末までだが、八丁さんは22年1月の春節に入るまで活動。コアラの形をしたチョコレート菓子が入っていた六角形の空き箱と割り箸で作った「おみくじ」、同期隊員と共作した「五十音かるた」、日本文化の紹介動画など、授業で使った教材や動画、そして中国の生徒のために日本の小学生が作ったお守り、すべてを託して日本に帰国した。

   この春からはずっと待ち続けてくれた地元の学校で働く八丁さん。中国の同僚からは、日本語クラブの継続が決まったという嬉しい知らせも届いた。何事にもポジティブな姿勢で取り組んできたからこその結果に違いない。

「ポジティブというより諦めと受け入れだと思います。やりたくてもやれなかったこともありましたが、それも相手の考えや事情があってのこと。今回、中国の人たちと出会い、いろんな考えを知り、相互理解について一層考えるようになりました。大切なのは相手を理解しようとする気持ち。これからも日本語教師として、『この人なら理解してくれる』と思ってもらえるような存在になれたらと思います」

八丁さんの活動期間と気持ちの変化

2019年11月29日派遣国到着。中国語が話せたため、北京での語学訓練は約2週間で終了。
「ただ、凱里市はなまりのある人が多く、最初の頃は年配の先生が何を話しているかわかりませんでした」

2019年12月13日から任地へ。1カ月半ほどで春節のため学校が春休みに。
「生徒にはリラックスして日本語の楽しさを知ってもらおうと思いました」

2020年1月29日に新型コロナウイルス感染拡大のため緊急帰国。
「GWくらいには戻れるだろうと思っていました」

「待機」を選び、外国にルーツを持つ子どもたちの面接の通訳や学習支援ボランティアなどをしながら再赴任の決定を待った。
「夏以降は日本で働くことも視野に入れ始め、ぎりぎりまで悩みました」

2020年12月23日から1カ月の隔離生活を経て、2021年1月21日に再赴任。
当初は11月末までの任期だったが、2022年1月の春節に入るまで活動し、任期終了。

後輩隊員へのメッセージ

どんなときも焦らないこと。焦ったり、気負いすぎたりすると自分が苦しくなるだけです。日本語教師は自分が持っているものしか学生に提供できないので、今までの経験や価値観に固執せず、できるだけいろいろな経験を積んだり、授業の準備をしたりしておくといいと思います。たとえ現地で使えなくてもいつか役に立つはずです。

Text=秋山真由美    写真提供=八丁文子さん

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