派遣国の横顔   ~知っていますか?
派遣地域の歴史とこれから[パラオ]

1994年に独立したパラオ。世界遺産の美しい海と暖かい気候が魅力の国です。
協力隊の派遣は今年7月で25年を迎えます。

パラオ

パラオの基礎知識

  • 面積:488平方キロメートル(屋久島とほぼ同じ)
  • 人口:18,092人(2020年:世銀)
  • 首都:マルキョク
  • 民族:ミクロネシア系
  • 言語:パラオ語、英語
  • 宗教:キリスト教

※2022年2月25日現在
出典:外務省ホームページ

派遣実績

  • 派遣締結日:1996年8月29日
  • 派遣締結地:コロール
  • 派遣開始:1997年7月
  • 派遣隊員累計:288人

※2022年4月30日現在
出典:国際協力機構(JICA)

日本との歴史的な絆の深い小さな島国

日本が第2次世界大戦の終わりまで統治し、戦争末期には日米の激戦地となった重い歴史もある国、パラオ。協力隊のパラオOVで、現在、JICAパラオ事務所員の伊藤藍子さんに話を聞いた。

お話を伺ったのは
伊藤藍子さん
伊藤藍子さん

PROFILE

JICAパラオ事務所員。大学の教員養成課程(算数教育)在学中にオーストラリア留学や日本在住の外国人コミュニティでのボランティアなどを経験し、新卒で協力隊に参加。帰国後は小学校の非常勤講師を経て、2007年からパラオの旅行会社に勤務。20年8月から現職。

世界遺産となっているロックアイランド。大小400以上もの無人島が点在する(伊藤さん提供)

世界遺産となっているロックアイランド。大小400以上もの無人島が点在する(伊藤さん提供)

   パラオ共和国(以下、パラオ)は日本の真南約3000キロの太平洋にある大小約600の島で構成され、屋久島ほどの面積に約2万人が暮らしている。

   日本による委任統治の始まりは1914年。第1次世界大戦により、パラオを含むミクロネシアのドイツ領を引き継ぎ、第2次世界大戦終結まで31年間統治した。旧首都コロールには南洋庁の本庁が設置され、教育から産業育成に至るまで南洋統治の中心地となり、パラオ人の約3倍の日本人が住み、パラオの言語や文化に大きな影響を与えた。そして、第2次世界大戦の末期には日米の激戦地となり、多数の戦死者を出した。一方、南部のペリリュー島では日本軍は島民たちを脱出させて守ったという逸話があり、親日のゆえんの一つとされる。戦後70年の2015年には、上皇・上皇后両陛下(当時は天皇・皇后両陛下)がこの島を慰霊に訪れた。戦後、パラオを含むミクロネシアは1947年に国連の信託統治領としてアメリカの統治下になり、93年にアメリカとの自由連合盟約(*)を住民投票で承認し、94年に独立を果たした。日本は独立以前から開発協力を行い、国際空港ターミナルをはじめ、日本・パラオ友好の橋、コロール市内の主要な道路などインフラ整備に貢献した。

学校の文化発表会で踊りを披露する子どもたち(伊藤さん提供)

学校の文化発表会で踊りを披露する子どもたち(伊藤さん提供)

   JICAパラオ事務所の開設と協力隊の派遣は97年で、今年は共に25周年。第一陣の派遣となった野球、陸上競技、看護師2名の計4名に続き、算数教育やスポーツ、保健医療、環境、インフラ管理などの分野で、288人が派遣されてきた。近年は肥満対策と予防のため、学校給食の改善や運動を指導する隊員もいる。「隊員の活動は高く評価され、活動終了後は配属先に雇用されてパラオに残るケースも少なくありません」。2021年に日本政府から叙勲された藤勝雄さんもその一人。シニア海外ボランティアとして04年に派遣され、国唯一のリサイクル処理施設の運営に携わり、任期後は州政府コンサルタントとして同施設を拡充させた。

「パラオは協力隊派遣国のなかではかなりユニークな国。日本との時差がなく、テレビでNHKを見ることができ、日本の食品も豊富にあります。日本由来の言葉や作法が生活に溶け込み、ラジオからは演歌も聞こえてきて、まるで日本の離島にいるような気分になります」

   また、人口の少ない国であるゆえに人とのつながりが強いことも特徴だ。「ホームステイをすると、その家族の一員として親戚や地域からも受け入れられます。パラオ語も覚えられ、コミュニティでの活動もしやすくなるため、お薦めしたいです」

*自由連合盟約…米国の統治から独立する際に、米国との間に結ばれた盟約。米国から財政支援を受ける一方で、国防と安全保障の権限を米国に委ねる。

Text=工藤美和 プロフィール写真提供=伊藤藍子さん

知られざるストーリー