派遣国の横顔   ~知っていますか?
派遣地域の歴史とこれから[パラオ]

算数とスポーツで人材育成に貢献

パラオの初等算数教育分野の協力に関わった3人のOVと、パラオ人選手を東京2020オリンピック出場につなげたOVを紹介する。

廣瀬留美子さん(旧姓  山本)
廣瀬留美子さん(旧姓 山本)
小学校教諭/2003年度1次隊・沖縄県出身

PROFILE

大学の教員養成課程(算数教育)卒業後、約3年、塾講師などを務めたのち、協力隊に参加。帰国後は大学院で国際社会学を専攻し、パラオの子どもたちと社会について研究。パラオOVの夫の仕事に伴い、パラオ、ザンビア、高知県で生活。中学校の不登校支援員、高知県国際交流協会(南米の日系研修員担当)、JICA四国の国際協力推進員を経て、2022年4月から高知県外国人生活相談センター相談員。

森迫辰夫さん
森迫辰夫さん
SV/数学教育/2016年度2次隊、SV/マーシャル/数学教育/2019年2次隊・大分県出身

PROFILE

宮崎県の高校で38年間数学を教える。定年前にシニア海外ボランティアに応募するも、数学教育に求められるハイレベルな英語力が壁となり不合格に。定年後は地元のシルバー人材センターで働きながら英語学習を続け、足かけ4年、6回目の受験で合格。パラオの後はマーシャルにも派遣されたが、新型コロナウイルス感染拡大のため、2020年3月に一時帰国し、再派遣を待つ。

本多美月さん
本多美月さん
陸上競技/2017年度1次隊・愛知県出身

PROFILE

小中学校で新体操、高校・大学と陸上競技に打ち込む。大学ではスポーツ科学を専攻。大学卒業後、1年間の非常勤講師を経て、協力隊に参加。帰国後は茨城県常陸大宮市の任期付職員を経て、2021年から愛媛県今治市をホームタウンとするプロサッカークラブFC今治の運営会社・株式会社今治.夢スポーツに勤務。

   1997年に始まったパラオへの協力隊派遣で人数が多いのが教育文化部門だ。これまでの派遣人数の約3分の1を占める。当初は体育教師を派遣していたが、生徒たちの算数の学力の低さに気づいた隊員たちが自発的に算数の授業を行ったことが教育省で高く評価され、以来、初等算数教育に重点を置いた支援が続いている。

伊藤さんが教えた生徒。手を使って計算問題を解いていた(伊藤さん提供)

伊藤さんが教えた生徒。手を使って計算問題を解いていた(伊藤さん提供)

   2003年、廣瀬留美子さんはパラオで一番大きなバベルダオブ島最北にあるアルコロン小学校への初めての隊員として派遣された。パラオの義務教育は、8年制の小学校(日本の小学校1年から中学2年まで)と4年制の高校(同じく中学3年から高校3年)からなる。廣瀬さんは、7、8年生に算数を教えることとなったが、8年生に対し実施した基礎学力テストで驚いた。

「四則計算で両手両足を使い、それでも足りないと、紙に棒を書いて数える生徒が多かったんです」

   廣瀬さんは、低学年で学ぶ四則計算の基礎から教えようとしたが、授業についていけない生徒たちのおしゃべりが絶えず、定期テストではカンニングをする生徒も多かった。いわゆる学級崩壊の状態で、教える自信をなくしてしまった廣瀬さんは、半年たった頃に校長に相談し、低学年に担当を替えてもらって活動した。

   1年後にコロール州のミューンズ小学校に派遣されたのが伊藤藍子さん。この学校にとって2代目の隊員で、低学年に基礎を教え、高学年の授業では教員をサポートした。

放課後、授業でわからなかったことを聞きに来る生徒に教える廣瀬さん(廣瀬さん提供)

放課後、授業でわからなかったことを聞きに来る生徒に教える廣瀬さん(廣瀬さん提供)

「当時は、公用語の英語が身についていないうちにアメリカの教科書を使って算数を教えていて、生徒は混乱して理解が進まないという事情もありました。計算練習が少なくやり方が身についていないうえ、小学校高学年以降は授業で電卓使用が許されるため、先生自身も算数を苦手としていました」

   伊藤さんによると、この問題は現在も続いているという。「原因は、まず、教員採用試験がないこと。当時小学校の先生は、校長が地域で人材を探してきて学校で教えてもらうのが一般的で、ほとんどが高卒です。教員の給料も安く、教え方を知らない先生や、教える意識の低い先生がほとんどでした」。

   こうした状況でどのように生徒の学力を上げ、先生の指導力の向上にも取り組むのか。小学校教諭隊員と教育省に派遣されている隊員による「算数部会」が始まった。

「数の概念や計算を視覚で理解できるよう教え方を工夫する、英語版の九九を毎授業の始めに暗唱させる、百ます計算やプリントを繰り返し行うという各隊員の取り組みを共有したり、各学年のカリキュラム構成を検討して教育省に提案したりしました」(同)。

算数に親しむ工夫を積み重ね
マス・ヒーローを生んだ算数部会

   その後、算数部会は、代々の隊員が活動を引き継いでいき、研究授業やワークショップの実施、教材作成などをしていった。

   ベテランの数学教師である森迫辰夫さんは定年退職後の16年に協力隊に参加し、教育省に派遣された。代々、教育省に派遣されたシニア隊員は、教育省の同僚と共に各学校を巡回しながら教員へ助言や提案、模擬授業を行い、指導法の改善のための研修会の実施やカリキュラムの制定・改定に取り組むと共に、算数部会による提案を教育省につなげる役目を果たしてきた。森迫さんに廣瀬さん・伊藤さん以降のパラオの算数教育の実情を伺ったところ、隊員らの試行錯誤の様子が見えてきた。

討論会を行った高校生と高校の先生、討論会を見に訪れた教育大臣、手伝った協力隊員たちと (森迫さん提供)

討論会を行った高校生と高校の先生、討論会を見に訪れた教育大臣、手伝った協力隊員たちと (森迫さん提供)

   05年派遣の隊員たちが中心になって作った小学校1年生用の算数テキストと教師用指導書があるほか、18年には「マス・ヒーロー・ドリル」という各学年のレベルに分けた計算ドリルをマニュアルと共に完成させ、全公立小学校への配布を実現し、現場での積極的な利用につなげている。「マス・ヒーロー」とは、暗記やドリルで満点を達成できた生徒をそう呼んでクラスみんなでほめること。生徒に算数に親しんでもらえるよう工夫を凝らしてきたことがわかる。

   一方で、森迫さんがパラオの全公立学校(小学校18校と高校1校)を視察して感じたのは、学校や学級運営が弱いことだった。「職員会議がないため、同じ学校にいる先生たちが一緒になって学校の方針や目標、課題を考えたことがない。『学力を伸ばそう、指導法を良くしよう』と、外国人ボランティアが働きかけても限界がありました」。

   そこで森迫さんは、算数教育の当事者である生徒と教員に「この国の算数教育の向上のために必要なこと」をテーマに討論してもらうことを教育省に提案し、高校と二つの小学校での開催にこぎ着けた。議論して、それらのアイデアをまとめるKJ法(*)を使った。

森迫さんが模擬授業を行う際に作った自分用のノート。
板書内容や話すこともすべて英語で書き込んで授業に臨んだ

森迫さんが模擬授業を行う際に作った自分用のノート。 板書内容や話すこともすべて英語で書き込んで授業に臨んだ

   小学校時代を振り返った高校生からは、授業中にスマートフォンを見てしまい勉強に集中しなかったという反省と共に、教員の能力不足が改めて指摘された。教員同士で議論した小学校からは「なぜ生徒が学習で苦労するのか、生徒の長所・短所や教え方について考えることができた」「自分の教室だけでは気づけなかった生徒の問題の原因や解決策を共有できてよかった」といった声が寄せられた。

   高校生によるまとめの発表を聞いた教育大臣は、「学力が上がらないのは子どもたちのせいではないことがわかりました。教える私たちがなんとかしなければならないと思っています」と森迫さんに話した。

「急に変わることは難しいですが、少しでもパラオの教育関係者に刺激を与えられていたら嬉しいです」(森迫さん)。

オリンピック選手指導から
パラオのホストタウン支援へ

   初等算数教育に重点が置かれたものの、その後もスポーツ隊員は派遣され、陸上や水泳などのパラオ人選手の国際大会での活躍に貢献している。

   17年にパラオ陸上競技協会に派遣された本多美月さんもその一人だ。大学4年まで陸上を中心に送ってきた競技生活に一区切りをつけたとき、東京オリンピック・パラリンピックまでに100カ国以上、1000万人以上の人々にスポーツの価値を届ける日本の官民連携の国際貢献プロジェクト「SPORT FOR TOWORROW」(*)を知った。

パラオの小学生向け陸上クラブで代表チームの選手たちに手伝ってもらって行った小さな競技会(本多さん提供)

パラオの小学生向け陸上クラブで代表チームの選手たちに手伝ってもらって行った小さな競技会(本多さん提供)

「なんらかの形で東京オリンピック・パラリンピックに関わりたいと思っていたので、『これだ』と思い、プロジェクトにも含まれていた協力隊に応募しました」

   パラオでは東京オリンピックを目指す代表チームの指導をはじめ、幼児や小学生への陸上競技の普及、コミュニティを対象にしたランニングやウォーキングイベントの運営を行った。

   ところが、陸上代表チームの選手と接してみると、練習時間に遅刻する、無断欠席をする、道具をきちんと管理しないなどが目立った。選手のスポーツに対するマインドの低さに驚いた本多さんは、道具の管理方法など環境整備の大切さを根気強く伝えていくことにした。同時に、日々の練習を重ねながら定期的に記録を計測し、選手たちが自分の成長を感じていけるように指導した。

   オフシーズンには選手たちにさまざまな種目にチャレンジする機会を設けた。「初めて棒高跳びを行ったときは環境が整っていないため、走高跳びのマット、砂場、竹を使いました。選手は最初こそ怖がっていましたが、次第に楽しんで取り組むようになりました」。

   そのほかにも、選手が全くいなかったハードルを中心に、跳躍、投てきなど幅広い種目の選手を育成した結果、18年7月の大洋州の国と地域による国際大会「ミクロネシア・ゲーム」では、ほぼすべての種目に選手がエントリーできたうえ、ハードルには5人の選手が出場し3個のメダルを獲得、4×100mリレーの金メダルを含め全種目合計で16個のメダル獲得を成し遂げた。

2002年に開通した、日本・パラオ友好の橋。パラオ共和国の旧首都コロール島とバべルダオブ島を結ぶ (伊藤さん提供)

2002年に開通した、日本・パラオ友好の橋。パラオ共和国の旧首都コロール島とバべルダオブ島を結ぶ (伊藤さん提供)

   その後、東京オリンピックにも関わった本多さん。18年6月に、パラオのホストタウンとなった茨城県常陸大宮市(*)での陸上代表選手5名の事前キャンプに同行し、その縁から、任期終了後に同市の任期付職員となりホストタウンの交流事業に携わった。

「パラオでは物事が計画どおりに進まなかったり、自分の考えていたように教えることができず、はらはらイライラすることが多かったのですが、パラオの人の考え方や働き方に触れ、人と人のつながりや心の豊かさが大切だと思うようになり、柔軟に対応できるようになりました。そして、パラオの人たちがのびのびと運動を楽しむ姿は、競技をする者にとって大切な原点を思い出させてくれました」

   

*KJ法…文化人類学者の川喜田二郎氏がデータをまとめるために考案した手法。データをカードに記述し、  カードをグループごとに集約し図解し、まとめる。共同での作業に用いられ、創造的問題解決に効果があるとされる。

*SPORT FOR TOMORROW…2014年から20年までの7年間で、世界のよりよい未来のために、開発途上国をはじめとする世界のあらゆる世代の人々にスポーツの価値とオリンピック・パラリンピック・ムーブメントを広げていく取り組み。

*茨城県常陸大宮市…戦時中、ペリリュー島に派遣された部隊の一つが水戸歩兵第2連隊だったため茨城県出身の戦死者が多く、 同市出身者も75名いた。戦後、慰霊訪問に始まる交流が続き、ホストタウンとなった。

活動の舞台裏①

ずぶ濡れになりながら日本の被災者へ募金活動

   2018年7月、パラオ教育省のオフィスにいた森迫辰夫さんは、教育省前の道路でドライバーに募金を促す声に気づいた。「よく聞いてみると、その1週間前に起きた西日本豪雨災害の復興支援のための募金活動をパラオ赤十字社の人たちが行っていたのです。日本の被災者のために頑張っている姿を見たら、居ても立ってもいられなくなって、私も参加させてもらいました」。

   パラオでの募金活動は日本とは違い、車のドライバーに声をかけていく。ドライバーはスピードを落とすか止まってお金を渡す。その間渋滞しても文句が出たりクラクションを鳴らしたりはしないという。

スコールのなか、大声で西日本豪雨災害への募金を呼びかける警察学校の生徒たち (森迫さん提供)

スコールのなか、大声で西日本豪雨災害への募金を呼びかける警察学校の生徒たち (森迫さん提供)

   しばらくすると、警察学校の若者約20名が隊列を組んで歩いてきて、募金活動を手伝い始めた。途中、急なスコールに見舞われても、募金活動は止まらなかった。ずぶ濡れになりながら、雨の音にかき消されないよう大声でドライバーに叫んでいた。「その姿を見たら嬉しくて嬉しくて、涙と雨で私もずぶ濡れになりました」。

   ドライバーが森迫さんに手渡した金額だけで約500ドル(約5万5千円)になった。「日本ではこんなに集めたことはなくて驚きました。日本を思うパラオの人たちの気持ちに触れ、私ができるパラオへの恩返しは何だろうと今も思います」。

活動の舞台裏②

「キンタロウさん」と「カトウサン」日本の響きを持つ名前

   パラオには、イチロウ、ヒロコ、キミコと日本語の響きを持つ姓名の人がいる。「キンタロウ」「マサオ」は日本では名前だがパラオでは名字の場合もある。

おしゃれをして「シューカン」に出席したママさん(廣瀬さん提供)

おしゃれをして「シューカン」に出席したママさん(廣瀬さん提供)

   廣瀬さんや伊藤さんの隊員時代、教育大臣の名字は「カトウサン」。「サン」までが名字で、「ミスター・カトウサンでした」(廣瀬さん)。元々、パラオに姓はなく、日本やアメリカなど統治を受けた国の影響を受けて姓を名乗るようになったそうだ。「日本人の血を引くためそうした名前を持っているわけではなく、パラオでは家系を大切にするため祖先から名前をもらうことが多く、昔の人が統治時代に先生やお医者さんなど尊敬する人や親しかった人と同じ名前を子どもにつけ、今でもその名前が引き継がれているからだと思います」(伊藤さん)。寺社などにある石灯籠を由来とする「イシドロ」さんもいて、「耳心地が良いからつけたという話も聞きました」(廣瀬さん)。

   名前のほかにも今もパラオ語のなかに日本語に由来する言葉が残っており、日常会話で使われる日本語の語彙は約2割にもなるといわれている。冠婚葬祭などの伝統行事を意味する「シューカン」もその一つ。「お葬式と第1子出産を祝い母体回復を祈るベビーシャワーの二つが大きな『シューカン』で、一族総出で行います。世界でこれほど日本の名前や日本語が使われている国があるのは日本人にとって驚きの事実ではないでしょうか」(伊藤さん)。

Text&Photo(森迫さん顔写真、森迫さんのノート)=工藤美和 プロフィール写真提供=廣瀬留美子さん(旧姓 山本)、本多美月さん

知られざるストーリー