派遣から始まる未来
~進学、非営利団体入職や起業の道を選んだ先輩隊員

グローバル教育プロモーター

是永美夏子さん(旧姓:守屋)
是永美夏子さん(旧姓:守屋)
エジプト/青少年活動/2003年度3次隊・神奈川県出身





世界の子どもたちのためにできることを一緒に考えていく

   是永さんが貧困問題に課題意識を持ったのは中学生の頃。「不条理な状況に置かれている子どもたちを支援したい。その使命が自分にあるのではないか」と考え、これが自身のキャリアの軸になった。学生時代に開発経済学を学ぶと共にベトナムでストリート・チルドレンへの支援に携わり、銀行に入行して社会人経験を2年積んだのち、2003年に協力隊に応募する。

   当時、エジプトでは貧困や家庭の事情から多くの子どもたちが路上生活を余儀なくされる過酷な状況に置かれており、派遣先のNGOはカイロ郊外に入所・通所支援施設を創設し、3歳から15歳までの子どもたちを保護する支援をしていた。

協力隊時代。エジプトのストリート・チルドレン保護施設の子どもたちと一緒に

協力隊時代。エジプトのストリート・チルドレン保護施設の子どもたちと一緒に

   NGOからの要請は子どもたちへのアクティビティ提供であったが、詳細までは決まっていなかった。そこで、是永さんはニーズを探り、これから社会で生きていく一人ひとりに基礎教育が欠かせないと考え、教育プログラムの開発と提供を提案する。施設長の賛同を得て、すぐに是永さんはカリキュラムの開発に取り組み、NGOのソーシャルワーカーと役割を分担し、アラビア語の読み書き、計算、音楽、美術、運動などの学びを子どもたちに提供していった。学習の経験がなかったことから、当初は子どもたちに戸惑いもあったというが、是永さんがコーディネート役を務め、子どもたちの反応を見ながら調整していくことで、一人ひとりが学び、楽しみ、成長していく取り組みが根づいていった。

協力隊時代。ストリート・チルドレン保護施設で時間割の説明をしているところ

協力隊時代。ストリート・チルドレン保護施設で時間割の説明をしているところ

   任期を終えたのち、是永さんはイギリスのサセックス大学の大学院に進学して国際教育学を研究する。「貧困と教育の課題を根本から解決するにはどうすればよいか。現場での実践を研究することで解決策を見いだしたい」と、ストリート・チルドレンのための教育カリキュラムの研究に取り組み、1年で国際教育学の修士号を取得した。

   そして、この直後に課題解決に向けた実践に取り組むこととなる。当時、ストリート・チルドレンや働くことを余儀なくされている子どもたちに教育の機会を提供していく学校事業「フレンドリースクール」がエジプトで始まっていた。フレンドリースクールはユネスコ(※)とエジプト教育省、現地NGOの三者が協働して推進するプロジェクトだ。是永さんは国連ボランティアとして採用され、ユネスコのカイロ事務所にプロジェクト担当として派遣された。

ユネスコ時代。モバイルスクールプロジェクトではNGOと日本の助成事業を是永さんがつなぎ、移動式の学校の開発などを行った

ユネスコ時代。モバイルスクールプロジェクトではNGOと日本の助成事業を是永さんがつなぎ、移動式の学校の開発などを行った

   カイロの都市部ではNGO内に設置された教室での事業が動きだしていた。是永さんのミッションは遠方に住んでいて既設の学校に来られない子どもたちに教育を届けること――その手段として「モバイルスクール(動く学校)」を創り出すことを一任された。多分野の人たちと協働し、財源確保、バスをベースにした教室の開発、子どもたちが働く工場などへの働きかけを行った。こうして始まったモバイルスクールプロジェクトで子どもたちは学び、小学校修了資格を得られるようになった。

   多くの人たちと協働してモバイルスクールを形にし、子どもたちを社会に包摂するミッションを果たせたことに是永さんは喜びを感じている。

「国連ボランティアを目指すのであれば、語学力に加え、関連する機関に出向いていき、自分が何に興味を持ち、何ができるのか、自分をアピールすることが大事だと思います」。是永さんは次の目標を早期に決め、勉強や準備をして志望先にアプローチしていき、活動の場を切り開いていった。

現在は日本の小・中・高校に出向いてJICA出前講座を行う活動も

現在は日本の小・中・高校に出向いてJICA出前講座を行う活動も

   国連ボランティアを2年間、その後にユネスコと個人で契約を結んで1年間コンサルタントを務めたのち、是永さんは日本に帰国し、小学校の教員を3年間務めるなどし、現在は自身の役割をグローバル教育プロモーターと位置づけ、国際理解教育の推進に取り組んでいる。

「国際協力×教育が私のキャリアの軸であり、この根幹にはユネスコ憲章があります。相互理解、国際理解教育を継続していくことで、より平和な社会を創ることに貢献したいと考えています」

   学校や地域に出向き、協力隊や国連ボランティアでの経験を伝え、世界の子どもたちのために私たちに何ができるのか、子どもや大人と一緒に考える取り組みを進めている。

是永さんの歩み

大学卒業後に銀行で法人営業に携わる。入行2年目に退行。2003年に協力隊に応募し、エジプトに派遣される。

「プロジェクトファイナンスなどで銀行員として国際開発に携わる道も考えましたが、すぐにでも現地で国際協力に携わりたいと思い、協力隊に応募しました」

協力隊活動ののち、2006年にイギリスのサセックス大学の大学院に進学。

「国際機関で働くためには専門性が必要と考え、修士号を1年で取得できるイギリスに絞り、国際開発学が充実しているサセックス大学に進学しました。留学に向けた勉強や準備は協力隊の活動中も続けていました」

2007年、国連ボランティアに採用される。

「この公募は私が大学院で研究していたプロジェクトでした。応募時に、協力隊での活動、アラビア語を話せること、大学院での研究、赴任先のプロジェクトを調査したことなどをアピールしました」

ユネスコのカイロ事務所で、国連ボランティアとして2年間、その後にコンサルタント契約を個人で結び1年間、プロジェクトに携わる(計3年間)。

「問題意識を持ってミッションに取り組み、自ら企画し、いろんな人を巻き込み、多分野の人たちと協力してプロジェクトを進めていく協力隊での現場経験が役立ちました」

2013年から神奈川県川崎市と東京都の小学校の教員に。

「30代になり、自分がどう生きるか、誰にどう貢献していくか考え、日本の子どもたちに還元できる方法はないかと考え、帰国後に教員を目指しました」

2016年からグローバル教育プロモーターとして活動。

「国際理解教育は学校だけではなく地域でもできると思います。継続していくことで、より平和な社会を創ることに貢献したいです」

Text=久保田裕之 写真提供=是永美夏子さん

※ユネスコ…国際連合教育科学文化機関(UNESCO)

知られざるストーリー