帰国後、内定までの就職活動の方法を聞きました。
就職先:国際医療福祉大学
事業概要:全国五つのキャンパスに10学部25学科、さらに病院・福祉施設を持つ医療福祉の総合大学。社会福祉・医療分野で活躍する人材を育成している
「人との出会い、つながりが、今の僕の仕事に結びついています。縁は大切にすべきだと実感しています」
そう振り返るのは、大学で教員として働く沢谷洋平さん。沢谷さんが理学療法士として協力隊に参加したのは、自身が大学生のときの教員と同級生に協力隊OVがいたことから、協力隊に興味を持ったことがきっかけだった。
帰国後に大学院進学を決めたのは、任地での経験が大きい。配属先の病院では理学療法士として患者の診療に当たっていたが、そこで自身の知識の足りなさを痛感したという。
「小児から大人まで、日本では経験したことのないすべての領域の患者に対応しなければならず、知識の限界を感じました。将来、海外で国際協力の仕事をするなら、修士号を取得しておくべきという思いもありました」
国際医療福祉大学大学院を選んだのは、大学の教授へ向け、返事を期待せずに送ったメールに返信があり、大学付属の高齢者施設で理学療法士として働きながらの通学を提案されたためだ。
「そこまで考えていなかったのですが、だったらそうしよう」と即決した。
大学教員としての現在の仕事も、協力隊OVでもある大学教授との不思議な縁からつながった。
「即決を迫られることが多いのですが、決断の速さが、結果として功を奏していると自分では思っています」
現在は、大学で学生を指導する一方、大学付属施設で高齢者の運動機能の研究を行っている。
「僕が学生時代の出会いをきっかけに協力隊に参加をしたように、教え子のなかから将来、協力隊に参加する学生が出てきたら嬉しいですね」
将来は海外で国際協力の仕事をしたいという思いにも変化が生まれた。
「途上国もいずれ、日本のように高齢化社会を迎えます。そのときに僕が書いた論文が役立つかもしれません。英語論文を書くことで、日本にいながら国際貢献をしたいと思っています」
ムナジモジャ病院での理学療法
ザンジバルの理学療法士養成校の学生と
配属先はウングジャ島ザンジバルにある唯一の国立病院です。要請内容には、患者に対するリハビリ指導のほか、リハビリ部門の整備や改善、スタッフの指導などがありましたが、理学療法士が慢性的に不足しており、実際にはマンパワーとして患者を診療することがほとんどでした。配属先の病院はヨーロッパや中国を中心に他国の支援を受けており、私を含め多くの外国人ボランティアが活動していました。そのせいか、病院の職員は「ボランティア慣れ」していて、ボランティアがいると仕事を任せて働かないこともありました。協力隊員の自分がマンパワーとして活動しているだけでよいのか葛藤もありましたが、自分は協力隊員である前に理学療法士であるという基本に立ち返り、患者のことを第一に考え活動することにしました。日本の病院では高齢者の理学療法がほとんどでしたが、現地では乳幼児から高齢者まで幅広い年齢層の患者を担当し苦労した記憶が鮮明に残っています。また、任期中にザンジバルに理学療法士を養成するための3年制の大学が開設され、病院の理学療法士が講師を務めることになりました。私にも病院から声がかかり、任期後半は病院の活動と並行して大学で運動学の授業を20回ほど担当しました。
帰国後は大学院で理学療法について改めて勉強したいと考え、帰国する数カ月前に、まったく面識のなかった国際医療福祉大学の教授に、ホームページ経由でメールを送りました。現在、協力隊員としてタンザニアで活動していること、帰国後は大学院への進学を検討しているという内容だったと記憶しています。返事も期待せずに送ったのですが、10分後に教授から返信がありました。そこには、大学には関連の病院・施設が複数あり、そこで働きながら夕方以降に大学院で学べること、そして、もし興味があれば履歴書を送るようにと書かれてありました。メールを送った段階では働くことは考えていなかったのですが、その返信を読みすぐに「よろしくお願いします」と返信し、履歴書を送りました。就職活動といえるものは、これだけです。
帰国の2カ月後、大学が運営する介護保険領域の通所リハビリテーション施設「にしなすの総合在宅ケアセンター」で、理学療法士として働き始めました。翌2016年4月に大学院に進学してからは、昼間はケアセンターで理学療法士として働き、夕方以降は大学院やオンラインで理学療法学を勉強しました。
大学院は修士課程を終えた2018年3月で卒業するつもりでいました。その後の進路について、国際協力の仕事にも興味があったため、協力隊のOVでもある大学の教授に相談しました。そして、2時間ほど雑談をしたあとに、「大学の教員はどう?」と聞かれました。私も深く考えず「話があればやってみたい」と答えました。すると翌朝、教授から「学科長に聞いたら採用すると言っている。今すぐ決めてくれ」という電話がありました。突然のことで驚きましたが、タンザニアで大学生に講義をしたときにやりがいを感じましたし、やりたいと思ってもやれる仕事ではないので、その場で「やります」と即答しました。そして大学の教員になるため博士課程への進学を決め、博士課程2年目から大学院と並行して教員として働き始めました。
国際医療福祉大学での授業風景
保健医療学部で、運動解剖学、高次脳機能障害学、運動学実習、PT(理学療法)スキルなどの科目を担当しています。また、大学院から継続して、「にしなすの総合在宅ケアセンター」のサポートを得て高齢者の運動機能などの研究をしています。今年4月には日本学術振興会の科学研究費助成事業(科研費)に採択され、さらに力を入れて取り組んでいく考えです。また、理学療法の授業とは別に、昨年から国際理解教育の授業を始めました。タンザニアで感じたことを含め、専門科目では学べない「人生の役に立つ授業」を目指しています。昨年の受講生は7~8人でしたが、今年は42人に増え、手応えを感じています。
今、多くの大学が国際理解教育に力を入れており、協力隊経験者は非常に貴重な人材です。進路に悩む理学療法士、作業療法士の後輩には、大学教員も選択肢の一つとして考えてみてほしいと思います。すべての隊員に伝えたいのは、チャンスは突然やって来る可能性があるということ。いつチャンスが来てもスピード感を持って決断できるよう、準備をしておくことが大切です。その決断がもし間違っていたとしても、やり直すことはできるので、迷ったときにはチャレンジしてみるのもよいのではないでしょうか。
Text=油科真弓 写真提供=沢谷洋平さん