どんな制度?
地域の人々と共に暮らしているJICA海外協力隊員たちには、さまざまな課題が見える。それを具体的に実現するためのサポートの一つが、(一社)協力隊を育てる会の「小さなハートプロジェクト」。学校の環境改善、井戸や水タンク、トイレなどの設置、障害者や女性のグループへの支援、文化や環境の保護など、600件を超える多彩なプロジェクトに支援してきた。送金額の上限は27万円。
「日本から来てお金を渡し、その場限りの支援になるのは嫌でした。だから、道路舗装の資金を支援してくれという要望はずっと断っていました」
荒井さんは協力隊派遣当初の気持ちを振り返る。派遣先はドミニカ共和国の山間にある80人ほどの山村。地元のNGOが造った温室での花の栽培や品質管理、販売をサポートしてほしいという要望だった。
しかし、実際の温室はコーヒー豆の栽培に使われており、その技術も販路も確立されていた。素人が手を貸す余地はない。荒井さんは女性グループと一緒にコーヒー豆でアクセサリーを作り、町中で販売する試みを行いつつ、「村のために何かできないか」を考え続けた。
「現地で暮らす時間がたつにつれて、骨折に至る重大事故が頻発する道路を舗装する必要を強く感じるようになりました。理想をかざすだけで目の前の問題を解決しない自分の姿勢はどうなのか、と思うようになったのです」
その道路とは、住民が教会に通ったりコーヒーを出荷したりする際に必要な村のメインストリートだ。急斜面に石がゴロゴロしている場所も多く、雨が降ると川のようになって危険だった。小さなコミュニティ内の道路のため、行政による舗装は期待できない。
住民との話し合いの結果、道路で最も危険な箇所を部分的に舗装することを決断した荒井さん。小さなハートプロジェクトを活用することにした。
「前提となったのは、村の人たちにコンクリートに関する技術があることでした。家やタンクを自分たちで造っていたので、職人を雇う必要はなく、すべてのお金を材料費に充てることができました」
小さなハートプロジェクトは「住民の参加協力や自助努力」を条件としている。住民が自らの手で舗装作業をできることは理想的だった。
申請時には「道路のメンテナンスはどうするのか」という指摘も入った。その場限りの支援は回避しなければならないからだ。この点をクリアする材料もあった。約10年前、住民たちが舗装した箇所があり、その部分は問題なく機能している。今回の舗装も長期的に住民の利益と安全に資するだろうと考えた。実績があるため、1日で何メートルぐらい舗装できて、材料費はいくらかかるのかも予測できた。
「申請には道路建設の専門家による評価も必要だったので、CPの人脈で紹介してもらいました」
住民全員が山道の舗装を強く求めていたため、作業スケジュールは心配がなかったと荒井さんは振り返る。
「僕のホストファミリーは夫婦そろって村のリーダー格。ホストファーザーは、行政とつながりがある有力者や大きな車を持っているキーパーソンに話をつけてくれました。ホストマザーは女性たちを集め、力仕事をする男性たちのための食事作り。まさに住民総出で作業しました」
コンクリートはセメント、水、砂、石から作られる。このうちの石に関しては有力者が環境省に話をつけて河原から採取できることに。その分だけ材料費が浮き、セメントの寄付もあり、予定よりも100メートルほど長い約290メートルの箇所を舗装できた。
「もちろん、すべてスムーズに事が運んだわけではありません。コンクリートミキサーが壊れてしまって人力で材料をかき混ぜたり、雨が降らずに川から水を引けなくなったり。それでも僕が任期を終えるまでに落成式を迎えられたのは、ホストファミリーを中心とした村の人たちとの協力体制がベースにあったからだと思います」
舗装の作業でも人一倍働くよう心がけていたと荒井さんは話す。書類を書いてお金を持ってくるだけでは、多くの住民との信頼関係は結べないと感じていたからだ。荒井さんが主導して舗装した道路は今日も住民の生活を支えている。
学校の敷地内で養鶏を行い、卵や鶏肉を販売したお金を学校の運営資金に充てる――。突飛な発想に見えるが、家畜が身近なケニアの農村地帯では「できる」と思えた。現地の市場では豚肉や牛肉よりも鶏肉のほうが高く売れるという勝算もあった。
2018年4月に小さなハートプロジェクトを申請した友永さん。プロジェクト名は「養鶏事業でHIV陽性・孤児の子供たちに教育のチャンスを! !」である。支援対象となったのは、地域の有志が3年前に設立した学校。孤児とHIV陽性の子供たちに無料で教育の機会を与えていた。
「その年の1月に知った学校です。本来の活動が軌道に乗っていたので、この学校にもやれることはないかと思っていました」
地域の保健事務所に配属され、医療サービスの向上を本来の業務としていた友永さん。精力的に活動してマラリア予防などの面で成果を上げていた。小さなハートプロジェクトに関しても企画調査員から聞いて知っていたが、お金が絡むことによる現地の「支援慣れ」を避けたいという気持ちがあった。この点では、ケース1の荒井さんと似ている。
「でも、訪問を重ねるうちに先生たちが低い給料のなかで必死に教育している姿を見ました。学校のマネージャーと先生たちに集まってもらってワークショップを開いたところ、根本的な問題はやはり慢性的な資金不足だとわかりました」
一時的な支援には終わらせない。そう決意した友永さんは関係者との話し合いを続け、小屋を建てて鶏のひなを購入することを発案した。学校運営の養鶏事業を行うのである。マネージャーが専門学校で養鶏を学んだという背景もあった。
ひなが親鳥に育って卵を産み始めるまでには約半年がかかる。その間はエサ代などのコストも含めてプロジェクトで賄い、その後は卵や鶏肉で得た収入のなかから経費を賄う計画である。また、卵を給食に出すことで子どもたちの栄養状態も改善できる。
実際には想定外のことが次々に起こったと友永さんは明かす。2階建ての平飼いの小屋を建設する予定だったが、清掃が大変だとあとから指摘されてケージ飼いに変更。夜間の盗難防止のために防犯アラームシステムの導入も必要になった。
当初はひな100羽から始める予定だったが、建設費用がかさんでしまったために70羽に削減。半年間はエサ代というコストがかかることを考えると妥当な数だった。「ケニアの人たちは良くも悪くも楽天的で『なんとかなる。神様が助けてくれるだろう』という精神です。校長先生は100羽から始めたいと主張したのですが、素人の私たちが最初から大きな投資をするのはリスクが高いと説明して、最後には納得してくれました」。
その後も誤算が続いた。購入したひなのうち半数がしばらくすると死んでしまったのだ。病気の予防接種をしたのになぜなのか。
原因はケージ内の衛生環境にあった。養鶏のアドバイザーの助言に従って床におがくずを敷いて温度管理を行っていたが、別のアドバイザーによるとそれではひなのふんが蓄積してしまうとのこと。おがくずを取り払って床に金属ネットを張り、ふんは下に落ちるように変更したところひなの死亡率は著しく低下した。
友永さんは鶏が卵を産むところを見届けることなく帰国することになったが、確認できた成果もあった。校長の学校経営姿勢が変わったことだ。「なんとかなるだろう」だけでなく、限られた資金のなかで最適な決定を論理的に下す。この姿勢は養鶏事業の計画表を友永さんが共有することで養われた。今後、新興国の雇用創出に関わりたいと考えている友永さんにとって大きな糧となる経験だった。
協力隊の活動期間は原則として2年間。小さなハートプロジェクトを申請するタイミングは「早いに越したことはない」と荒井さんと友永さんは口をそろえる。
18年4月に申請した友永さんは7月頭に支援金を得て下旬には養鶏小屋を完成させた。同時にひな70羽を購入し養鶏事業を開始するが、ひなが成長して卵を産むのは半年後。卵を産み終えた廃鶏を肉にして販売するのは18カ月後だ。友永さんの帰国予定は19年3月だったが、最初に購入したひなの多くが死んでしまったことなどもあり、卵を産むところまで見届けられなかった。
「あと3カ月、申請が早ければ卵を見られていたかもしれません。でも、広い地域で自分がやるべきことを自分で探すのがコミュニティ開発です。僕の場合は医療サービスの向上が本来業務でしたが、赴任した地域には15の病院があり、コミュニティヘルスボランティア(CHV)といわれる女性たちが200人以上活動していました。そのなかから適任者を見つけて協力を取りつけ、僕の帰国後も続くような支援を行わなければなりません。軌道に乗るまでに1年以上かかりました」
同じくコミュニティ開発でドミニカ共和国に赴任した荒井さん。道路の舗装という課題には、住民からの要望ですぐに気づいた。しかし、当事者意識を持って取り組むにはやはり1年間の現地滞在が必要だった。
「傾斜がきつくて石がゴロゴロしていて水はけの悪い山道です。私がいた間にも、学生がバイクで転倒して顔の骨を折る事故がありました」
暮らしながら問題の重大性を身に染みてわかった荒井さんは、「道路の課題感」を申請書で伝える工夫をしたと明かす。具体的には、雨の日には濁った川のようになってしまう道路や、その道路を子どもたちがバイクで通学している風景を写真に収めたのだ。
小さなハートプロジェクトには「住民の参加協力や自助努力」という条件がある。荒井さんがいたコミュニティは男性が自らの手でコンクリートを作り、家、タンク、道路舗装をしており、資材さえ購入できればいつでも舗装作業に入れるという環境があった。
一方の友永さんにも「学校運営のマネージャーが専門学校で養鶏を学んだ」という背景があったが、その人が養鶏小屋を建てられるわけではない。大工の人件費がかさみ、肝心の養鶏もアドバイザーの不正確な助言を信じたために失敗が続いてしまった。
学校の教師たちは教育のプロであっても養鶏には素人である。熱意はあっても事業の継続性には疑問が残る。
「帰国してからも『ヒヨコが死んだのでお金を送って』というメッセージをもらったことがあります。送るのは簡単ですが、正直言ってちゃんと養鶏に使われるのかわかりません。自分が現地にいれば、経費に領収書をもらって管理できるのですが……」
友永さんはより「スモールスタート」をすべきだったと感じている。教師たちとまずは数羽のひなを飼育してみることから始めれば、小屋の設計を間違えたり多くのひなを死なせてしまうことは避けられたかもしれない。より良い事業を思いついた可能性もある。
荒井さんと友永さんの事例から見えてくるポイントは、申請のタイミングではない。より重要なのは課題の本質をきちんと捉えて、その解決策を現実的に詰めることだ。荒井さんは、問題の多い山道のなかでも特に危険な場所に絞って舗装の計画を立てた。参加する住民の熱意と技術も十分で、一度造った舗装は10年以上保てることもわかっていた。
友永さんの場合は「学校の運営資金が慢性的に不足」という課題設定自体は間違っていない。しかし、学校関係者が養鶏で継続的な収入を得るという事業計画には無理があったのかもしれない。
帰国してからは、食品商社で輸出の仕事をしている友永さん。将来的にはアフリカでの起業にも興味がある。
「養鶏事業の管理・統括は僕にとっては大変有意義でした」
友永さんにも学校にも勉強になる経験だったのだ。
申請者は40歳未満のJICA海外協力隊員に限り、その申請は協力隊を育てる会が通年にわたり受け付ける。隊員の本来業務外のプロジェクトで、現地業務費の支出が不可能なものであることが原則。
協力隊を育てる会は、申請を受けてから審査を行い、支援団体や個人にお願いし、募金を行う。申請から送金までに3カ月から6カ月がかかることもある。その後プロジェクトに着手し、任期内に終了できるようにスケジュールを管理する。
期限内に支援者が見つからない場合や、送金が遅れて任期終了までにプロジェクトが終了できない場合は、プロジェクト取り下げを要請することもある。
Text=大宮冬洋 写真提供=ご協力いただいた各位