派遣から始まる未来
進学、非営利団体入職や起業の道を選んだ先輩隊員

NPO法人Yes, Deaf Can! 設立

廣瀬芽里さん
廣瀬芽里さん
ドミニカ共和国/青少年活動/2012年度3次隊・栃木県出身





起業を目指すろう者を金融の面から支援したい

「ろう者でも健常者と同じようにできるということを広めたいのです」

   聴覚障害のあるろう者の自立を支援し、健常者が抱くろう者への思い込みを改めてきた廣瀬芽里さん。自身も聴覚障害があるが、青年海外協力隊員としてドミニカ共和国で2年半の活動に従事した。活動を通じて、ろう者の支援には自立が必要だと痛感した。そこで協力隊から帰国後、事業を起こしたいろう者へのマイクロファイナンスを行う『Yes, Deaf Can!』(以下、YDC)を設立した。「飲食店やパン屋、屋台店を開くろう者の自立を支援する小口融資事業です」。

ドミニカ共和国での活動時の一コマ。配属先のNGOが運営する学校では、地域の貧しい家庭から80名の聴覚障害がある子どもたちを受け入れていた

ドミニカ共和国での活動時の一コマ。配属先のNGOが運営する学校では、地域の貧しい家庭から80名の聴覚障害がある子どもたちを受け入れていた

   YDCは2019年にNPO法人化し、現在融資第1号の準備中である。廣瀬さんがろう者の自立支援を思い立ったのは、ろう者にも健常者にもはびこる偏見を解きたかったからだ。13年にドミニカ共和国へ派遣されると、厳しい現実にさらされた。

   配属先はNGO東部福祉慈善団体が運営する「Hogar del Niño」(子どもの家の意)、ろう学校を併設する小中一貫校だ。ろう学校は普通校より奥まった場所で、両校の生徒の交流は乏しい。国旗の掲揚も別々なら健常者の制服にあるワッペンもろう生徒にはなかった。80名のろう生徒は不満を募らせていた。先生は健常者ばかりで手話の教え方もわからず、ろう者を理解できなかった(※1)。

「同じ人間なのになぜこんなに差があるの?」

NPO法人Yes, Deaf Can!のメンバーと。中央が廣瀬さん、その左に立つのが、ペギー•ブロッサーさん

NPO法人Yes, Deaf Can!のメンバーと。中央が廣瀬さん、その左に立つのが、ペギー•ブロッサーさん

   学校だけではない。廣瀬さんのホームステイ先のろう者家庭では、家族の無理解による引きこもり意識もあった。家族は、ろう者は仕事もなく、何もできないので家から出られないという。廣瀬さんはスペイン語の手話で伝えた。

「そんなことはありません、ろう者でも立派な人はたくさんいます」

   NGO幹部には、ろう者も健常者と同じ扱いをしてほしい、制服にはワッペンを、国旗掲揚は健常者と共にと訴えた。手話の講習会やチャリティイベント、マラソン大会を実施し、ろう者と健常者の壁を取り去る活動をした。

   さらに日本大使館の『草の根・人間の安全保障無償資金協力プログラム』で1000万円の支援金を得ると、職業訓練校の教室建築と、調理師や美容師、手話講師などを養成するコース設置費用に充てた。

2021年度のチャリティイベントでは、廣瀬さんらの講演や、開発途上国のろう者からの動画発信を行った

2021年度のチャリティイベントでは、廣瀬さんらの講演や、開発途上国のろう者からの動画発信を行った

「ろう者への考え方、環境は私がほとんど変えたといってもいいかな」

   任期を半年間延長して15年にドミニカ共和国から帰国すると、ろう者の知人でアメリカ人のペギー•ブロッサーさんと共に『Nadeshiko Yoriai(撫子寄合)』という日本人ろう者の生活向上を目指す団体を立ち上げ、代表として尽力。その傍ら、世界のろう者支援活動を具現化するべくYDCの設立も進めた。

「途上国にはろう者への金融面の支援策が乏しいからです」

   途上国の貧しい人への小口融資事業、マイクロファイナンスは健常者が主な対象で、しかも高金利をかけられる例もある。そこで廣瀬さんはろう者を対象に、無利子で少額を貸す事業モデルをつくった。資金はYDCが販売する商品やイベントの収益と寄付。早速手を挙げたのがカフェを経営するネパールの夫婦だ。

「コーヒー豆を手挽きしているのでお客様を待たせてしまう。電動の挽き機がほしいそうです」

   夫婦とは動画アプリで話す。夫婦は店の繁盛ぶりや、銀行が却下したローン申請書を見せた。売り上げ次第でろう者を雇うという。この熱心な夫婦への貸し付けを決めるため、今後ネパールへ視察予定である。

YDCの定期総会の様子

YDCの定期総会の様子

「物を寄付してくれる人もいますが、魚を寄付するのではなく、釣竿を寄付して魚を釣ってもらうのです」

   そんな廣瀬さんは、コロナ禍でオンラインで仕事ができると知り、東京から長野県安曇野市に移住を決めた。なぜ長野に?「ろう者のためのゲストハウスを建てたいと思っています」。

   世界中のろうの旅人が、日本の文化や農業を体験できる場を提供したい。廣瀬さんが将来つくる安曇野のゲストハウスの庭園には、ろう者も健常者も行き交う世界地図が広がるだろう。そこは常に各国手話や国際手話でとてもにぎやかな交差点になるのである。

廣瀬さんの歩み

ろう者であることが2歳で判明、両親が読話(※2)や日本語を教えた。学生時代にはバックパッカーとして欧州や南米をはじめとする世界各地を旅するなど、活発な青春を過ごす。

2002年にペギーさんと手話学校The Sign Language Intersectionを起業。

「アメリカ手話、スペイン手話、イギリス手話、ニュージーランド手話のクラスをつくりました。Intersectionは交差点という意味です」

2006年にダスキン愛の輪プログラムで海外派遣研修に参加(愛の輪プログラムは「撫子寄合」の運営も支援している)。

「アメリカのさまざまな会社を見学して、ろう者もできる!を確信しました」

2013年、青年海外協力隊でドミニカ共和国へ派遣。当初のブラジル希望はビザの関係で派遣国変更。

「語学訓練がポルトガル語からスペイン語になって苦労しました。駒ヶ根訓練所の某先生がとても厳しくて(笑)」

帰国後の2015年、ろう者の事業支援のYes, Deaf Can!を設立。19年にNPO法人となる。

「世界には4億6600万人のろう者や難聴者がいます。世界人口の5%以上。もっと多くの支援機関があってもいいはず」

※1…手話は、手•指•腕の動きなどの手指動作や、顔の部位や感情表現で伝える非手指動作で成り立つ。アメリカ手話(ASL)のほか、フランス手話やロシア手話、アラブ手話など各国手話があり、どの国のろう者も学びやすい、共通の補助語として国際手話(ISL)がある。

※2…読話は、話し手の口の動きや表情などから状況を推測して話の内容を読み取る方法。

YesDeafCan(ホームページ)

Nadeshiko Yoriai(ホームページ)

Text=りり~郷 Photo(廣瀬さんプロフィール)=ホシカワミナコ(本誌) 写真提供=廣瀬芽里さん 手話通訳=田口雅子さん

知られざるストーリー