古代文明で知られるエジプトは、人口1億人を超える中東・北アフリカ地域の大国。
協力隊は1996年の派遣開始からこれまで300人以上が派遣されてきた。
※2022年4月12日現在
出典:外務省ホームページ
※2022年8月31日現在
出典:国際協力機構(JICA)
中東・北アフリカ地域の平和と安定に重要な役割を占めるエジプト。 日本の協力や協力隊の活動はどのように行われてきたのか。前・JICAエジプト事務所長の大村佳史さんにお話を聞いた。
PROFILE
JICAアフリカ部審議役。民間金融機関を経て2001年に旧・国際協力銀行(一部門統合により現・JICA)入行。東南アジア部、企画部、財務部を経て、2018年からエジプト事務所長。中学生と高校生の2子を含めた家族で赴任した。今年3月から現職。
エジプトは人口1億人を抱える中東・北アフリカの大国で、この地域の平和と安定に、政治・経済面で重要な役割を果たしている。
日本との関係は、江戸末期の第2次遣欧使節団までさかのぼる。パリに向かう途中にエジプトに滞在した使節団は、世界で2番目に敷かれた鉄道に乗り、紡績工場などを視察。「西洋ではない国」の発展ぶりに驚きつつも親近感を持ち、明治以降の近代化の刺激になったとされている。
幕末に第2次遣欧使節団も訪れて記念写真を残しているスフィンクス。当時から重要な観光資源だった
エジプトはイギリスからの独立を経て、1952年に共和制に移行。イスラエルの建国で始まったエジプトを含むアラブ諸国とイスラエルの中東戦争は4次にもわたり、経済を圧迫。その後も長らく原油輸出と観光収入依存という産業構造から転換できず、結果的に若者の失業が深刻化、2000年代に「アラブの春(※)」を招くことになった。30年間続いたムバラク政権が崩壊して政情不安が続き、現在、2期目のエルシーシ政権が民主化を進めている。
日本の支援は1954年に開始。運河橋、風力・火力発電所、地下鉄、カイロ大学小児病院の建設や、大エジプト博物館、エジプト日本科学技術大学の設立が行われた。
教育も重点分野だ。アラブの春で浮き彫りになった若年層の高い失業率などの課題に対応すべく、「エジプト・日本教育パートナーシップ」を掲げ、経済・社会発展を担う人間性豊かな人材の育成を支援。就学前から高等課程まで、教育システム全体に包括的協力を行っている。
日本の対エジプト支援は専門性の高い事業が多かったためか、青年海外協力隊(以下、協力隊)の派遣は幾分遅く96年からだ。それでも、アラブの春による中断を挟みつつ、累計300人以上が派遣されてきた。主に幼児教育、保健、社会福祉、スポーツ、産業分野で貢献している。
街角でパンを売る少女
「日本にお願いしているのは、文化、教育、再生可能エネルギーの三つ。誰が文化や教育を他国に頼みたいものか。信頼している日本だから頼むのだ」
そんなエルシーシ大統領の言葉が印象に残っていると話すのは、2019年に経団連ミッションと共に同大統領と面会した大村佳史さんだ。大統領は大エジプト博物館の合同保存修復プロジェクトや隊員派遣が多い教育への協力を高く評価しつつ今後への期待を示したという。
「エジプトは平均年齢24歳と活気にあふれ、社会的課題が多い分、ポテンシャルは大きい。隊員の皆さんには、現地の人々と共に何が必要かを考え、自身の10年、20年後の成長にもつなげる機会にしてほしいです」(大村さん)。
※アラブの春=2011年初頭から中東・北アフリカ地域の各国で本格化した一連の民主化運動。それまでは極めて限定的にしか政治参加できなかった一般の人が変革の原動力となったことが大きな特色。
Text =工藤美和 写真提供=加藤奏太さん、森本久美子さん、林星絵さん、ホシカワミナコ(本誌)