派遣国の横顔   ~知っていますか?
派遣地域の歴史とこれから[エジプト]

子どもたちのため各地で活躍するエジプト隊員

エジプトで保育園や小学校の現場に日本の教育の特色を伝えた教育分野の隊員と、
活動の合間に「ごみの街」の子どもたちと交流した隊員を紹介する。

加藤奏太さん
加藤奏太さん
小学校教育/2017年度1次隊・愛知県出身

PROFILE
大学卒業後、小学校教師に。特別活動の教育的効果の研究を行うなど約10年勤務。退職して協力隊に参加。語学留学、地方自治体の国際理解推進員などを経て、現在、インターナショナルスクール勤務。外国人生徒に日本語、日本人生徒に国語を教える。

森本久美子さん
森本久美子さん(旧姓 黒崎)
幼児教育/2011年度1次隊・茨城県出身

PROFILE
短期大学卒業後、保育士として保育園や幼稚園で6年勤務したのち、協力隊に参加。帰国後は1年ほど保育園に勤務後、自身や子どもの体調を改善した経験などを基に、人が本来持っている力を使って心身の健康を取り戻すカウンセリングや蜂蜜療法などを行う「あわの和」を主宰。

林 星絵さん
林 星絵さん
デザイン/2017年度4次隊・北海道出身

PROFILE
大学卒業後、物流企業、メーカーに勤務。働きながら専門学校でWebデザインを学ぶ。卒業後はWeb制作会社でディレクター兼デザイナーとして2年勤務したのち、協力隊へ。帰国後、株式会社マザーハウスに入社し、オンラインストアやブランドサイトのディレクションを担当。

エジプトで未知の「特活」が子どもたちを輝かせる

   学級活動や日直、教室の掃除など、日本の学校で当たり前に行われてきた「特別活動(以下、特活)」(※1)を中心とする日本式の教育が、エジプトで広まりつつある。

   エジプトの学校は、人口の急増に施設が追いつかず1クラスに70~80人の児童・生徒がいるなど過密化し、暗記を中心とした学力偏重で、教師は知識を一方的に教えるという教育が常態化していた。

   アラブの春以降、国の未来を担う子どもや若者の教育の強化を図ろうとするエルシーシ大統領は、学力だけでなく主体性、協調性、社会性の習得という面からも日本の教育に注目し、2016年の来日時に、安倍晋三首相(当時)と「エジプト・日本教育パートナーシップ(EJEP)」を締結。以降、保育園から大学まで、体制整備や教員の能力向上などで日本の教育の特徴を生かした協力が行われている。

現地の先生たちを対象にした公開授業で、小学校1年生の学級活動の様子を見せる加藤奏太さん

現地の先生たちを対象にした公開授業で、小学校1年生の学級活動の様子を見せる加藤奏太さん

   18年には、広い教室面積、児童1人に1組の机と椅子、屋内外の運動場、職員室といった施設面にも日本式の要素を取り入れた小学校「エジプト・日本学校(EJS)」が35校、開校した。同時に学級会、学級指導、日直の三つから成る「ミニ特活」が小学校1年生のカリキュラムに導入された。とはいえ、特活は、自身が一方的な詰め込み教育で育ってきたエジプトの教師にとって未知のもの。そこでEJSと一般校で特活を実践し、普及の一翼を担ったのが小学校教育隊員だ。日本での教師時代から特活に熱心に取り組んでいた経験を持つ加藤奏太さんもその一人である。

   派遣1年目は特活の導入前年度だったことから、加藤さんは特活普及の下地をつくるため、ギザ市の一般校5校で、従来行われていなかった音楽の授業を受け持ち巡回した。日本の曲にアラビア語の歌詞を乗せた替え歌を作り、ギターを弾いて子どもたちと歌ったり踊ったりし、音楽授業の意義を現場の教師に伝え、教師や子供たちとの関係をつくった。

   2年目には、同じ5校で学級会の普及に取り組んだ。「学級会とは何か」という教師たちの問いには、「子どもたちに自分で考えさせること」と答えた。

「考えると意見を言いたくなって、意見を交わすと最終的に何かを決めたくなっていきます。その手法は説明できても、実際の様子や雰囲気を伝えるのは難しい。『やってみせるから手伝って』と苦手だったアラビア語のサポート役として、なじみの先生たちを巻き込みました」

   ある日の学級会は「手伝い」をテーマにして行った。

――みんなは家でお手伝いしている?

「している」「お掃除」「妹弟のお世話」

――どうしてするの?

「お父さんやお母さんが喜ぶから」

――学校ではお手伝いしている?

「ええっ、学校で?」

――どう思う?

「したほうがいいと思う」「先生が大変だから」

――どんなお手伝いをするといい?

「電気をつける」「机をきれいに並べる」

――じゃあ誰が何をする?

パーっと手を挙げる子どもたち。このあと、みんなで係を決めていった。

   加藤さんは、日本での特活の進め方と同様に「誰かが意見を言ったら拍手をしよう」「どう思うか『賛成』『反対』を言おう」と促し、ゴールに向け安易に話をまとめないよう、児童の話が脱線しても受け止め、意見を導き出すよう丁寧に進めた。

「きっかけを与えると、子どもたちは自ら気持ちを変化させ、一生懸命に取り組みます。のびのびと楽しく、輝く子どもの姿を先生たちに見てもらえたらと考えていました。特活は勉強が苦手な子どもも活躍の場が持て、人間関係づくりにもつながるので、学校が果たす重要な役割だと思います」

   加藤さんは帰国前、巡回先の教師からこんな手紙をもらった。

「ミスター・サイード(加藤さんの愛称)の授業を見ていると、子ども一人ひとりを大切にしているのがわかる。これまではそういうことを考えたこともなかった。来てくれてとてもハッピーだ」

活動を積み重ね、チームで広めた「遊びを通じた学び」

   特活は、EJEPの締結によって導入が決まり、隊員活動によって展開されてきたが、かつてエジプトでは1998年から70人以上の保育・幼児教育分野の隊員が派遣され、その積み重ねがEJEPにつながったという歴史もある。

室内でも戸外でも楽しめるゴム跳びを現地の保育士と共に行う森本久美子さん

室内でも戸外でも楽しめるゴム跳びを現地の保育士と共に行う森本久美子さん

   エジプトでは、0歳から4歳までは保育園、4歳から6歳は幼稚園に通う。学力重視で、保育園でも読み書きや数え方などの指導が行われてきた。

「子どもたちは保育園にいる間、椅子に座ってコーランを暗唱させられていて、先生たちはそれをただ見ていることがほとんどでした」と振り返るのは、2011年に、保育園を管轄する社会連帯省のカフルエルシェイク県支局に派遣された森本久美子さんだ。〝子ども中心の保育〟にするために、情操教育や実技を大切にする日本の保育の特色「遊びを通した学び」を広めた。

   1年目、森本さんは一つの保育園に通い、保育士に遊びや教材の紹介を行ったが、なかなか興味を持ってもらえなかった。保護者が遊びよりも学習に注力してほしいと望むことに加え、保育士は資格を必要としないため知識が不十分で、給料も安く短期間で辞めてしまうことが多いという背景もあった。

   そこで2年目は活動を変え、カウンターパート(以下、CP)と共に、現地の保育士にわかりやすいよう遊びによる発達についてまとめたポスターを作成して配布し、モデル園でセミナーを定期的に実施した。セミナー後は各園を巡回しフォローした。

「幼児の発達には規則正しい生活リズムが欠かせません。まず、遊びや昼寝など一日の流れに沿った保育をしっかりと行ってもらい、子どもたちの変化を見てもらいました。それを体感した保育士にセミナーの講師になってもらったのです。『体を動かす遊びをすると、疲れてしっかりお昼寝をするようになった』『読み聞かせをするようになったら子どもたちが本に興味を持つようになり、絵本を持ってくると子どもたちが集まる』と堂々と参加者に話していました」

   同時期、幼児教育隊員はチームとして全土に10人近く派遣されており、連携して活動した。セミナーで得られた知見を共有したり、誰でも簡単に取り組むことができる手作りのおもちゃなど、教材の制作方法をまとめた冊子を共同で作成したりした。身近にあるものを利用できるよう、現地の保育士たちのアイデアも取り入れた。

   全土の保育関係者約100人を集めた研修会も開催した。それは現場のモチベーションアップのみならず、この国の保育関係者のネットワークづくりにもつながった。

   こうして、遊びを通じた学びは少しずつ受け入れられた。「子どもたちの表情が明るくなり、現地の保育士たちも『保育が楽しい』と笑顔を見せてくれるようになったことが何より嬉しかった」と森本さん。

   その後、隊員たちの活動をもとにJICAの幼児教育分野で初の技術協力プロジェクトが開始され、現役保育士の研修をはじめ質の向上に向けたさまざまな取り組みが続けられていった。

「ごみの街」―― 巨大リサイクルタウンに出会った隊員たち

   学生時代に途上国開発について学び、協力隊になる夢を持っていた林星絵さんは、身につけたWeb制作スキルを生かしたいとデザインの要請に応募。18年3月からエジプトのNGOの広報部門でインハウスデザイナーとして活動した。

NGOの広報を担当するCPと林星絵さん

NGOの広報を担当するCPと林星絵さん

   配属先はストリートチルドレンへの教育や、青少年や女性を対象にした職業訓練を行っており、知名度アップのためのWebサイトのリニューアルが要請だった。しかし、赴任するとプログラミングなどを行っていたスタッフが退職しているなど制作環境が変わり、リニューアルに着手できない状況だった。林さんはひとまず、広報誌やパンフレットなどのデザインや編集を引き受けることになった。

   作業の傍らWebサイトのリニューアル方法を提案したが、上司兼CPのITへの理解が十分ではないことや予算不足もあって、なかなか先に進まない。そこで、林さんは、職場であまり利用されていなかったSNSの積極的な活用を働きかけた。

「そのために事業現場を知ろうとしたのですが、エジプトでは同じNGO内のほかの部署に行くのにも手続きが必要で時間がかかりました。行けるようになってからは事業スタッフにSNSの記事として取り上げる内容をアドバイスしたり、写真講座を開いたりしました」

林さんが制作したパンフレット

林さんが制作したパンフレット

   そうした傍ら、プライベートでは、カイロの「ごみの街」と聞いて関心を持ったマンシェット・ナセルという地区を訪ね、コミュニティスクールで隊員仲間とボランティア活動をした。

   そこは、エジプトでは少数派のコプト教徒(※2)の人々がごみ処理を生業とし、カイロ中のごみを収集・運搬してきてリサイクルまで行っているコミュニティ。生ごみは豚の餌にし、紙やペットボトルの破砕・圧縮や金属を溶解する工場まであった。建物の壁に描かれた巨大アートや石灰岩をくりぬいた洞窟教会もあり、その美しい景色とごみとのギャップに魅せられたという。

   そして、この街を取り上げた09年公開のドキュメンタリー映画『GarbageDreams』の主人公の少年だったアドハムさんに出会う。学校教育をまともに受けていなかったアドハムさんだが、映画出演を機にアメリカに留学。帰国後は仕事をしながらカイロの大学に通い、コミュニティスクールの運営にも携わっていた。

「一般のエジプト人はこの街をよく知らずに職業や宗教を理由にさげすんでいましたが、アドハムさんはこの街に誇りと愛着を持ち、スクールの子どもたちにもそうなってほしいと話していました」

マンシェット・ナセルの交流イベントで合唱するコミュニティスクールの子どもたち

マンシェット・ナセルの交流イベントで合唱するコミュニティスクールの子どもたち

   林さんには高校時代にフィリピンでごみ山を見て衝撃を受けたものの何もできなかった体験があった。「今なら何かできるのではないか。私たちも子どもたちの力になりたいと考えました」。

   当時JICAエジプト事務所長だった大村佳史さんも「面白いね、やってみたら」と有志の活動を後押しした。林さんたちはスクールの子どもたちと折り紙やソーラン節など日本文化で交流をしたり、マンシェット・ナセルに興味を持った日本人を案内したりした。

   林さんの任期終了前には、日本人ピアニストとスクールの子どもたちによるコンサートの開催にこぎ着けた。日本大使や国際交流基金カイロ日本文化センターの所長、JICAの大村所長など在エジプトの日本人や、コプト教の司教やエジプトの省庁関係者までたくさんのゲストを前に、子どもたちは合唱を披露した。

「外の世界があること、いろいろな人がこの街の子どもたちに目を向けていることを感じてもらえたのでは」と林さん。帰国後に就職したマザーハウスでは、Webディレクターとして途上国の素材を活かしたブランドの情報発信に携わっている。コロナ禍でマンシェット・ナセルでの隊員活動は途絶えたが、現役隊員との情報交換を続けながら継続支援の道を探っている。

活動の舞台裏

うるさくて、情に厚いエジプト人
森本さんと保育園の同僚家族。家族のように温かく迎えてくれ、「痩せて帰ったら私たちが食べさせてないみたいじゃないか。もっと太って帰れ」とたくさんもてなしてくれた

森本さんと保育園の同僚家族。家族のように温かく迎えてくれ、「痩せて帰ったら私たちが食べさせてないみたいじゃないか。もっと太って帰れ」とたくさんもてなしてくれた

「エジプト人はいい意味で、うるさい。好奇心旺盛で、電車やバスのなかで見ず知らずの人同士でもわいわい盛り上がるんです」というのは加藤奏太さんだ。出勤途中では毎朝、4~5人の知人が声をかけてくる。男性同士ならばハグし、「元気か」と始まり、少し時間があれば一緒にお茶を飲む。「知っている人には必ず話しかけるし、知らなくても話しかけてくるので、近所にどんどん知り合いが増えていくんです。人との触れ合いを楽しむ文化で、とても心地よかった」(加藤さん)。

   森本久美子さんは「毎日がコントみたいでした」と話す。「バスに乗っていたら、街角でのケンカを見たバスの運転手が『俺に任せろ!』と、バスから降りて意気揚々と仲裁しに行くんです。乗っている私たちはやれやれとあきれてました」。こんなこともあった。森本さんを見かけるといつもヤジを飛ばしてくる少年がいた。普段は無視していたが、ついに業を煮やした森本さんが怒っていると、それを聞きつけた男性が「どうした?」とやって来た。森本さんが訳を話すと、男性は「ちゃんとあいさつしなきゃダメじゃないか」と少年を怒ってくれたそうだ。「道に迷っていても必ず誰かが助けてくれました。人情深い優しい人たちです」(森本さん)。

活動の舞台裏

日本人に嬉しい「ヤバニ米」
ヤバニ米を炊いたご飯で日本にいるときと同じような食事ができる

ヤバニ米を炊いたご飯で日本にいるときと同じような食事ができる

スーパーで売られているお米

スーパーで売られているお米

「エジプト人は日本人と同じく、お米が大好きな〝ライス・イーター〟。ナイル川からの水で作られたおいしくて安い日本米が食べられます」と言うのは、前JICAエジプト事務所長の大村佳史さん。現在、エジプトは中東・北アフリカ屈指の「米どころ」で、生産される米の約8割は日本と同じジャポニカ米で、主として国内で消費されている。

   約100年前の1917年、エジプトは人口増大を見越して、米を生産奨励品目に指定し、生産拡大に向けて品種改良に着手した。スペイン、イタリア、アメリカ、中国、インドなど世界各国から約250種の米を集め、最もエジプトの気候に適していて生産性が高いと選んだのが日本由来の「ヤバニ(アラビア語で日本の意)」という名のジャポニカ米だった。その後、機械化や精米処理など日本の技術協力も行われて、米生産は増大。日本由来のお米が広く親しまれている。

「スーパーで気軽に買えますし、日本と同じように炊けて、普段からおいしくご飯を食べることができました」と林星絵さん。「アフリカで一番おいしいお米じゃないでしょうか。こちらで生活する日本人にとって心強い味方です」(大村さん)。

※1 特別活動…義務教育課程で行われる、掃除、日直、学級会、学校行事など教科外のさまざまな集団活動で、それらを通じ思考・判断・表現力と主体性・協調性・社会性を養う。

※2 コプト教…エジプトを中心として発展したキリスト教の一教派

Text =工藤美和 写真提供=加藤奏太さん、森本久美子さん、林星絵さん

知られざるストーリー