派遣国の横顔   ~知っていますか?
派遣地域の歴史とこれから[ルワンダ]

課題に向き合い共に未来をつくる

ジェノサイドの傷痕や貧困という困難な背景のなか、ルワンダの人々に寄り添ってきた隊員たちの足跡を追う。

田中悦子さん(旧姓 加藤)
田中悦子さん(旧姓 加藤)
ソーシャルワーカー/2005年度3次隊、
ソーシャルワーカー/2008年度9次隊・愛知県出身

PROFILE
大学院修了後、企業の健康管理室でのカウンセリングなどを行う。学生時代の同級生が協力隊に応募したことをきっかけに、ソーシャルワーカーなどの職種があることを知り、応募。2年間の派遣後、再派遣で短期活動もした。帰国後、就労移行支援施設「仕事ノアル暮らし」を設立し、代表理事に。臨床心理士。

大江里佳さん
大江里佳さん
コミュニティ開発/2014年度1次隊、
コミュニティ開発/2016年度9次隊・愛知県出身

PROFILE
大学時代、国際学科でアフリカの課題や文化を学び、研修でルワンダを2回訪れる。高校時代にダンススタジオに通い始め、大学でも勉強の傍ら、ダンスに打ち込む。企業に就職したが、アフリカに関わり続けたいとの思いから、協力隊に応募。現在、ルワンダに在住。コンサルティングや通訳、ガイドなどを行う。

田中 翔さん
田中 翔さん
コミュニティ開発/2021年度7次隊・京都府出身

PROFILE
コーヒーの品質向上や販路拡大のため派遣中。大学卒業後、ボリビアのツアー会社勤務を経て、協力隊に応募。派遣が決定し、訓練も修了したあと、コロナ禍のため1年半待機。派遣国が変わり、活動内容もコメ生産の支援から変更になったが、日本のカフェでの勤務経験もあったことから、嬉しかったという。

路上の子ども支援から
生活を支える工房へ

   2000年代に入っても、ルワンダの傷痕は、まだ生々しかった。その頃現地に入った佐々木和之さんは、「ジェノサイドの記念施設に行くと、においが残っていた。傷が癒えず、うろうろと歩く人もいた」と話す。和解や国造りが進むなか、06年、ソーシャルワーカーとして、派遣されたのが、田中悦子さんだ。

   配属先は、ベルギーのNGOが運営していた首都・キガリのストリートチルドレンの保護センター。路上生活を送る子どもたちに教育や訓練を行い、社会に復帰させる活動をしていた。保護活動に同行するなどし、適切なカウンセリングの方法などを伝えるというのが要請の内容だった。

現地の中学校を訪問する田中さん(右端)

現地の中学校を訪問する田中さん(右端)

   ストリートチルドレンが多くいた場所の一つが市場だ。店から車まで野菜などを運び、1回、15円程度の運び賃を受け取る。「1日働いて、150円、稼げるかどうかだったと思う」と田中さん。一番安い食堂で1食約50円。生活は厳しく、家族がいればなおさらだ。なかには、親の暴力や大麻の乱用のため、家庭での生活が難しい子もいたが、貧困のため路上で生活費を稼ぐ子が多かった。しばらくの間、路上生活でお金を稼いでは、地方へ戻る子どももいた。ジェノサイドや内戦の前後を通じ、貧困と格差はルワンダの課題だった。

   保護にあたるスタッフが、ソーシャルワークやカウンセリングを学ぶ仕組みはなかった。「個人の秘密を他人に漏らさないなど、職業上、当たり前と思えることさえ、理解されていませんでした」と田中さん。ある子の虐待被害を、スタッフが皆の前で話しそうになったときは、「わぁーっと走って行って、口を押さえました。私の慌てぶりを見て、やってはいけないことだと伝わったと思います」。

   田中さんは子どもたちの授業も担当するようになった。理科の実験として糸電話などをやると大好評だったが、「貧困家庭でも、収入さえあれば路上で働く必要はなく、学校にも通えるのに」という思いが募った。その頃、牛の角をアクセサリーなどに加工する職業訓練が施設内で行われていた。青年たちは、技術は身につけられたが、技術を生かす場所がなかった。

   そこで田中さんは、工房を開くことを思い立つ。日本の団体から資金援助を受け、施設の同僚、職業訓練講師のコンゴ人と共に、派遣から約1年後、工房を開設した。土産物屋やホテル、チャリティイベントなどで製品を販売すると、かなりの収入になった。

   当時はジェノサイドから10年余りがたっていたが、傷の深さを感じさせられる経験もあった。毎年4月、ルワンダでは記憶と追悼のための式典が行われる。その時期、借りていた家の大家は決まって体調を崩した。大家は詳細を語らなかったが、被害の多かったツチ族なので、「つらい体験をしたのだと思います」。衝撃的なこともあった。いつも親しそうに話している大家の友人が酒を飲んだあと、田中さんにこう言った。「あいつ、臭うだろう」。その友人はフツだと思われた。

田中さんが理科実験で行った糸電話

田中さんが理科実験で行った糸電話

    しかし、そうしたことは例外的で、ルワンダは人と人との助け合いにあふれていた。「あんな大変な思いをした人が笑って生活をしている。その姿に希望を感じました」。

   田中さん自身、人の優しさに触れたことを覚えている。派遣当初、田中さんが保護活動に同行するかどうかで話し合いが紛糾したときのこと。田中さんは「ルワンダのためと思って来たのに、自分が原因でもめている」といたたまれなくなり、会議中に涙がハラハラと流れた。見かねた職員の一人が別室に連れて行ってくれ、その優しさに、また涙があふれたという。

成長から取り残された地方
井戸管理の意識を転換

村で井戸の管理・運営について説明する大江さん(中央)

村で井戸の管理・運営について説明する大江さん(中央)

   その後、ルワンダは教育に力を入れ、情報通信技術(ICT)分野の成長は「奇跡」ともいわれた。しかし、地方の発展はまだ遠い道のりだった。暮らしの基盤となる安全な水へのアクセスが課題として残っている地域もあった。そうしたなか、14年にコミュニティ開発の職種で派遣され、「水の防衛隊」として水・衛生の課題に取り組んだのが、大江里佳さんだ。

   東部県カヨンザ郡の町役場で、農業や水・衛生を担当する部署に配属され、手押し井戸(ハンドポンプ)の維持管理に力を入れた。ハンドポンプが壊れたまま放置されていることもあったためだ。村ごとに井戸の維持管理にあたる水委員会があり、それぞれ6人の住民が無報酬で任にあたっていた。以前の隊員が作った「活動マニュアル」はあったが、機能していなかった。「なんで動かないんだろう」と、大江さんは聞き取りを重ねた。

   井戸が壊れたときに、簡単な修理をできる人はいた。問題は、交換部品の購入費用だった。パッキンのような少額のものでも部品代が集まらない。そこには、ルワンダ人の気質も影響していた。「お金を出しても本当に直してもらえるのか、はっきりしない。プラスでもマイナスでも、自分だけがやることをすごく嫌がる。なんで払わないのと聞くと、だってみんな払わないから、と言います」と大江さんは振り返る。

村の衛生クラブの活動でマッピングを行う大江さん

村の衛生クラブの活動でマッピングを行う大江さん

   そこで大江さんは、村全体でお金を出し合う合意をし、水委員会が一軒一軒を回ってお金を集めるようにした。払った人にはレシートを渡し、レシートを見せた人だけが水をくめる仕組みだ。委員たちのやる気も上がった。大江さんのお別れ会で、リーダーの一人が「なぜ井戸を直さないといけないんだと思っていたが、自分たちの井戸だから、自分たちで直さないといけないと考えるようになった」と話したときは、とても嬉しかったという。任地は、「住民が自分たちで井戸を直せる郡」として知られるようになっていった。

   活動中、人々が助け合う姿に感心したという大江さん。「『お金を貸して』と言われると、返ってこないとわかっていても貸す。自分に余裕がなくても、物乞いの人にお金を渡す。逆に自分が困ったら、『食べられないから恵んでくれ』と周囲に助けを求め、周囲も当たり前に助ける。それらが生活に染みついていると感じました」。仲間同士で激しく言い争うことがあっても、それで気まずくなることはなかったという。

   ルワンダで活動した二人の元隊員は、同国の人々のため、今も共に歩んでいる。田中さんは帰国後、愛知県で精神障害者らの就労移行支援事業所を運営。事業所での作業の一環として、ルワンダで立ち上げた工房の製品を仕入れ、アクセサリーなどに再加工している。

   大江さんは現地のダンサーと結婚し、現在も同国に住んでおり、夫やダンサー仲間と共にダンススタジオの運営に携わっている。「ダンスを通じて子どもたちを支えていきたいのです。家庭に余裕のない子は、自己肯定感が低く、良くない誘惑がたくさんあります。でも、ダンスをしているときは、すごく一生懸命なんです」。

コーヒーの加工に変革を
将来は日本への輸出も

コーヒーツーリズムのなかで、観光客は伝統的な焙煎方法を体験できる

コーヒーツーリズムのなかで、観光客は伝統的な焙煎方法を体験できる

   22年でジェノサイドから28年たつ。しかし、貧困や、都市と地方の格差は今もルワンダの抱える課題であり、その改善を目指す隊員たちの活動も続いている。21年10月からコーヒー農家の支援に取り組んでいる現役隊員の田中翔さんの活動もその一つだ。任地はコーヒー栽培の盛んな西部カロンギ郡。日本でいう市町村の役所・役場にあたる組織に配属され、コーヒー農家が立ち上げたコパカキ農業組合の支援にあたっている。

   力を入れているのが、マーケティングだ。コパカキの近くには欧米からの観光客も訪れるキブ湖があり、周辺にはいくつものホテルがある。組合のマーケティング担当スタッフと共に、コーヒー豆を持ってこうしたホテルを訪問し、「一度、飲んでみてください」と声をかける。反応は上々だ。

   地域では、JICAの「コーヒーバリューチェーン強化振興プロジェクト」が進められ、専門家も現地に入っている。そのため良質のコーヒーを育てる技術はある。しかし、世界のコーヒー市場では、コーヒーの果肉を除去せずに乾燥させてフルーティーな味にしたり、発酵させるときに空気に触れさせたり触れさせなかったりと、さまざまな工夫がある。ルワンダではまだ普及が進んでおらず、「加工方法を工夫すればもっと高く売れると伝えたい」と田中さん。日本への輸出も視野に、日本の焙煎業者にコパカキのコーヒー豆を送り、評価もしてもらっている。

手作業でコーヒー豆を選別する様子

手作業でコーヒー豆を選別する様子

   もう一つ、現金収入源の多角化を狙い、地域を訪れる外国人観光客を主な対象としてコーヒーツーリズムの取り組みも進めている。組合は、国内の旅行会社とも提携し、コーヒー畑の様子や、加工プロセスを見学してもらっている。参加者は伝統的な焙煎も体験し、試飲もできる。コパカキ発着の2時間ほどのツアーで1人約2000円。現在の参加者は月平均20人くらいだが、田中さんはスタッフと協力してこれを増やしていきたいという。

「組合が農民からコーヒーの実を買い取るときに資金が必要になります。銀行から資金を借りるのも大変なので、ツアーの収益をその資金にもあてたいと考えています」

   悩みもある。一つは、組合にまとまった量のコーヒー豆を焙煎できる機械がないこと。輸出時は生豆を送るが、地元の観光客向けの試飲・販売には焙煎した豆が要るのだ。そのため、車で4時間かけて首都キガリまで行き、焙煎している。高価な焙煎機の購入はすぐには難しく、「当面は販売と焙煎の予定をきちんと組んで対応したい」。

   もう一つ、「時間的な感覚の違い」もあるという。「10人、20人のツアーが来るとわかっているなら、あらかじめ試飲の準備をしてほしい。でも、現地の人は、実際に到着してから、『わーっ、20人も来たぞ』となる。とはいえ、彼らには彼らなりのスピードがあるので、何事も柔軟にと心がけています」。

   将来に向け、若手コーヒー農家の育成も重要だ。加工作業にあたる若者の多くは、収穫期に日雇いで働いている。家が農家でも、彼ら自身の農地はなく、コーヒーの苗木を買う資金もない。「彼ら自身も土地の購入資金を積み立てていますが、不十分。組合の資金を増やし、若手支援を拡大して、コーヒー産業を盛り上げたいです」。

活動の舞台裏

ルワンダのダンスは表現力が魅力
ルワンダにてダンスイベントに参加して踊る大江さん

ルワンダにてダンスイベントに参加して踊る大江さん

   高校時代からダンスを続けてきた大江里佳さんはルワンダで、いくつものスタイルのダンスに出会い、その表現力に魅了された。

   最初に出会ったのは伝統的なダンス。結婚式や式典などの祝いの席で披露され、歌や手拍子、太鼓に合わせて踊る。男性にはライオンをイメージしたかぶり物があり、女性の踊りには牛の角を表す腕の振り付けがよく見られる。 派遣2年目、首都キガリで開催されたダンスイベントで、アフロビートを取り入れた現代的な「アフロダンス」と出会った。当時、日本ではほとんど知られていなかったが、ストリートダンスが好きだった大江さんの心を捉えた。

   一口にアフロダンスといっても、国・地域別の特徴があり、伝統的なダンスを発展させたものもあったが、ルワンダのダンスは現代化されても、「割とゆったりして、気持ちを入れて踊る感じ」と大江さん。

「日本の場合は、練習もしっかりするし、みんなの動きもそろっています。ルワンダのダンスは、みんなの動きがそろっているかというと、そうではありません。でも、瞬時、瞬時の瞬発力や表現力はすごいですし、それを伝えられるダンサーがいます。私は趣味としてダンスに関わってきましたが、彼らがルワンダのダンス業界を盛り上げていけるように、支えていきたいと考えています」

活動の舞台裏

ペットはニワトリ
田中さんが飼育するニワトリ、チャコとコケコ

田中さんが飼育するニワトリ、チャコとコケコ

   ルワンダの首都・キガリから離れた西部県に派遣中の田中翔さんは、現在、一軒家に一人で住んでいる。寂しさを紛らわせてくれるのが、ペットのチャコとコケコ。いずれもメスのニワトリだ。

   初めは、犬か猫を飼いたかったが、狂犬病の心配もあることから断念。「ニワトリなら卵も産んでくれるのではないか」と考えた。

   知り合いに頼んで、よく卵を産むという1歳前後の〝2人〟を2,000円しない程度の値段で購入し、鶏小屋も作ってもらった。

   飼い始めてみると、卵を産む時期と産まない時期が、2週間ごとにやって来た。産む時期は、1日に1個、どちらかが卵を産む。その後は産まない時期が2週間続き、また産卵期になる。

   ニワトリとの暮らしで生活の潤いと卵は得られたが、誤算もあった。「エサには、家畜用飼料を買ってきて食べさせています。卵は市場で買えば1個20円ほどで、一方のエサ代は月に300円。月平均15個の卵を産んでくれればちょうど収支が釣り合うのですが、最近、エサが1キロ70円近くに値上がりし、完全に赤字になってしまいました」。それでも、田中さんは、ペットとの生活を楽しんでいる。

   ニワトリは年老いて卵を産まなくなると、通常は食用にされるが、「愛着があるので、とても食べられません」。

Text=三澤一孔 写真提供=田中悦子さん、大江里佳さん、田中翔さん

知られざるストーリー