派遣から始まる未来
進学、非営利団体入職や起業の道を選んだ先輩隊員

一般社団法人SOZO.Perspective設立

海老沢 穣さん
海老沢 穣さん
マレーシア/養護/2003年度1次隊・東京都出身





子どもはみんなクリエイター
ICTで感性と表現をもっと引き出したい

   25年間も公立学校教員として働いていながら、「ICT(情報通信技術)で子どもの学びをクリエイティブに」とのテーマを掲げての独立起業。並大抵の決意ではないはずだ。しかし、2021年にICT教育を手がける一般社団法人SOZO.Perspective(ソーゾーパースペクティブ)を設立した海老沢 穣さんは軽やかな口調で独立の経緯を語る。

マレーシアの特別支援学級で授業中の海老沢さん。「現地では『チェグAB』と呼ばれていました。チェグはマレー語で先生の意味。僕はエビサワだからABです」

マレーシアの特別支援学級で授業中の海老沢さん。「現地では『チェグAB』と呼ばれていました。チェグはマレー語で先生の意味。僕はエビサワだからABです」

   海老沢さんが特別支援学校の教員を志したのは大学生時代。障害がある人と接するボランティア経験で、その純粋な感覚と表現力に興味を覚えた。

   大学院では障害児教育を専攻し、都内の養護学校(現在は特別支援学校)に教員として就職した。7年ほど教員経験を積み、特別支援の分野と同じく学生時代から志望していた青年海外協力隊に「現職教員特別参加制度」で03年に参加。赴任先はマレーシアだった。マレー半島の東海岸にあるトレンガヌ州で四つの学校の特別支援学級を巡回して授業をした。

「マレーシアの学校現場は権威主義的なところもありました。でも、私は怖い先生にはなれません(笑)。美術や音楽、体育を任されたので、児童と一緒に遊ぶスタイルで授業をしました」

   体育の授業といっても、用具も体育館もない。海老沢さんは地面に楕円のコースを描き、ロープを跳び越えたりケンケン跳びをしたりしながらリレーをするという授業を提案。児童らが楽しそうに体を動かす様子を見た若い教員たちは触発されたようだった。児童以上に同僚の教員に「違う視点」を与えたことが海老沢さんの貢献だったのだろう。「私自身も、日本にいたときとは違う視点ができました。活動先では私一人だけが日本人だったので、日本の常識なんて通用しません。もちろん、マレーシアの常識が絶対でもありません。いい意味で冷めた目で物事を見られるようになりました」。

レゴとiPadを使った物語づくりの様子。「特別支援学校中学部の生徒たちに、手を動かして形を作って撮影して物語を作ってもらいました」

レゴとiPadを使った物語づくりの様子。「特別支援学校中学部の生徒たちに、手を動かして形を作って撮影して物語を作ってもらいました」

   この「第三者的な視点」は、帰国して日本の教育現場に戻ってからも役立った。教員が学習指導要領に沿って教えるといった既存の教育手法に捉われず、アーティストなどの「外」との連携を常に考え、授業に活用できるようになったのだ。「特に、振付師によるワークショップは素晴らしかったです。言語による表現が苦手な子どもたちでも、身体でならば自由な表現ができる可能性を大いに感じました」

   海老沢さんは次にICTという「外」に関心を持った。理由は映像という表現方法の活用だ。既存の美術は立体造形や絵画が主だったが、タブレット端末の登場が教育環境を変え得ると考えたのだ。

「写真や動画を撮って、編集して、簡単にアウトプットができるからです。14年ごろからiPadが教育現場に入って来たので、中学3年生と一緒に卒業メッセージ映像を作りました」

レゴとiPadを使った物語。「5人の子どもたちが共同で作り、iPadで文章を入力して物語を完成させました。超シュールなストーリーで、コンテストで最優秀賞をもらった作品です」

レゴとiPadを使った物語。「5人の子どもたちが共同で作り、iPadで文章を入力して物語を完成させました。超シュールなストーリーで、コンテストで最優秀賞をもらった作品です」

   生徒一人ひとりが自ら出演し、空を飛んだりメッセージボードを掲げたりする実写アニメ。その出来栄えに生徒も教師も釘付けだった。

   その後、海老沢さんはICTの積極活用によって子どもたちのアイデアや表現を引き出す授業を加速。17年にはアップル社から、同社のテクノロジーを使った教育分野のイノベーターとしてADE(※)に認定された。

   ほかの教育機関にいるADEたちとの交流にも刺激を受け、学校の内外に発信するようになった海老沢さん。ただ、公立学校という組織のなかで海老沢さん独自の教育手法を追求するには壁もあり、制約を取り払って活動するために独立を果たした。家族に反対されなかったのだろうか。

「妻も息子たちも『いいんじゃない?』でした。妻も協力隊OVで日本語教師をしています。私が学校という枠で息苦しさを感じていたことはわかってくれていたようです」

Pagesの縦書き機能を使った俳句作りの実例。「iPad上で写真を見ながら、それに合わせた俳句を作るという試みです。斬新な作品が生まれました」

Pagesの縦書き機能を使った俳句作りの実例。「iPad上で写真を見ながら、それに合わせた俳句を作るという試みです。斬新な作品が生まれました」

   追い風もあった。学校教育現場で生徒1人1台の端末環境を目指す「GIGAスクール構想」がコロナ禍のオンライン化によって前倒しで実現。映像などを使ったICT授業の豊富な実践経験のある海老沢さんには多様な依頼が舞い込んでいる。

「ほかの人とは違うことであっても、自分が『良い』と判断したらブレずにやり続けてきたからだと感じています」

   この感覚は海外協力隊の経験者とは共有できるはず、と海老沢さんは断言する。「外」の視点を身につけると、自分の軸を客観的かつ強固に定めることができるのかもしれない。

海老沢さんの歩み

1969年生まれ。東京学芸大学大学院修士課程修了。学部生時代に参加した自閉症療育ボランティアで、障害がある人の感性や表現に興味を持つ。

ピュアな人が多くて、本当に嬉しいときしか笑わなかったりします。でも、その笑顔は本当にすてきです。

2003年、協力隊に参加しマレーシアへ。

本当はもっと遠い国に行きたかったのですが、障害児教育で要請があったのがマレーシアでした。同じマレーシアでも、中国系の学校は子どもたちがきちんと整列したりして日本に近く、マレー系のほうはもっとアバウト。多様な環境で働いたことで、日本にいた頃とは違う視点を持つことができました。

2014年、iPadが職場の教育現場に導入される。

キーボードやマウスの操作が必要なパソコンとは違って、タブレットは端末だけで完結できます。もともと映像を使った授業をやりたいと思っていたので、iPadで何ができるかを考えて、試行錯誤を続けました。

2017年、Apple Distinguished Educatorに認定。

当時、日本国内で100人ほどが認定されていたと思います。所属は小学校から大学までさまざま。カンファレンスなどで交流する機会があり、世の中にはこんな面白い人たちがいるのだと驚きました。

2021年、一般社団法人SOZO.Perspectiveを設立。

学校や企業の研修会講師としての仕事のほか、新渡戸文化学園という私立小学校で情報の授業を隔週で担当しています。独立しても教育現場と関わることができて僕は本当に幸運です。

※ADE…Apple Distinguished Educatorの略。アップル社のテクノロジーを活用して教育現場の変革に努める教育者のことで、同社が2年ごとに募集・認定を行う。

Text=大宮冬洋 写真提供=海老沢 穣さん

知られざるストーリー