JICA海外協力隊に参加する人はどんな人?

CASE1   社内のボランティア休職制度で現職参加
復帰した職場が国際化に向かう中、活動で培った経験を生かしたい

現職参加した松永 紘さんの場合
▶ JICA海外協力隊コンピュータ技術隊員としてモザンビークへ
▶ 復職を経て、JICA海外協力隊(民間連携)でコンピュータ技術隊員としてベトナムへ
▶ 帰国後:物事の見方や外国籍の社員への接し方が変化

松永紘さん
松永紘さん
モザンビーク/コンピュータ技術/2014年度3次隊、ベトナム/コンピュータ技術/2018年度2次隊・熊本県出身

新卒で株式会社ゼネットへ入社する際、同社にボランティア休職制度があることを知った。2015年1月から制度を利用してモザンビークに赴任。帰国・復職を経て18年10月からはJICA海外協力隊(民間連携)でベトナムへ。復職後、現在は滋賀県からリモート勤務をし、システム事業部のリーダーとして若手の指導も担当する。

「それまでの人生で積み重ねてきた常識が当たり前ではないことを、実体験として知ることができました」と話すのは、職場のボランティア休職制度を利用してJICA海外協力隊に参加した松永 紘さん。今は復職し、国内で業務に励んでいる。

モザンビークで同僚と共に

モザンビークで同僚と共に

   松永さんが勤務するのはITシステム開発を手がける株式会社ゼネット。元協力隊員でもある同社の四元一弘社長(バングラデシュ/養殖/ 1981年度4次隊)が、社員の見聞を広める目的で、在籍したまま1年以上の海外ボランティア経験を認める休職制度を設けた。社内に協力隊経験者は数人いたが、制度を使って現職参加するのは松永さんが初めてだった。

「当時30歳を前にして仕事にも慣れてきていましたが、日本の人口減少など社会の変化が叫ばれる中、今の仕事を先々まで続けられるかとの危機感と、価値観の異なる世界を知りたいとの思いがあり、社内制度もあるので挑戦してみようと考えました」

   募集職種の中にコンピュータ技術を見つけ、応募を決めた段階で社長に話して制度を利用したいと伝えた。2014年初めの合格発表から、二本松青年海外協力隊訓練所での派遣前訓練開始までには半年ほど期間があったが、「プログラム作成や社内教育、IT資産管理など多くの業務を担当していて、整理や引き継ぎは大変でした。語学の事前学習には正直手が回らず、訓練中に朝や夕方以降の自由時間でしっかり自習して取り返すよう心がけました」と振り返る。ともあれ、周りの社員の理解もあり、盛大に送り出してもらえた。

モザンビークでのコンピュータシステムの管理

モザンビークでのコンピュータシステムの管理

   配属先はモザンビーク教育大学の情報システムを管理する部署。学内のネットワーク管理や変更のほか、他部署からコンピュータ関連の不具合の連絡を受けると、メンバーと一緒に対応した。

   ただ、日本と大きく異なる環境に悩まされもした。国内のインフラが脆弱で、トラブル時のバックアップ体制も整っていないため、「よその地域で停電があるだけで、インターネットさえ不通になることもありました」。仕事の感覚も日本とかなり違い、システムを作っても継続運用していく意識が薄かったり、担当者が代わる際の引き継ぎがなく、パスワードすらわからなくなったりしたこともある。高度なシステムより管理や保守のしやすさを優先するなど工夫しつつ、2年間の任期を全うした。

   帰国して仕事に戻った松永さんだったが、数カ月後、会社からJICA海外協力隊(民間連携)(※)でのベトナム派遣を打診された。将来的な現地人材の確保につなげたい会社の考えと、「アフリカとアジアの違いを体験したい」という松永さんの思いが合致し、参加が決まった。モザンビークでの経験から「ネットさえつながれば、最新の技術についていけなくなることはない」との実感もあった。そうして18年10月に配属されたのはベトナム南部、ニャチャンの州立大学。インフラに問題もなく、活動に集中できた。今回は学生にIT知識を教えたりもしていたが、コロナ禍で任期が短縮され、20年3月に帰国・復職した。

ベトナムで学生に授業する松永さん

ベトナムで学生に授業する松永さん

   現職での協力隊参加について松永さんは、「帰る場所があり、慣れ親しんだ環境に戻ることができるのはよかった」と話す。2度の派遣のいずれも帰国後1週間余りで職場に戻ったが、派遣前と同じような部署で、帰国前に復職後の業務の事前共有があったことも復帰の助けとなった。

「日本の職場がどんな雰囲気か忘れていて、きちんと振る舞わなければとの強迫観念じみた感覚もあり、むしろ派遣前よりも勤怠面がしっかりしました」

   日本の常識の通じない海外での活動を経て、仕事の中で〝当たり前〟という決めつけをしなくなったと話す松永さん。以前は自分のやり方を押し通しがちだったが、複数の見方があることを意識するように変わったという。また、自身がマイノリティとして暮らす感覚を知り、外国籍の社員に配慮する意識も強まった。

「私の場合、外国語では講義形式の説明を理解するのが大変だという経験をしたので、弊社の外国籍の人にも同じような困難がないか気にかけています」

   IT分野では日々の仕事が国際化に向かっているという。「開発を依頼されるシステムが日本人向けとは限らなくなると思いますし、業務のリモート化が進めば海外の人とも働くようになるでしょう」。松永さんが自分の経験を生かせる場面は一層増えていきそうだ。

応募者へのMessage

IT分野では、「第一線を離れると先端技術についていけなくなる」ともいわれますが、インターネットさえつながれば、不安はないというのが実感です。現職参加はなじみの場所に帰れる安心感があるので、興味があれば飛び込んでみると、発見や得られることは多いと思います。

任地メモ

牛肉を煮込んだモザンビーク料理

牛肉を煮込んだモザンビーク料理

モザンビークではエビなどの海産物も豊富だった

モザンビークではエビなどの海産物も豊富だった

   モザンビークとベトナムのいずれも、食事は口に合いました。モザンビークでは牛・豚・鶏肉類、海産物など何でもあり、煮込みやカレー、フェジョアーダという豆料理など料理法もさまざま。掘っ立て小屋のような食堂で食べてもおいしいほどで、お薦めはトコサードという、鶏肉を乾燥マンゴーで味つけした酸味のある料理です。ベトナムではバインセオというお好み焼きのような料理が気に入っていて、フォーもよく食べました。

   安全管理に関して、モザンビークではスリや引ったくりが多く、速く歩くよう心がけたり、背後に人が立つのを避けたりと注意していました。日本人・現地人を問わず、知り合いが危ないと言う場所は大抵実際に危ないので、言うことを聞いたほうがよいですね。

職種ガイド:コンピュータ技術

計画・行政分野の職種の一つで、IT技術者の養成に携わる「人材育成型」、省庁などで公共サービス関連のシステム開発を支える「情報システム開発型」、I T利活用支援やセキュリティ対策などIT環境の整備を担う「IT環境整備型」といった活動形態がある。松永さんは2度の派遣で共に大学で活動し、1度目は学内のネットワーク管理・整備を行い、2度目は同様の活動をしつつ、学生への授業も実施した。

※JICA海外協力隊(民間連携)…JICAと企業の合意の下、社員を海外協力隊員として派遣するプログラム。各企業の事情に応じて派遣国や職種、派遣期間の調整ができる。

Text=三澤一孔 写真提供=松永 紘さん

知られざるストーリー