JICA海外協力隊に参加する人はどんな人?

CASE2   ライフイベントが一段落した50代前半から
30年の教員経験を役立てたいとカンボジアの教育改善に地道に取り組む

子育て、介護などが一段落し早期退職して参加した伊藤明子さんの場合
▶ シニア海外ボランティア(※)教育行政に関わる隊員としてカンボジアへ3度派遣
▶ 帰国後:個人でカンボジアと関わり続ける

伊藤明子さん
伊藤明子さん
カンボジア/教育行政/2006年度0次隊・2010年度2次隊・2016年度3次隊、東京都出身

公立中学校の理科教師を30年務めていたが定年を待たず退職し、協力隊に参加。その後も同じ配属先に2度赴任した。現在は公立中学校で理科実験の助手を務めながら、元配属先への算数の指導法の協力やNGO法人アンコール・クライマーズ・ネットでスポーツ普及の支援を行う。

協力隊時代の伊藤さんの巡回先の小学校。5、6年生が一つの教室で学ぶ複式学級

協力隊時代の伊藤さんの巡回先の小学校。5、6年生が一つの教室で学ぶ複式学級

   学生時代、ネパール山麓をトレッキング中にA型肝炎で倒れ、日本のNGOが支援するネパールの病院に助けられて帰国した伊藤明子さん。「いつか恩返しがしたい。開発途上国の役に立ちたい」と思い続けてきた。中学校の理科教師をしながら、結婚、子育て、介護といったライフイベントに一区切りがついた頃、JICA海外協力隊でシニア世代が活躍できることを知った。

   当初は「理科教育」の要請を探したが、グローバルフェスタJAPANのJICA海外協力隊のブースで「教育行政」という職種を紹介された。教頭や指導主事の経験がなくても応募できると聞き、背中を押されて応募した。合格を機に退職し、2006年、54歳でカンボジアに赴いた。

   配属先のシェムリアップ州の北部は、ポル・ポト派が1998年まで戦闘を続けた地域で、79年にポル・ポト派が降服した首都や都市部に比べ復興が大きく遅れ、再開された小学校があるのみだった。

現在の活動から。カンボジアの教員養成校で繰り下がりのある引き算の教え方を説明する(2022年)

現在の活動から。カンボジアの教員養成校で繰り下がりのある引き算の教え方を説明する(2022年)

   カンボジア教育省が掲げる「就学率100%、留年・中途退学者の削減、中等教育の拡大」という目標の下、伊藤さんは「視学官」と呼ばれる教育行政官と共に州内の学校現場を巡回指導することになった。同国の義務教育は小中学校9年間。伊藤さんには、日本の中学校にあたる7 ~ 9年生の中途退学者を減らすための助言が求められた。

   中学の3年間に生徒が半減する原因は小学校に問題があると見て、伊藤さんが各小学校長に生徒の追跡データを記録してもらうと、そもそも小学校への入学が就学年齢よりも遅れる子どもが多い上に、年齢が上がるに従い家計を助けて働くため学校を辞めるケースが増えることや、小学校1年次から2年次への進級時に落第してしまう子どもの多いことがわかった。

「授業を見ると一方的な暗記中心で、算数の足し算や引き算でさえ、その理論を暗唱させるだけのものでした。これではものを考えない子どもが育ってしまうと思いました。教員は落第する子どもがいても気にせず、教え方に問題があるとも感じない。1年生が学ぶには難しい内容だと思っていたとしても、絶対的な上下関係があり、自分から上司には伝えられない」

現在の活動から。教員養成校で2022年に開催した「原爆展」。「ヒロシマのある日本に住む者の役割として、平和の大切さを伝えたい」(伊藤さん)

現在の活動から。教員養成校で2022年に開催した「原爆展」。「ヒロシマのある日本に住む者の役割として、平和の大切さを伝えたい」(伊藤さん)

   伊藤さんは、同僚たちに「先生方の教える力量に問題がある。教員のレベルアップに力を入れましょう」と提案し、子どもが自ら問題を解くための教材を使った教授法の導入に取り組んだ。

   伊藤さんは2年間の任期が終わった後も、同じ配属先に2回赴任した。彼女を駆り立てたのは、長い内戦が教育にもたらした大きな負の影響だった。

   2回目の派遣では広島県とJICAが実施した「カンボジア元気な学校プロジェクト」で寄せられた算数教材を活用して教授法の普及活動を行い、3回目は共に汗を流してきた配属先の同僚たちが教員研修会を学校現場に定着させる支援をしたいと参加した。

「なかなか力は及ばないし、いつも迷いながらの活動ですが、私がそばにいることで、現場に本当に必要なことや、先生たちが困っていることに、この国の人たちが気づく。自分が役に立てることがあるから参加しました」

   70歳の現在も仕事の傍らこの国の教育への支援活動を続け、ボランティアはまさに第二の人生になっている。

伊藤さんが現在も関わり続けているシャンティ国際ボランティア会の図書館指導

伊藤さんが現在も関わり続けているシャンティ国際ボランティア会の図書館指導

   その原動力は、協力隊参加で得た「筋金入りの国際協力ワーカーたちとの出会い」にあるという。任期終了後もこの国で暮らし活動を続ける先輩隊員や、80年代の難民問題の時代から40年近くカンボジアの人々を支援しているNGOシャンティ国際ボランティア会、対人地雷被災者救済などを目的にアンコールワット国際ハーフマラソンを主催してきたハート・オブ・ゴールドの有森裕子さんたちの30年近く続く活動に出会えたことは、「今の人生の土台になっている大きな宝物です」。

   伊藤さんのそんな姿に家族も影響を受けた。長女は協力隊に2度参加し、登山好きの夫・忠男さんはシェムリアップにロッククライミング競技の普及・振興を図るNGOアンコール・クライマーズ・ネットを設立した。伊藤さんの3度目の派遣の前に忠男さんは亡くなったが、「子どもたちにスポーツを通じてフェアな精神を学んでほしい」という遺志を伊藤さんが継いで活動を続けている。

応募者へのMessage

開発途上国ではシニア世代の方のほうが適応力に優れる面があります。派遣されて「自分の子どもの頃の地方の生活とそっくり」という人も。それは途上国の人々に寄り添う下地になります。新たな外国語を学ぶ苦労はありますが、役に立てることがたくさんあります。

任地メモ

カンボジアの交通状況は危険がいっぱい。地方ではヘルメットを着用せず3人乗り、4人乗りでバイクを運転する人も

カンボジアの交通状況は危険がいっぱい。地方ではヘルメットを着用せず3人乗り、4人乗りでバイクを運転する人も

伊藤さんの夫が設立したNGOアンコール・クライマーズ・ネットから独立してできた新たなクライミングジム

伊藤さんの夫が設立したNGOアンコール・クライマーズ・ネットから独立してできた新たなクライミングジム

カンボジアのシニア世代の同期隊員の一人は「市場で何でも手に入ると聞いたから」と機内持ち込みの鞄一つで来て、もう一人は日本から生活物資を多数持ち込み日本の生活を再現。どちらも健康上の問題なく任期を終えました。私たちが子どもの頃は「井戸水は沸き冷ましじゃなきゃ飲んじゃ駄目」「ちゃんと蚊帳の中に入って寝なさい」といったしつけを受けて育ったので、少し厳しい生活環境にもなじみやすいと思います。ただ、デング熱が怖いので、蚊取り線香をたくさんたいて過ごします。カンボジアの隊員の多くは自転車を使いますが、バイクの交通マナーが悪いので当てられてけがをしたりしないようゴム草履では乗らない、穴にはまったりすると危ないので雨が降ったら乗らないようにしていました。

職種ガイド:教育行政・学校運営

日本の教育委員会のように現地の教育行政官と共によりよい学校運営のため、校長や教員へのアドバイスを行う。伊藤さんの場合は、教育・青年・スポーツ局(後に教育局)に配属され、「就学率100%、留年・中途退学者の削減、中等教育の拡大」の実現に向け、同僚と共に州内の小学校を巡回指導。教員のレベルアップのため、教材を使った授業の実施や月1回の教員研修会の定着に向けた指導を行った。

※2018年春募集合格者までは40 ~ 69歳を「シニア海外ボランティア」と呼称していた。

Text=工藤美和 写真提供=伊藤明子さん

知られざるストーリー