JICA海外協力隊に参加する人はどんな人?

CASE3   学生時代に得た専門性や経験が協力隊応募の強みに
これからも弱者に寄り添った活動を

新卒で参加した平家穂乃佳さんの場合
▶ JICA海外協力隊公衆衛生隊員としてザンビアへ
▶ 帰国後:国内で看護師として働き、インターンでアフリカ関連の活動にも参加

平家穂乃佳さん(旧姓:田中)
平家穂乃佳さん(旧姓:田中)
ザンビア/公衆衛生/2018年度1次隊・北海道出身

大学時代に医学部で看護学を専攻し、その後進学した大学院では公衆衛生学を学ぶ。修了後の2018年7月からザンビアへ赴任。20年3月にコロナ禍で緊急帰国し、7月に日本で任期を満了した。現在は国内で看護師として働く。

   大学院修士課程の2年目で協力隊に応募し、新卒でザンビアにて公衆衛生隊員として活動した平家穂乃佳さん。最初にJICA海外協力隊の存在を知ったのは、高校時代に地元出身の協力隊経験者の報告会に参加した時だ。もっとも、その時点で協力隊員になるイメージがあったわけではなく、海外への興味から参加してみたという。

乳幼児健診で集まった母子

乳幼児健診で集まった母子

   その後は北海道大学医学部で看護学を専攻し、同大学院医学院へ進むと、修士課程で公衆衛生学教室に所属。大学院修了を前に、研究テーマだった公衆衛生の分野で社会に関わりたいと考え、かつ依然として海外への興味もあったため、協力隊への応募を決めた。

「公衆衛生の目的は人を健康にすることですが、研究が中心の取り組みだけでは社会還元の面が弱いと感じていました。また、研究で道内の地域コミュニティに接していて、当事者目線や人々の暮らしへの理解が自分に足りないとの意識もあり、現地の人と暮らしを共にする協力隊が、自分のやりたいことに近いのではないかと思ったんです」

   3月の大学院修了後すぐ、4月からの二本松青年海外協力隊訓練所での派遣前訓練を経て、7月にザンビアへ赴任した。約1カ月間の現地語学訓練後、配属されたのは首都ルサカから北に100km余り離れたカブエ郡のヘルスセンターだ。人口1万5000人ほどの地域を管轄し、貧困層の多い地域住民に対して外来診療や妊婦検診・母子保健活動、地域の水質検査など、地域医療と保健衛生に係るサービスを提供。10 ~ 20人の医療スタッフが所属し、その他、住民から成るボランティアたちも運営に参加していた。

生活習慣病対策の啓発で血圧測定などを実施

生活習慣病対策の啓発で血圧測定などを実施

   平家さんへの要請はセンターの既存業務の改善だった。2代目隊員だったので周囲の認知があり、活動に入りやすかった一方、仕事の煩雑さに苦労した。「日々の作業は行き当たりばったり感があり、外部の寄付団体との連携も統一されておらず、全体の動きの理解が困難でした」。極力多くの人の仕事に同伴したり声がけをしたりして業務の把握に努め、特に求められていた5Sの啓発などに着手。前任の隊員は平家さんと異なり臨床経験のある人だったが、その活動内容や今のセンターの状況、自分にできることを整理して配属先と相談、活動の方向性を定めた。

   任期後半には、新プロジェクトとして、生活習慣病対策の啓発イベントを数回実施した。糖分過多な食生活や肥満の人が多い状況を目にし、赴任初期から温めていた企画だった。成人を対象に血圧・血糖値の測定やBMI計算、メタボリックシンドローム診断などを行い、必要な場合には栄養改善や大きな病院での精密検査の助言もした。

   大学院修了後すぐに協力隊に参加し、精力的に活動した平家さん。新卒で赴くことについて、「当時は勢いもあって、不安はあまり感じていなかった」というが、大学院を経たことが自信につながったとも振り返る。

「実は学部時代にも協力隊の募集を目にしたことがありましたが、自分にはまだ専門性がなく、派遣されても役に立てないと思いました。大学院で専門性を身につけ、課外では中国の大学との交流イベントをゼロから立ち上げるなどの経験を積んだこともあり、大卒時より自信を持てた感がありました」

配属先の近所に住む人たちと

配属先の近所に住む人たちと

   帰国後の平家さんは、アフリカ日本協議会のインターンとしてアフリカについての情報発信に関わりつつ、日本国内の病院で看護師として働いている。ザンビアでの協力隊経験が直接的に現在の仕事に役立っているわけではないものの、自分らしさを大切にできるようになったり、ストレス耐性が上がったりと、隊員活動を経て内面的な変化があったという。

「働くフィールド自体は国内か海外かでこだわっていませんが、これからも公衆衛生や医療の分野に取り組んでいきたいです。社会的弱者やセーフティネットから漏れた人などに焦点を当てた仕事ができればよいですね」

応募者へのMessage

私の場合、大学院時代のイベント立ち上げ経験が応募時のアピールポイントになりました。 応募に際して、「学生時代にこれをやり切った!」と言える強みがあるとよいかもしれません。

任地メモ

左:現地ではまだ井戸の利用も多かった。右:平家さんが自作した、シマを使った食事

左:現地ではまだ井戸の利用も多かった。右:平家さんが自作した、シマを使った食事

活動中に住んだ家

活動中に住んだ家

   現地での住居は、当初ホームステイで、途中から一軒家に一人で住むようになりました。1年目の水・電力事情はよかったのですが、2年目は国全体が水不足で、断水が起きたり、水力発電ができないことによる計画停電もありました。1軒目の浴室は湯船のみ、2軒目はシャワーがありましたが、給湯機能が役に立たず、結局は別に沸かしたお湯をバケツで運んできていました。

   食事に関しては自炊することが多く、現地の主食であるシマ(トウモロコシ粉を水で練った食べ物)なども作っていたほか、現地で手に入る物で日本食作りも試みました。首都の中華食材店で買った中国の味噌や酒も、味を調整すれば日本風にできました。ただ、和風だしはどうしても再現できなかったので、日本から持参すれば便利だったと思います。

職種ガイド:公衆衛生

保健所や医療機関、ヘルスセンターなどで、地域社会と連携して保健・衛生の向上のために活動する職種。平家さんの場合、現地で過去にJICA が実施した小児保健関連プロジェクトのフォローアップで、カブエ郡の一部地域を管轄するヘルスセンターにて子どもの成長チェックや環境衛生の改善を行うという要請だった。既存業務の改善をしつつ、生活習慣病対策を啓発する新プロジェクトも実現した。

Text=飯渕一樹(本誌) 写真提供=平家穂乃佳さん

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