派遣から始まる未来
進学、非営利団体入職や起業の道を選んだ先輩隊員

世界銀行 保健専門官

清水真理さん
清水真理さん
タンザニア/村落開発普及員/ 2009年度4次隊・北海道出身





保健・栄養という軸からブレずにチャンスをものにして世界銀行へ

   世界中の途上国に資金や技術の援助を行っている世界銀行で、保健専門官として働く清水真理さん。「機会を逃さないこと」と「軸からブレないこと」を大切に、人生を切り開いてきた。

JICAスーダン事務所にて、新しいプロジェクト立ち上げのため助産師育成校を視察する清水さん

JICAスーダン事務所にて、新しいプロジェクト立ち上げのため助産師育成校を視察する清水さん

   生まれも育ちも北海道。両親がJICA北海道センターの研修員をホストファミリーとして自宅に受け入れていて、「さまざまな国の人と交流するのが面白かった」と昔を振り返る。ただ、都市部と比べると多様な情報に触れる機会が少ないと感じ、チャンスは逃さないように心がけてきた。

   国際協力の道に進むことを決めたのは大学3年の時。交換留学で初めて訪れたアメリカで、「恵まれない国の発展のために働きたい」と決めた。アメリカの大学院で開発経済学の修士号を取得した後、青年海外協力隊に参加したのは2010年のことだ。

   村落開発普及員として派遣されたのは、タンザニアの南部ムベヤ。タンザニアは世界でもHIV/AIDS陽性者が多い国で、特にムベヤはHIV感染率が約9.2%と全国平均を大きく超えていた(08年時点)。清水さんは現地NGOの研修を受け、HIV/AIDS陽性者の栄養向上プログラムを担当することになった。

「馬小屋で横たわっていた女性患者の姿が今でも忘れられません。傷口からは黄色い液体が出ていました。HIVに対する間違った認識により、適切な薬や食事を与えられることなく、家族から隔離されていたのです」

   この女性に限らず、差別や偏見、経済的状況によって必要な情報や薬、食料が行き渡らず、悲惨な環境に置かれている人と多く接した。一方、アメリカの出資により小児HIV診療センターが開設され、子どもたちの体調が改善していく様子も目の当たりにした。

「この時、『保健と栄養』を今後のキャリアの軸にしようと決めました。どの人にも平等な機会を与えてくれる基盤だと実感したからです」

協力隊時代。学校や村落でのHIV予防啓発活動や人材育成にも携わった

協力隊時代。学校や村落でのHIV予防啓発活動や人材育成にも携わった

   帰国後、開発コンサルタント会社を2社経験し、世界銀行から奨学金を得てボストン大学大学院で公衆衛生学修士号を取得。33歳で国連機関への登竜門であるジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)にも合格した。

   18年からの3年間、念願のユニセフで栄養担当官として勤務することもかなった。5歳未満児の急性栄養不良のプログラムと栄養分野の情報マネジメントを担当し、子どもの命と栄養の大切さをますます実感したという。

「栄養不良は貧困や知識不足、医療ケアの問題など、さまざまな要因が重なって起こります。国や組織によってアプローチは変わりますが、今の自分にできる最善を尽くしています」

   21年には、「健康保険のプロジェクトに関わりたい」とJICAスーダン事務所に移り、同時に公衆衛生の博士号の勉強も始めた。ところが、同年10月に軍事クーデターが勃発し、プロジェクトが中断。家庭の事情もあり、退職し、次のキャリアとして選んだのが、世界銀行だ。

「現在は東ティモール事務所に赴任しています。世界銀行ではプロジェクトを作成する国の医療サービスへのアクセスや疾病状況など、保健システムについての分析業務が非常に重要な役割を果たします。私は生物統計学や疫学を学び、エビデンスに基づいた情報を出せるので、その強みを生かせたらと思っています」

世界銀行東ティモール事務所に勤務する清水さん

世界銀行東ティモール事務所に勤務する清水さん

   清水さんがここまで着々とキャリアを築くことができたのも、機会を逃さなかったからだ。「常に2〜3年先を見据え、戦略的に動いています。希望のポストに就くためには何が必要で、何が足りないのかをリサーチし、博士号が必要なら大学院、知識不足なら研修に参加して勉強する。知人からのアドバイスも大切にしています。国連で働く協力隊時代の友人や進路相談カウンセラーとも今も交流があります」。

   活躍の裏では「苦しいことのほうが多い」とも話す。「本当にこれでよかったのか、もっと楽な道があったのではないかと考えることもあります。それでも大事なのは保健・栄養という軸からブレないこと。協力隊時代、現地の方々と同じレベルの生活をしたことは今でも役立っています。これからは、世界の人々が少しでも経済的な負担なく医療サービスが受けられるような場所づくりに貢献したいです」。

清水さんの歩み

1983年、北海道で生まれ育つ。幼少期の将来の夢は医師。

高校時代によい先生に出会い、勉強が面白くなりました

2007年、大学3年生の時に、交換留学生としてアメリカに1年間留学。大学卒業後、アメリカの大学院で開発経済学の修士号を取得。

2010年、青年海外協力隊としてタンザニアへ。

協力隊に参加したのは、国際協力で活躍する人たちの多くが協力隊からキャリアをスタートさせていたから。スキルのない自分でも機会をつかみやすいと思いました

2012年より4年間、開発コンサルタント会社を2社経験し、JICAの保健分野の事業に従事。その後、渡米し、公衆衛生学の修士課程を修める。

医療従事者ではない私が今後どのように保健分野でキャリアを構築すべきか考えた時、公衆衛生の学位が必要だと思い、世界銀行の奨学金に応募しました

2018年、公衆衛生学修士号を取得。

勉強に集中し、2年間のプログラムを1年半で修了しました。保健と栄養の分野で仕事ができるユニセフで働きたいと思っていたので、JPOに応募。1年くらいかけて情報収集や準備を行いました

2018〜21年、ユニセフスーダン事務所、シエラレオネ事務所勤務。

2021年、JICAスーダン事務所勤務。

2022年、世界銀行東ティモール事務所に勤務。

業務量が多くて大変です。東ティモールは初めての国ですが、内戦を経験していて国のバックグラウンドがスーダンやシエラレオネに似ているので、今までの経験が役立っています

Text=秋山真由美 写真提供=清水真理さん

知られざるストーリー