※人数は2023年2月末月現在
PROFILE
作業療法士として20年以上働いた後、北里大学で専任講師、東京・山谷地区で介護支援専門員。2013年に日系シニア海外協力隊としてパラグアイへ。16年からタイの大学で作業療法士の養成を支援。帰国後、神戸大学とJICAの協力事業でベトナムでも作業療法士の育成に努めた。
配属先:チェンマイ大学医療技術学部作業療法学科
要請内容:近年急速に進むタイの高齢化対策における社会的ニーズに応えるべく、作業療法士を目指す学部生に対する人材育成や大学の教育の質向上に協力する。
PROFILE
大学で作業療法士の資格を取得。熊本リハビリテーション病院で3年間働いた後、現職参加で協力隊へ。帰国後、復職。2020年から東京の病院に勤務しながら東京都立大学大学院で作業療法学の修士号を取得。出産を経て育児休業中。
配属先:ジャマイカ知的障害者協会
要請内容:アセスメントセンターに所属し、特別支援学校に通う知的障害のある生徒や外部からの相談に対し作業療法の評価や訓練を行う。
日々の生活に必要な動作や社会参加・復帰のための訓練など、心と体のリハビリをサポートする作業療法士。運動、温熱、電気など物理的手段を用いる理学療法に対し、作業療法は食事や入浴の練習など日常生活の動作を通じて改善を目指す。
派遣先は病院や障害者施設、特別支援学校などで、治療だけでなく、家庭訪問や巡回指導、CBR(Community
based Rehabilitation=地域社会に根ざしたリハビリテーション)の実践・普及など、活動は多岐にわたる。
20年以上、日本の病院や特別養護老人ホームなどで働いてきたベテラン作業療法士の浅海奈津美さんは、日本での多彩な経験を携え、2度にわたってシニア海外協力隊に参加した。
2度目の参加となったタイでは、作業療法士の職種でチェンマイ大学に赴任。作業療法学科の学生が病院や施設で行う臨床実習に同行し、教員や学生に助言や指導を行った。
多くの施設での実習を見るうち、浅海さんは「〝訓練のための訓練〟で終わってしまっている現場がある」と感じた。
「本来の作業療法とは、その人にとって意味のある作業を主体的に行えるよう支援し、健康を取り戻していくこと。たとえば、脳卒中で杖歩行していた方の家を訪問指導の実習で訪ねた時のこと。病後、止めていた畑仕事の再開を学生も手伝いながら試みたところ、その方はいつの間にか杖を置いて、しまっていた道具を抱えて運んでいました。反復動作を中心にした機能回復や低下予防の訓練のみでは、作業療法の目的は果たせません。その方の生きがいや本来の力を引き出すきっかけづくりこそが、とりわけ高齢者の作業療法では核となることを、教員や学生に実感してもらえるよう努力しました」
指導方針に異論がある場合は、学生が混乱しないよう教員の意見を尊重し、学生への助言という形で、その場で聞いている教員にも意見や提案が伝わるようにしたり、実際の患者への働きかけを通して理解してもらえるよう、配慮を忘れなかった。
浅海さんは授業の合間や大学の長期休暇を利用して、他の協力隊員やJICA専門家との連携にも力を入れた。
他地域で活動する作業療法士隊員の依頼を受けて講習会の講師を務め、世界で確立しつつあった「国際生活機能分類(ICF※)」に関する講義や事例研究など実践的な提案を行った。隊員仲間が主催するリハビリ研修会でもアドバイザーを務めた。また、大学配属ならではの活動として、日本の学生や教員を受け入れて両国の学び合いや交流の機会をつくったほか、タイの大学教員の日本留学もサポートした。
「各地で孤軍奮闘している協力隊や現地で出会った意欲ある若者を見つけてサポートするのもシニア隊員の役割の一つだと思います」
リハビリテーションを学んでいた学生時代、旅先のカンボジアで障害者が物乞いする姿を見て「いつか途上国で作業療法の技術を伝えたい」と思うようになった中島 彩さん。専門学校を卒業後、作業療法士としてリハビリテーション病院で働き、3年間の実務経験を経て、2016年、現職参加でジャマイカに渡った。
派遣先のジャマイカ知的障害者協会は、知的障害のある子どもたちに無償で特別支援教育を提供するNGO。中島さんは協会内のアセスメントセンターに所属し、ジャマイカ人の臨床心理士などと共に、敷地内にある特別支援学校の生徒に向けた作業療法の評価や訓練を担った。
生徒は、自閉症やADHD(注意欠如・多動症)、学習障害、ダウン症、脳性麻痺などの障害がある6〜20歳の児童や青少年。日本の場合、発達障害の早期治療は、6歳未満の就学前から開始するが、ジャマイカではほとんどの子がリハビリを受けた経験がなく、関節の変形・拘縮や行動障害などの二次障害をきたしていた。
日本の病院では約150人のリハビリスタッフがそれぞれの専門性を生かして働いていたが、配属先では作業療法士は中島さん1人。理学療法士や言語聴覚士もおらず、作業療法の技術や意義を伝えることから始めなくてはならなかった。
「ジャマイカの作業療法士は全国で10人程度。作業療法士を養成する学校はなく、作業療法を受けられる施設も限られていました」
中島さんは、支援学校初の作業療法士として、まず訓練を行うために必要な道具を手作りすることから始め、運動能力や手先を使う力の向上、着替えや字を書く練習などをサポートした。
「日本では経験のない症例に出会ったり、マンパワーの役割が求められて技術を伝える機会がなかったり、戸惑いもありましたが、必要とされている実感がありました」
たとえば、授業に集中できず怒られていた子がいたが、手元のはさみにテープで印をつけて正しく持てるように促すと、落ち着いて作業に取り組めるようになった。
子どもの変化に周囲の教員や保護者も興味を持ち、中島さんは学校や家庭でできる生活の工夫や自主訓練の方法を伝える機会を得た。そして、アドバイスを求められたり、相談し合える関係性ができていった。
「ジャマイカ人の作業療法士がいる他の施設を訪ねて道具の作り方を参考にしたり、ジャマイカ作業療法士協会の活動に参加したり、学外でも積極的に活動した」と話す中島さん。目の前の生徒に向き合いながら、学内外のネットワークを通じて広い視野で活動する視点も大切だと振り返る。
※ICF:International Classification of Functioning, Disability and Health=「生活機能(活動や参加)と障害は、健康状態と環境(物理的環境や社会的環境)や個人因子(性別や年齢、習慣など)とのダイナミックな相互作用である」という考え方に基づいた分類で2001年に世界保健機構により採択された。
Text=新海美保 写真提供=浅海奈津美さん、中島 彩さん