大学卒業後、アメリカの大学院で英語教授法の修士号を取得。2005年から17年まで中央大学杉並高校で英語教師として勤務。18年、現職教員特別参加制度でキルギスへ派遣され、ビシュケク市教育局に配属。帰国後、杉並高校で再び教壇に立つ。
首都の学校を巡回し、英語教育の質を向上させるという要請でキルギスに派遣された大塚さんは、英語、キルギス語、ロシア語の三つの言語を使う必要があった。英語は、日本の高校で12年間英語教諭を務めていた経験があり、不自由なく使えたが、問題はキルギス語とロシア語だった。
1991年に旧ソ連から独立したキルギスは他の中央アジア諸国と同様にロシアの影響が強く、キルギス語とロシア語が共に使われている。大塚さんは派遣前訓練でキルギス語を学んだので、派遣先での同僚とはキルギス語で会話できた。ただ、教育局の全体会議や巡回先のロシア語の学校ではロシア語が使われることが多かった。
キルギス語とロシア語はどちらもキリル文字を使うが、文法や語彙は異なる。大塚さんは「キルギス語は日本語と語順がほぼ同じで比較的習得しやすいと思いますが、ロシア語は難解で最後まで苦手意識がありました」と語る。ロシア語は名詞に男性・女性・中性があり、主格(〜は)、与格(〜に)、対格(〜を)など六つの格によって、名詞や形容詞、動詞の語尾が変化する「格変化」の習得が難しい。前後の影響で人の名前まで変わってしまうなど、習得は容易ではない。
「任地では両言語が同じくらい使われていましたが、現地の人のように両方を自在に操るのは難しいと感じました」と大塚さん。そこで「シチュエーションごとの言語の使い分け」と「単語習得」の二つに力を入れた。
英語教員と話す時は英語で、教育局の職員と話す時はキルギス語で、ロシア語は日常生活で使うようにして、自らの頭の中を整理。それぞれの言語について、想定されるシチュエーションを限定して集中的に学ぶようにした。大塚さんに話しかける現地の人にとっても、どの言葉を使うか迷わずに済む利点があり、例えば教育局では「キルギス語を話す人」と認識してもらったことでやりとりの円滑化につながった。
「ロシア語は単語さえわかれば何とかなると考え、単語帳は常に身につけ、気になる単語やフレーズを書き留めて乗り切りました」
当時を振り返り、「言語学習には波がある」という大塚さん。最初は任地に入って「意思疎通ができるから大丈夫」と思えても、話す量が増えていくと「理解できなかった」「伝え切れなかった」と落ち込む。そして、「もっと勉強しよう」と気持ちを奮い立たせる。そんな波の繰り返しだったという。
モチベーションが下がった時は、テキストを見直したり単語帳を開いたり、自宅で勉強することが多かったです。特に、派遣前訓練のテキストは文法が中心なので、基礎に立ち返りたい時によく見直していました。また、週1回、個人的に日本語を教えていたキルギス人学生からキルギス語を教えてもらったり、テレビでスポーツを観戦したりしてリスニング力を鍛えました。
Text=新海美保 写真提供=大塚 圭さん