[特集]私はこうして乗り越えた   語学の壁との向き合い方

CASE4【シンハラ語】【スワヒリ語】
テロとコロナで2度の一時帰国
再派遣のためオンラインでアウトプット練習

松山里美さん
松山里美さん
スリランカ/日本語教育/2018年度3次隊、タンザニア/日本語教育/2019年度8次隊、スリランカ/日本語教育/2021年度9次隊・福島県出身

大学卒業後、英語教師として中学校に勤務し、13年にJICA教師海外研修でインドネシアへ。17年、教員を退職し、一般財団法人国際教育文化交流協会主催プログラムで渡米、日本語教育のインターンを経験。帰国後、協力隊に参加してスリランカとタンザニアで活動する。22年8月からJICA福島の国際協力推進員。


待機期間中に学び直したシンハラ語を駆使して教壇に立つ松山さん。現在働いている福島県でも、在住するスリランカ人と関わる取り組みを始めている

待機期間中に学び直したシンハラ語を駆使して教壇に立つ松山さん。現在働いている福島県でも、在住するスリランカ人と関わる取り組みを始めている

   2019年に日本語教師としてスリランカへ派遣された松山里美さん。赴任から3カ月、徐々にシンハラ語も上達してきている中で、テロ事件が多発したことにより急きょ帰国が決定。全く言語の異なるタンザニアに振替派遣となった。タンザニアでは主にスワヒリ語と英語が使われている。日本国内での研修はなく、現地へ赴任してから2週間の現地語学研修は英語でスワヒリ語を教わる形で「とても理解が追いつかなかった」と振り返る。配属先の大学では日本語学習者が相手なので、日本語と英語中心の会話で「何とかなった」が、買い物など日々の暮らしではスワヒリ語しか通じない場面があった。「学習時間が乏しい中で語学レベルが低いのは仕方ないと気持ちを切り替え、とにかく単語だけでもたくさん覚えて乗り切ることにしました」。

コロナ禍の中、再びスリランカへ
渡航前に入念な復習

   ところが、タンザニア派遣から7カ月後、今度は新型コロナウイルス感染症の拡大で一斉帰国が決まった。「苦労しながらもスワヒリ語を少しずつ覚えてきていた時期だったので、またか!と落胆しました」。

   国内の小学校で働きながらも諦めずに再派遣を待つと、20年9月頃、スリランカのかつてと同じ任地への派遣を打診された。「派遣がかなっても、残りの任期は半年だけ。限られた期間で少しでも多く活動できるよう、教材を引っ張り出して言葉を猛復習しました」。日本の学校で働いている状況で語学に割ける時間は限られていたが、毎日の仕事の後に一対一のオンラインレッスンを受講した。

「レッスンは指定の教科書を使った会話練習が中心で、場面別のモデル会話を音読し、単語の意味や本文内容を確認してから再び音読、そしてターゲットセンテンスを使ってアウトプットするという流れで、よく使うフレーズを覚えて表現を正しく、多くできるよう意識しました」。普段は25分のレッスンを2コマ受け、忙しい日や疲れている日でも1コマは受講するようにした。

「オンラインで、規則正しい時間にこつこつ継続して学べたのはよかったです」。さらに、最初のスリランカ派遣時に一緒に働いていた現地教員が、コロナ禍で自宅待機中の生徒のためにオンラインでの授業を始めたと聞き、日本からのサポートを申し出た。

「日本で赴任を待つ間もシンハラ語に触れる時間を増やし、とにかく話したいことを伝えられるよう、特にアウトプットの練習には力を入れて準備を徹底しました」

私の語学メモ

シンハラ文字は独特で、語学訓練で初めて見た時は驚き、そして愛着が湧きました。拙いシンハラ語でもスリランカの人たちとの距離がグッと縮まるのを感じて、現地では積極的に話していました。2度目の派遣時は顔見知りの教員や生徒が大歓迎してくれて、結局、彼らと話したい、伝えたいという思いが語学の上達に一番つながっているのだと感じます。


言語を学ぶための参考ツール

松山里美さん

Text=新海美保   写真提供=松山里美さん

知られざるストーリー