※2021年1月現在
出典:外務省ホームページ
※2023年3月31日現在
出典:国際協力機構(JICA)
独立戦争後に内戦となり、30年近い戦乱が続いたモザンビーク。1992年の内戦終結後に本格的な国づくりが始まり、その後半の20年、協力隊が教育、保健医療、地域経済の改善など、幅広い分野で貢献してきた。
お話を伺ったのは
PROFILE
2006年国際協力機構(JICA)入構。パラグアイ滞在、農村開発部(現経済開発部)での中南米向けプロジェクト担当を経て、青年海外協力隊事務局で中南米地域を担当。その後、ブラジル事務所、中南米部に勤務の後、20年にモザンビーク事務所赴任。22年7月から教育、保健医療、ボランティア事業の担当次長。
アフリカ東海岸に位置するモザンビークには、8世紀ごろからアラブ人が訪れ、金や象牙などの交易を行い、15世紀になるとヨーロッパとの交易が盛んになった。16世紀には、ポルトガル人が入植し、インド洋貿易の拠点の一つになった。
18世紀末以来、ポルトガルの支配下に置かれたが、1964年、独立を求める戦争が始まり、75年に独立を果たした。しかし、77年に内戦が始まり、92年の終結までに100万人以上が戦闘や飢餓のために亡くなり、人口の約3分の1が国外に避難した。
JICAモザンビーク事務所の石黒亮次長は「インフラ、人材、資金など、課題はあらゆるところにあります」と話す。学校や病院、鉄道などは内戦中に攻撃の対象となり、残った施設も老朽化している。
「首都マプトでも周辺部に行けば水道が使えない地域もあります。農村部では、良くて井戸、そうでなければ川の水を使う人たちもいます」
教育も大きな課題で、独立した75年には文字を読めない人が人口の94%を占めていた。そうした中で、2003年に派遣された初代隊員は理数科教師とコンピュータ技術隊員。とくに教育では、その後、現地の教員と協力して作成した数学の中学校卒業問題集が、合格率の向上に貢献したことが認められ、全国で導入された事例もある。
「現地の先生の支援のほか、現在でも教員自体が足りていません。保健・医療分野も重要ですし、女性の経済的な自立のサポート、地場産品を用いた製品開発、販売支援も必要です。この国は、お金や物が潤沢にあるわけではありませんが、限られた条件の中で、5Sやカイゼンなどといった日本らしい発想が役に立ちます」
一部の地域を除き、内戦終結後は治安も安定している。金属や石炭などの大規模開発にけん引され、10年代半ばまでは年率7%前後、近年も着実な経済成長が続く。北部沖合からの天然ガスの産出が本格化するほか、豊富な海産物や農業への注目もあり、世界各国の企業が進出している。
石黒次長は、モザンビークの人は、目上の人に意見することは少なく、家族や親戚、友人など、周りの人を大事にする美点があると言う。
「23年に派遣20周年を迎えたモザンビークのJICA海外協力隊は、これまで約350人の協力隊員が、現地の人たちと信頼と友情を築き、国づくりに貢献してきました。JICAでは、首都マプト近郊の都市化、物流の拠点となる北部のナカラ回廊の開発、教育や保健サービスの質向上、その3つを柱に、持続的な開発を支援しています。新たな課題に一緒に取り組む協力隊員は、モザンビークの方々にとって心強い存在になりうると確信しています」
Text=三澤一孔 写真提供=石黒 亮さん