派遣国の横顔   ~知っていますか?
派遣地域の歴史とこれから[モザンビーク]

村で、学校で、ビーチで、続けられた成長への種まき

様々な分野でイチから始める活動ばかり。ないものづくしだが、協力隊員の底力を感じる働きが光る。

山家友明さん
山家友明さん
村落開発普及員/2010年度1次隊・宮城県出身

PROFILE
学生時代、就職活動を前に、ソーシャルビジネスの視点も持って活動する国際協力団体にインターンシップとして参加。そのことをきっかけに、国際協力に関心を持ち、自分の立ち位置を考えたいと、協力隊へ。活動後、モザンビークに戻り、開発コンサルタントを経て、起業。モリンガ油を日本へ輸出する。

野辺理恵さん
野辺理恵さん
理数科教師/2006年度2次隊・秋田県出身

PROFILE
中学生の頃、テレビ番組で協力隊を知る。大学卒業後、メーカーで工作機械の設計・開発に従事していたが、協力隊員の募集案内を見て説明会へ。現在は、秋田県産業技術センターに研究員として勤務。「企業の人たちと、どうしたらいい関係で仕事できるか」を考える時、派遣時の経験が役に立っている。

小松万理子さん
小松万理子さん
コミュニティ開発/2017年度4次隊・岩手県出身

PROFILE
子どもの頃から海外や国際交流に興味があり、大学時代には通訳や翻訳の勉強もした。大学卒業後、地方テレビ局で営業職として勤務していた時、JICAの国際協力推進員から、協力隊に多様な職種があることや派遣国の様子を聞き、応募。派遣終了後はモザンビークに戻り、現地の日本大使館でも勤務した。

農家の生活向上へさまざまな試み
〝成果〟を示唆して人を動かす

改良かまどの性能や使い勝手を現地の女性と共に確かめる山家さん

改良かまどの性能や使い勝手を現地の女性と共に確かめる山家さん

   モザンビーク南部のイニャンバネ州ビランクーロ郡に2010年から村落開発普及員として派遣され、農家や住民の生活向上のための活動を行ったのが山家友明さんだ。

   配属されたのは、同郡の経済活動事務所。農業省(現農業・食糧安全保障省)の出先機関だが、農業に加え、漁業、林業、観光業など、地域の経済活動全般を所管していた。ただ、実際は漁の許可証の発行や経済統計の調査が中心で、産業振興のための活動は限定的だった。

   山家さんは、住民たちの生活向上のために何ができるかを考え、さまざまな活動にチャレンジした。

   最初に取り組んだのは、派遣前訓練でも事例が紹介されていた「改良かまど」の導入だった。モザンビークでは調理の際、石を三角形に並べ、その中で薪を燃やし、石の上に鍋を置いて調理していた。開発途上国には多い形だが、囲いがないため熱が逃げ、効率が悪い。火が燃える部分を覆う改良かまどは、効率が良く、戦後、日本の農村で広がった生活改善運動でも普及が図られた。

   配属先のあるビランクーロならではの事情もあった。「海岸沿いの町なので、薪は町には少なく、女性たちは何時間もかけて奥地まで、薪を取りに行っていました」。改良かまどが普及すれば、薪の使用量も女性の負担も減ると、山家さんは考えた。

   セメントや粘土、レンガなど、材料や製法を変え、改良を重ねた。新たなかまどができるたび、住民を訪ね、女性たちに試してもらった。

首都マプトで開催された展示会にレモングラスを出品した農家の方と山家さん

首都マプトで開催された展示会にレモングラスを出品した農家の方と山家さん

   任期が終わる少し前になってようやく、続けて使ってもひびが入らず、火の回りもよい、満足できるものができた。「町の食堂が使ってくれて、『料理が早く進むし、薪の量も少なく済む』と喜ばれていると聞いた時には嬉しかったですね」。

   山家さんは、高収量で病気や雑草に強いネリカ米や、食用になるモリンガの植樹にも取り組んだ。そうした活動を続けるうち、気づいたことがある。「モザンビークの人は、あくせくせず、社会や集団のことはあまり気にしませんが、家族や個人の生活や利益のため、目に見える成果が見込めれば、行動は早いです」

   このことを実感したのが、現地で自生もしているレモングラスの栽培・商品化への取り組みだった。

「時々、レモングラスのハーブティーを振る舞ってもらっていて、おいしいと感じていました。海外ではレモングラスが商品として取引されていることを知り、親しくしていた農家に『売れるかもしれない』と持ちかけたのですが、最初は行動に移してくれませんでした」

   ところが、首都マプトの中小企業振興局で活動していたJICA専門家に、「首都での展示会に出品したい」と相談し、展示・販売が決まった途端、農家がやる気になり、短い準備期間にもかかわらずレモングラスのパッケージングを成し遂げた。

   山家さんは、「この国では、生活のために起業する人も多く、将来の可能性を感じます」と、帰国後にモザンビークに戻り、ビジネスを続けている。

豆電球がつくと高校生も拍手
未体験の実験と時間厳守を広める

   国づくりの大きな課題の一つは「人づくり」だ。2007年から理数科教師として活動したのが、野辺理恵さん。首都マプトの空港に降り立ち、車で同市内に入っていくとき、車窓から高層ビルが見え、「地元の秋田より都会」と思ったという。

ペットボトルロケットを使った実験で、生徒たちに作用反作用の法則の説明をする野辺さん

ペットボトルロケットを使った実験で、生徒たちに作用反作用の法則の説明をする野辺さん

   赴任先は、西部のマニカ州の州都シモイオにあるサモラマシェル中等教育校。8~12年生(14~18歳)約6000人が学ぶマンモス校だった。

   野辺さんの要請内容は、実験授業の指導や教材の開発、教員に対する手引きの作成だった。

   同校には、数年前に完成した実験室があり、ドイツから援助された電気回路を学ぶ実験セットがあった。しかし、現地の教員が実験に不慣れな上、連日、多くの授業を担当し、多忙なことから、実験セットは使われていなかった。

   加えて、実験器具の数も不足していた。しかし、「教科書の知識に加え、実験をすることで、物理現象への理解が進む」と感じた野辺さんは、どうしたら実験ができるかを考えた。

「1クラス60~80人の生徒数に対し、セットはたいていが2組。そのため、10人くらいのグループをつくり、順番にやってもらうようにしました」

   実験器具の扱いに慣れていないので、「壊されないために、どうするか」の対策も必要だった。配線の仕方も細かく伝え、「最後、電源を入れる前には先生を呼んで」と指示をした。

   こうして行った実験の一つは、乾電池を直列、あるいは並列につなぎ、豆電球をつないで明るさの違いを確かめるというもの。

「日本では小学生がやる実験なので、高校生にはつまらないかなと思いました。しかし、実験などやったことがないから、豆電球がつくだけで拍手が上がりました」

   大人も生徒も、明るく、おおらかで、すぐに打ち解けることができた。ただし、時間を守らないことだけは慣れることができなかった。

教員を対象に開催した理科実験セミナーで物体の運動についての実験を指導する野辺さん

教員を対象に開催した理科実験セミナーで物体の運動についての実験を指導する野辺さん

   野辺さんは、時間厳守で実験の授業を続けた。そのうち、生徒たちは「リエは絶対時間どおりに始める」「遅れると実験室に入れてくれない」と理解し、「前回楽しかったから」「また実験をやりたいから」と、時間どおりに来るようになった。

   着任から1年がたった頃、野辺さんは、他校にも実験の授業を広めたいと考えた。市内の他の学校では、実験器具も整っていないどころか、電気が来ていないところもあった。

   そこで、同僚や派遣中の理数科隊員でつくる理数科分科会と協力して、市内の学校合同で教員向けの「理科実験セミナー」を開くことにした。現地で手に入るもので実験ができるように、乾電池やアルミホイル、ストロー、ペットボトルなどを用意し、静電気やペットボトルロケットの実験を計画。問題は、他校の教員たちがどれだけ参加してくれるかだった。現地では、研修や出張の場合、食事や日当が支給されることが普通で、それが参加の動機にもなる。しかし、そんな予算はなかった。

   その時、同僚たちから出た提案が野辺さんを驚かせた。

「それぞれの学校のためになるんだから、費用を負担してもらえばいいんじゃない。協力してくれるように話をしよう」

   同僚たちと各校の校長を訪ねて相談すると、どの学校も応じてくれた。それで参加者の食事を賄うことができた。日当の支給がなくても、セミナーは2日間、約60人の教員でにぎわった。

「発起人は日本人でしたが、現地の同僚の協力がなくては開催できませんでした。教育や国づくりへの意欲を感じました」と野辺さんは振り返る。

知られていない魅力に焦点
地域情報を集め観光ガイド制作

   モザンビークには国名にもなった島をはじめ、世界遺産もあり、観光に力を入れている地域もある。小松万理子さんは2018年から、山家さんと同じビランクーロ郡の経済活動事務所に配属され、商業観光課で観光隊員として活動した。ビランクーロは美しいビーチのあるリゾート地だったが、派遣前にインターネットで検索しても、現地の情報はほとんど出てこなかった。

ビランクーロ郡にある民芸品店を取材しつつ店主と交流を深める小松さん

ビランクーロ郡にある民芸品店を取材しつつ店主と交流を深める小松さん

   配属先から活動についての指示はほとんどなく、同じ仕事をする同僚もいなかったため、小松さんは一人で町を歩き始めた。「中でも市場にはよく行っていました。市場のおばちゃんたちと過ごす時間は、私にとって、癒やしの時間でした。地元の食堂や小さな商店、伝統的な工芸品も魅力的でした」。

   しかし、観光客の多くは、空港からホテルに直行し、目の前のビーチで遊ぶだけ。情報もないため、町へ出ることはなかった。「お金を落としてくれなくても、国内外から来る人にビランクーロのことを知ってほしい」という思いが募っていった。

「もう一つ、よく訪れていたのが、町中の観光案内所で、行くたびに年配の職員が『ここに、こういう場所があってね』などと教えてくれました」 地域の情報を発信するため、小松さんは元々あった市内のマップをリニューアルしてモノクロA4サイズ1枚のマップを作ったが、これは「『写真は載ってないの?』など、評判が良くありませんでした」。

   次に行ったのが、インターネット上でのPRのすべを持たない工芸品の職人たちのために、簡易的なサイトを作ったり、グーグルマップへの登録をすることだった。「これは職人たちもとても喜んでくれました」。

   過去にJICAの観光関連のプロジェクトでパンフレットが作られていたことも知った。見ると、「情報は古くなっていて、文字ばかりで写真がなく、もったいない」と思ったこともガイドブックを作るきっかけになった。

制作したビランクーロの観光ガイドブックを海外からの観光客に配る小松さん

制作したビランクーロの観光ガイドブックを海外からの観光客に配る小松さん

   もっといいものを作りたいと思っていた時、モザンビーク隊員の機関誌を作っていた隊員から、画像編集ソフトの使い方や、首都の印刷業者などを教わった。残る任期は半年ほどになっていたが、小松さんはガイドブックを作ることを決断した。「ホテルや商店を回って企画を説明すると、載せて、載せてと声が返ってきて、どんどん大規模なことになっていきました」。

   印刷業者とのやりとりでは、納期を守らなかったり、届いたものも印刷がずれていたりとストレスもあったが、離任直前、ポルトガル語と英語の2カ国語を併記したA4サイズ、40ページのガイドブック、1000部が完成した。ローカルフードの食堂、伝統を守る職人、地域の歴史や文化の紹介も入れた。「ビーチをきれいに」と美化活動に取り組む団体の活動も紹介した。文章、写真、編集、レイアウトのほぼすべてを、小松さんが一人で担当した。取材先は約40カ所に上った。

   完成すると、市場のおばちゃんたちが、すごく喜んでくれた。「本を見て、お客さんが来た」とも教えてくれた。自分が感じた地域の魅力を、観光客にも知ってもらう手だてができた。それは小松さんにとって、「ビランクーロへの恩返し」でもあった。

活動の舞台裏

大切な現地語

   モザンビークの公用語はポルトガル語だが、ポルトガル語を第1言語とする人は人口の約10%。多くの人が日常的に使っているのは、地域ごとに30以上あるという現地語だ。

右:シーツゥア語を駆使して現地の方々や子どもたちと交流を深める山家さん。左:小松さん制作の観光ガイドの「シーツゥア語を話そう!」のページ

右:シーツゥア語を駆使して現地の方々や子どもたちと交流を深める山家さん。左:小松さん制作の観光ガイドの「シーツゥア語を話そう!」のページ

   村落開発普及員として南部のイニャンバネ州で活動した山家友明さんは「ポルトガル語だと何かよそよそしい感じでしたが、現地のシーツゥア語で話すと、すぐに打ち解けられました」。

   山家さんはシーツゥア語地域の協力隊員や後任の活動にも役立てたいと、「シーツゥア語会話集」を制作した。地元の人との会話などを通じて単語や挨拶、別れの言葉などを集めた。離任までに400語を集め、15ページの会話集を完成させた。会話集を見た地元の人からは「あなたの地域愛が伝わってくる作品だね」と喜ばれました。

   同じイニャンバネ州で観光隊員として活動した小松万理子さんも「『こんにちは』と言うだけで、大盛り上がりで、『現地語を話すアジア人がいるぞ』とめっちゃ受けました」。制作したポルトガル語と英語の観光ガイドに「シーツゥア語を話そう!」のページを作り、観光客に紹介した。

活動の舞台裏

美食の国モザンビーク
命をいただくことに感謝しつつ、隊員と現地の方でニワトリをさばいた(野辺さん提供)

命をいただくことに感謝しつつ、隊員と現地の方でニワトリをさばいた(野辺さん提供)

   理数科教師として北部マニカ州で活動した野辺理恵さんは「新鮮な海産物、ポルトガル料理など、いろいろな種類の料理と食材があり、とにかくおいしかった!」と話す。

   キャッサバの葉を細かく刻み、ピーナッツやココナッツミルクと一緒に調理する「マタパ」や、玉ねぎとトマトを炒め、ピーナッツとココナッツミルクを加えた伝統料理「ピーナッツカレー」が有名だが、野辺さんのお気に入りは、ニワトリの丸焼き。レストランでも屋台でも、スパイスで下味をつけ、唐辛子・ニンニク・レモン・オリーブ油で作った「ピリピリソース」で食べる丸焼きが定番メニューとしてあり、「ビールにぴったり」だった。

キャッサバの葉を使う「マタパ」(小松さん制作の観光ガイドより)

キャッサバの葉を使う「マタパ」(小松さん制作の観光ガイドより)

   忘れられないのは、隊員の誕生日祝いに、隊員たちでニワトリをさばいて料理したこと。「日本食を作ろうとしたところ、ストライキで食料店が休み。じゃあ、市場でニワトリを買ってさばこうとなって。慣れている現地の知り合いと隊員が協力して行いました。いつもながら命に感謝していただきました。すごくおいしかったことをよく覚えています」。



Text=三澤一孔 写真提供=山家友明さん、野辺理恵さん、小松万理子さん

知られざるストーリー