派遣から始まる未来
進学、非営利団体入職や起業の道を選んだ先輩隊員

オンラインの学び場「ジブンゴト大学」を立ち上げ

田村雅文さん
田村雅文さん
シリア/環境教育/2005年度1次隊・三重県出身





課題に取り組む人の声を共有する場をつくる

ダマスカス郊外、東グータの村の人たちとの一枚。校外学習で訪れた日本の学生たちを村で受け入れた

ダマスカス郊外、東グータの村の人たちとの一枚。校外学習で訪れた日本の学生たちを村で受け入れた

「他の人の問題について聞いたからといって、必ずしも共感や支援をしなければいけないわけではありません。誰かの〝自分事〟を聞くことで、自分が感じていることを声として出すきっかけになればいいと思っています」

   2020年にオンラインで社会課題を考える場「ジブンゴト大学」を立ち上げた田村雅文さんは、考えと思いを確かめるように言葉を選びながらも力強い口調で話す。当時、コロナ禍で世界的にステイホームが求められる中、インターネットならば世界中の人が学び合うことができると考えて、各国で社会活動に携わる人たちの話を聞けるオンラインセミナーやワークショップを企画。そして「世界のタニンゴトをジブンゴトに」をコンセプトとした。

   熱心な社会活動家のようにも受け取れるが、田村さんには「遠い国の出来事を他人事だと思うな!」と迫るような押しつけがましさはない。世界各地の人から学んで精神的に豊かになれる場を分かち合う、というスタンスだ。

   田村さんは大学時代から世界の保健事情に関心があり、1年生でイラクを訪れた際、現地の医療・経済などの状況にショックを受けた。その後、英国の大学院への留学を経て協力隊に応募し、シリア初の環境教育隊員として活動したが、活動成果を振り返って消化不良な感覚が残った。「その経験がなければまったく違った人生を送っていた」と断言する田村さん。帰国後はいったん外資系フィルターメーカーに勤務したが、「やはり国際協力の現場に行きたい」と11年に開発コンサルティング会社に転職した。

サダーカの活動で子どもたちと会う田村さん

サダーカの活動で子どもたちと会う田村さん

   しかし、時を同じくしてシリアで紛争が勃発。現地の友人たちが心配になった田村さんは隣国ヨルダンを訪れ、シリアの惨状を肌で感じた。シリアのために何かできないかとヨルダンに拠点を移していたJICAシリア事務所の採用募集に応募し、合格後、12年に妻子と共にヨルダンに移り住んだ。さらにシリア難民支援のボランティア組織「サダーカ」も結成。1日に何千人もの規模でシリア難民が押し寄せるヨルダンで、その実情とリアルな声を発信した。そして、持病や障害を持った人など、必要な支援を受けにくい人々にチャリティの寄付を届ける傍ら、日本国内では、難民が生まれる根本原因である戦争の終結を最優先にするよう各所で訴えるなど力を尽くした。

   17年、田村さんは国際乾燥地農業研究センター(ICARDA)に就職し、ヨルダンからエジプトに移った。「サダーカの中心的なメンバーの生活にも変化がありました。18年ごろから一部地域を除き戦闘が収まってきたこともあり 、活動の今後を話し合い、21年をめどに解散することになりました」。

   約10年間のサダーカの活動に「全精力を注ぎこんだ」という田村さん。一つの区切りが決まって虚脱感を覚えたというが、前後するように新しい展開が待っていた。JICA事務所時代に知り合った協力隊OVから、自身のオンラインイベントでシリアについて話すよう依頼されたのだ。それをきっかけとし、20年にイベントの関係者らと立ち上げたのがジブンゴト大学だ。

ジブンゴト大学ではシリア時代からの友人にも登壇してもらった

ジブンゴト大学ではシリア時代からの友人にも登壇してもらった。ジブンゴト大学ホームページ https://www.jibungoto.net/

   海外の紛争や難民問題に関わる人に話してもらうセミナーから始め、日本国内の課題に取り組む人にも幅を広げてきた。最近では、田村さんの隊員時代からの友人でもあるシリア人のニザールさんが避難先のヨルダンから登壇して10年に及ぶ避難生活での経験を語った。これまでにセミナーを32回実施し、累計の参加人数は750人に上る。参加者からは投げ銭などを募り、登壇者や運営を支えるフリーランサーへの支払いに充てている。

「住んだことがある場所が戦場になる経験をして、自分にしかできないことは何だろうと考えるようになりました。世界規模の紛争から、私が今まさに経験している子育ての場までさまざまなスケールの摩擦がありますが、目の前の人とのコミュニケーションを大切にすることが異なる考えの理解につながり、ひいては世界平和に関わっていくのではないかと感じています。最近はジブンゴト大学の参加者も固定化してきているのですが、誰に訴求するのか、〝ジブンゴト〟をどう追究するのかといったことを、私自身の中でもより明確にできるよう、地道な取り組みを続けていきたいと思います」

田村さんの歩み

1979年生まれ。

2000年、三重大学在学中に「日本イラク医学生会議」のグループ8名でイラクへ渡航。

1990年のクウェート侵攻に対する経済制裁下でしたが、バグダッドは思った以上に発展していて驚きました。イラク人学生たちとたわいない会話もでき、共通点を多く見つけられた経験です。

2004年、イギリスのブラッドフォード大学の大学院に留学。

専攻は国際開発学。実務経験のある社会人学生が多く、そのストーリーを基盤として主体的に学んでいました。自分にも彼らのようなストーリーが必要だと痛感した1年間でした。

2005年、協力隊に参加してシリアへ。

人の生活に近い場所で活動したいと思い、環境教育を選びました。寒暖差が大きい砂漠地帯の底冷えも経験し、戦災や地震で家を失った人たちの苦しさが少しは想像できるようになったと思います。

2007年、外資系フィルターメーカーに就職。

仕事のプライオリティのつけ方など、民間企業で鍛えられてよかったと思っています。ただ、利益追求が目的の組織でずっと働くイメージは持てませんでした。

2010年、結婚。

2012年、JICAシリア事務所で勤務開始。サダーカを結成。

妻は私の協力隊時代にシリア事務所で経理をしていた日本人女性です。僕がヨルダンのシリア事務所へ行くことにも賛成してくれ、サダーカの活動も妻の理解と協力があって実現しました。

2017年、ICARDAに就職し、エジプトへ。

2020年、ジブンゴト大学の立ち上げ。

トルコ・シリア地震ではICARDAの同僚の家族や、トルコのシリア難民たちも被災しました。サダーカ時代の16年に発足させたシリア和平ネットワークでも被災者支援に動いていますが、目の離せない状況が続いています。

Text=大宮冬洋 写真提供=田村雅文さん

知られざるストーリー