この職種の先輩隊員に注目!   ~現場で見つけた仕事図鑑

看護師

  • 分類:保健・医療
  • 派遣中:29人(累計:2,028人)
  • 類似職種:医師、助産師、保健師、栄養士、公衆衛生、感染症・エイズ対策、学校保健

※人数は2023年5月末現在

CASE1

磯貝恵里さん

地域病院で530(ゴミゼロ)運動を定着

磯貝恵里さん
日系JV/パラグアイ/2017年度3次隊・愛知県出身

PROFILE
高等専門学校で看護師の資格を取得し、総合病院に9年勤務。退職し、バックパッカーをしていた際に訪れたパラグアイの日系移住地に興味を持つ。高齢者介護施設での勤務などを経て、協力隊に参加。現在は、元勤務先の病院に再就職し、救命救急センター勤務の傍ら災害支援ナースの登録も目指している。

配属先:アマンバイ日本人会

要請内容:アマンバイの日系団体が行っている日系高齢者を対象としたデイサービスなどの活動の活性化や健康相談の支援と共に、同市にある地域病院で、看護業務の支援と周辺小学校や集落を巡回して歯磨き、手洗い指導といった保健衛生講習会などを行う。

CASE2

青野浩長さん

病院の集中治療室で看護業務を改善

青野浩長さん
キリバス/2014年度1次隊、ブータン/2018年度4次隊・静岡県出身

PROFILE
高校卒業後7年の工場勤務を経て、専門学校で看護師資格を取得。総合病院の集中治療室(ICU)で5年勤務後、協力隊でキリバスへ。帰国後は健康診断業務や看護学校の臨時教員を経て、再び協力隊に参加。スーダン派遣予定が治安悪化で任国振り替えとなり、2019年7月にブータンへ。21年からJICAジャマイカ支所の在外健康管理員。

配属先:ジグミ・ドルジ・ワンチュク国立病院集中治療室

要請内容:国立病院のICUで、同僚のICU看護に関する知識や技術力と看護意識の向上を図る。また、業務効率化につながる標準作業手順書やガイドラインの策定・整備、5Sを活用した環境整備や、感染、事故防止などへの助言を行う。

「看護師」隊員は、病院や地域(保健センター、小学校、村落地域など)で、看護業務の指導や住民への啓発活動を行うほか、看護学校で学生に指導を行うこともある。

   必要な要件は看護師の国家資格で、実務経験は3年以上。医療行為ができるかどうかは派遣国や要請内容によって異なる(※1)。特定の疾患や部署での知識や経験、プライマリ・ヘルス・ケア(※2)や母子保健、5Sについての体系的な知識が求められる場合もある。

CASE1

デイサービスを医療とつなぎ
地域病院ではゴミゼロ運動を展開

   看護師として脳外科やICUなど総合病院で働いてきた磯貝恵里さん。旅行で訪れたパラグアイの日系社会に貢献したいと考え、日系団体の要請が多い福祉分野の実務経験を積むため、1年ほど高齢者介護施設などで働いた後、協力隊に参加した。

   配属先はアマンバイ市にある日系団体。日系高齢者に行っているデイサービスの活性化、市内の地域病院の看護業務改善などが要請内容だった。磯貝さんは、まずは業務を知るためにマンパワーとして活動し、現場の課題を発見した。

   デイサービスでは日系の婦人ボランティアが高齢者にテレビ体操などを行い、血圧も測っていたが、その後の対応はなされていなかった。そこで磯貝さんは、参加者の健康手帳(※3)を作成し、その日の結果によってどんな対応をすべきかというボランティア向けのマニュアルを導入した。そのほか、高齢者のみで行っていたゲートボールで万が一のことが起きた場合の緊急連絡網を作成。さらに10年間実施されていなかった健康診断を病院と連携して再開させた。

   地域病院では、ゴミ拾い運動にも取り組んだ。

「入院となると家族も来て敷地内に寝泊まりします。ゴミ箱がなく、食べ物の容器などを平気で周囲に捨てるため、そこに水がたまって蚊がわき、デング熱など感染症の発生原因になっていました。廊下には患者があふれ、同僚までもが感染していきました。また、医療ゴミも分別されず中庭に捨てられていて危険でした」

   磯貝さんはカウンターパートを通じて病院にゴミ箱設置を訴え、病院への行き帰りに街中のゴミを拾い歩く「530(ゴミゼロ)運動」(※4)を、背中にデング熱への警告ポスターを貼りつけて実行した。病院併設の大学の授業の1コマをもらい学生にゴミの分別や環境整備の重要性も伝えた。

※1 原則として、身体侵略行為を含む医療行為は、JICA海外協力隊の活動内容に含まれません。

※2 プライマリ・ヘルス・ケア…すべての人にとって健康を基本的な人権として認め、その達成の過程において住民の主体的な参加や自己決定権を保障する理念。

※3 健康手帳…磯貝さんは、デイサービスで測定した血圧、家庭で自己測定した血圧・脈、薬の服用状況のほか、身長・体重など健康診断項目を一つにまとめて管理でき、かつ医療機関受診時に有効な冊子を作成した。

※4 530(ゴミゼロ)運動…5月30日に街中のゴミを拾い歩く運動で、1975年に磯貝さんの出身地である愛知県豊橋市が始め、全国に広がった。

磯貝恵里さん

初回の530運動で多くのゴミを拾い集めた学生たちと磯貝さん

初回の530運動で多くのゴミを拾い集めた学生たちと磯貝さん

最高のやりがい(任期中盤)

ゴミ拾いは一人で病院に通う道すがら始めたのですが、私のことをいつも気にかけ、院内の整頓などを率先して実践してくれる同僚がすぐ一緒に始めてくれました。次に看護学生に広がり、さらにそれを見た医学部学生たちの間に波及していきました。学生たちは1年生から昼間は病院で研修を受け夕方から授業という忙しい中、ゴミ拾いの声がけをし、ゴミ拾いのたびに病院のSNSで発信してくれて感動しました。私の帰国後の今も継続してくれています。


最大のピンチ(任期終盤)

任期終了まであと半年という頃、デイサービス運営を自分が担うようになっており、「自分が帰ったら振り出しに戻ってしまう」と感じました。婦人ボランティアの皆さんは運営を負担に感じている部分があり主体的な活動にはなっていませんでした。充実したデイサービスを継続させるためには、医療職との連携が必要だと考え、配属先の関係者の皆さんと粘り強く会議を重ねて合意を得て、日系人の理学療法士と関係づくりをして有償で関わってもらうようにしました。

CASE2

一緒に業務することで理解と
信頼を深め改善に取り組む

   ブータン最大の病院のICUで自らも看護業務を行い、同僚の知識や技術力の向上を図りながら、5Sなど業務効率化につながる活動をしたのが青野浩長さんだ。

「私は成人集中治療室(AICU)で活動しましたが、慢性的な看護師不足で休暇も満足に取れない状況だったので一緒に働きました。同僚が採血をうまくできずに困っていたら、見本をやってみせてから、アドバイスをする。そんなふうにしてなじんでいきました」

   配属先への隊員派遣は青野さんが4代目だった。直接引継ぎはしていないが、前任者は接触感染の予防のため、医療者の手指消毒を院内に定着させる取り組みに尽力していたそうだ。

「前任者の活動はしっかり定着していて、そのこと自体が、日本の考え方が浸透している証拠であり、私の活動への理解や協力が得られた理由でもあると思っています」

   看護師長はスタッフの看護意識や知識・技術レベルの向上から、環境改善、感染予防策、物品管理方法、記録物の整理など、病棟全体の改善に意欲的な上、スタッフの間にも日本の病院は清潔で整理整頓が行き届いているという情報が浸透していて、そこに近づけるためのさまざまなアドバイスや改善策を求められた。

「とはいえ、日本のやり方を押しつけないように気をつけました。アイデアを出し合い、意見を擦り合わせ、納得して取り組んでもらうようにしました」

   廃棄物の区分けや、ICU内のベッドや物品の定位置の決定、書類棚の細かい区分けなど環境整備に取り組んだほか、頻繁に起きていた点滴ルートの閉塞を防止するために、薬剤配合表を、病棟で多用する薬剤を選んで改訂し、医師や薬剤師らの許可を得て提示したり、薬剤の混在を防ぐための生理食塩液の使用を促した。共に業務をしたからこそ見つけた現場ならではの改善だった。

青野浩長さん

最大のピンチ(任期序盤)

実は赴任早々にけがをし活動開始が遅くなり、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を受け、患者対策にも携わり、その後一斉帰国になったため、配属先での実質的な活動は4カ月だけで、ピンチを迎えることなく終わりました。前回のキリバスでは、私のやり方を押しつけて同僚の反感を買ってしまったことや、2年間であれもこれもやりたいと焦るばかりで成果が出せず精神的につらかった経験があり、ブータンでは現実的にできることを実践していくようにしたことも役立ったと思います。


医療廃棄物の仕分けについてプレゼンテーションを行う青野さん

医療廃棄物の仕分けについてプレゼンテーションを行う青野さん

最高のやりがい(任期終盤)

廃棄物については、血液のついたものとそうではないものなど感染可能性のあるものの区分けの徹底を進めました。病棟師長からICUの取り組みを病棟内に共有してもらったことで、清掃員までしっかりとゴミを分別して捨てるようになり、捨て方が間違っているスタッフがいれば、互いに注意し合うようになりました。そこまで皆がやるように変わったのは、きちんと改善の意図を理解してもらえたことが一番大きかったと思っています。

Text=工藤美和 写真提供=磯貝恵里さん、青野浩長さん

知られざるストーリー