[特集]〝職種〟を生かして日本で活躍する

職種:料理▶「寿司店経営」

藤川大輔さん
藤川大輔さん
タンザニア/料理/2011年度3次隊・兵庫県出身

高校卒業後、18歳で上京、営業職に就くが、父の病気によって実家のある兵庫県姫路市に帰り、酒類の卸業を経てフレンチレストランの料理人を5年ほど務める。同時期に栄養士の資格を取得。再び上京し、35歳から小学校の給食調理の仕事に就く。協力隊ではタンザニアの観光大学のフードプロダクション学科で活動。帰国後の2014年にあたぼう鮨を開業。


日本の伝統文化に携わりたい
東京荒木町で江戸前寿司を継承する

あたぼう鮨の店内での藤川さん(中央)と板前、おかみ。
開店と同時にカウンター18席、テーブル16席が予約の客で埋まっていくほど人気の店

あたぼう鮨の店内での藤川さん(中央)と板前、おかみ。開店と同時にカウンター18席、テーブル16席が予約の客で埋まっていくほど人気の店

   醤油漬けや酢締め、焼き、煮などの「仕事」でひと手間を加える本格的な江戸前寿司。古くから続く食文化を継承するという夢を描いて実現したOVがいる。昔は花街として知られた東京・荒木町で「あたぼう鮨」を経営する藤川大輔さんだ。

   あたぼう鮨は高級寿司店でも回転寿司店でもない昔ながらの「町の寿司店」である。職人の仕事が行き渡った寿司を、日々の仕事で得たお金で食べられるぐらいの値段で提供している。

「高校を卒業して東京に出てきた時、この大都会でいずれビジネスがやりたい、と漠然と思っていました」

   事業を始めるにはさまざまな人と出会って生きた知識を吸収する必要があると直感した藤川さんは、高級な飲食店を食べ歩いた。

あたぼう鮨では「名物煮穴子」や「江戸甘味噌漬け」の通信販売を通じて江戸前の味を広く知ってもらおうとしている

あたぼう鮨では「名物煮穴子」や「江戸甘味噌漬け」の通信販売を通じて江戸前の味を広く知ってもらおうとしている

「おいしいものを一緒に食べたり飲んだりすると心が通じたり、教えてもらったりすることが多いでしょう。そんな大事な時に気後れしないように、ひととおり経験しておこうと思いました。私が食の世界と関わったきっかけです」

   22歳の時に父親が病気で倒れ、いったんは地元の兵庫県に戻った。酒店の卸を経て、ホテルのフランス料理店に勤めつつ、「ビジネスの種」を探す努力を続けていた。

「面白い事業を手がけている社長を見つけたら、『お金は要らないので働かせてください』と飛び込んでいました。ビジネスの最前線を肌で体験できるのだから、すごく勉強になりました」

   再び上京して選んだ仕事は小学校の給食センター。当時は30代半ば。目の前の忙しさに流されるのではなく、料理のスキルを生かしつつ、今後の人生で何をやるかを見極めるゆとりを確保するためだった。

隊員時代の藤川さんはシェフを目指す学生たちに衛生管理を含む料理全般を指導した

隊員時代の藤川さんはシェフを目指す学生たちに衛生管理を含む料理全般を指導した

   空き時間を使って取り組んでいた目黒区内の国際交流ボランティアの縁で協力隊を知り応募、料理隊員として派遣が決まった。赴任地はタンザニア。国立観光大学で学生たちに調理実習を行った。

「学生のモチベーションは高いのですが、忘れ物や遅刻が多くて、片づけの習慣も身につかない。なぜなのかを考えた時、彼らには成功体験もロールモデルもないことに気づきました」

   藤川さんは学生に10年先にどうなっていたいのかを考えさせた。ホテルのシェフとしてお金を稼いでいい家に住んで高級車に乗りたい、といった声が上がった。

「当時の一流シェフの月収を学生に伝えて、少なくとも同じぐらいのスキルを身につける必要性をわかってもらいました」

   翌日、3人の学生が藤川さんのところにやって来た。自分たちには時間がないことがわかったという。唯一の実習講師である藤川さんが帰国するまでに技術を吸収したい、と。それからは学生たちの学ぶ姿勢が大きく変わった。

   この経験で藤川さんが得た習慣がある。人間が何を考えているのかを考えること。上に立つ者は周囲から常に見られていると意識すること。その上で、Win-Winの関係を築くための努力をすることだ。

現在もにぎわう夜の荒木町。かつての花街の面影もある

現在もにぎわう夜の荒木町。かつての花街の面影もある

   タンザニアでは親しくなった人から「日本人だから寿司を作ってほしい」と頼まれることもあった。自らのアイデンティティを改めて考えたという。

「帰国時には40歳が目前だったので、残りの職業人生は食を通して日本の伝統文化を伝える仕事がしたいと思いました。中でも寿司店は勝負しやすかった。高級寿司店と回転寿司店の二極化が進み、町の社交場のような寿司店が減っていたからです」

   ついに自らのビジネスが定まった藤川さん。しかし、飲食業界での経験は長くても、寿司を本格的に握ったことはなかった。つてをたどって経験豊富な寿司職人に来てもらった。

「私も教えてもらって握っていますが、技術が店で一番高いわけではありません。経営者の仕事は別にあります。他の店との差別化を図ったり、対外的なコミュニケーションをしたり、スタッフの待遇を改善したり」

   あたぼう鮨には、江戸情緒が濃い荒木町という町の存在も欠かせない。町に魅力があるからこそ人が集まり、2軒目、3軒目として来る客も多い。藤川さんは人と人、店と店とのつき合いが色濃く残るこの町との「持ちつ持たれつ」の関係を大事にしている。祭りやイベントの実施、広く荒木町を知ってもらうためのメディアへの発信のほか、ホームページでは同町にある店の紹介も行っている。

   煮穴子と江戸甘味噌漬けの通販にも江戸の食文化を発信するという思いがこもる。今後は「落語や切子などとコラボして江戸文化をトータルで発信する」というライフワークを構想中だ。

飲食店を開業するには

あたぼう鮨の店内

あたぼう鮨の店内

   飲食店を開業するには、開業資金(通常は自己資金と日本政策金融公庫などからの借入で賄う)、店舗にする物件、食品衛生責任者の資格、収容人数が30人以上の場合は防火管理者の指定も必要になる。調理師免許は必ずしも取得が求められていない。他に営業許可申請、食品営業許可申請など各種の届け出も必要だ。

   物件選びは期間を要するが、藤川さんも寿司店を出す場所を探して東京中を回った。荒木町に一歩足を踏み入れた瞬間、「ここなら間違いがない。夜、売れる」と確信したという。30代にして土地を購入し賃貸アパートを建てた藤川さん。その際には「地位も実績もない私に貸してくれる銀行を見つけるのに何十行も回りました」。そうした経験を通してビジネス感覚が培われたのは間違いない。経験に裏づけられた勘に加え、江戸前寿司の継承というコンセプトも成功を支えているに違いない。

Text=大宮冬洋 Photo=阿部純一(本誌 プロフィール) 写真提供=藤川大輔さん

知られざるストーリー