派遣から始まる未来
進学、非営利団体入職や起業の道を選んだ先輩隊員

メキシコの日本人学校で学院長代理として勤務

岩村華子(旧姓:大野)さん
岩村華子(旧姓:大野)さん
パラグアイ/青少年活動/ 2002年度1次隊・神奈川県出身





多文化共生を掲げる日本人学校の理想と現実
学院長代理に抜擢されて改革中

活動序盤ではパラグアイなまりのスペイン語に苦労した岩村さん。当時出会った女の子たちとは、20年後の今でも連絡を取り合っている

活動序盤ではパラグアイなまりのスペイン語に苦労した岩村さん。当時出会った女の子たちとは、20年後の今でも連絡を取り合っている

   通常、日本人学校は日本人の子弟を本国のカリキュラムの下で育てることが目的で、現地の生徒を受け入れることは少ない。しかし、メキシコシティーにある日本メキシコ学院(以下、リセオ※)は、日本人向けの日本コースのほか、メキシコ人に日本文化を含めた教育を行うメキシココースを併設する珍しい学校だ。各コースで幼稚部から高校部まで(日本コースは小・中学部まで)一貫教育を行い、1977年の設立当時から「教育と文化交流活動を通じて、メキシコと日本という二つの貴い文化の連帯と協調、理解の懸け橋となる」を理念に掲げる。

   そんなリセオで学務と事務を束ねるのが、学院長代理の岩村華子さん。岩村さんが目指すのは、さまざまな民族的・文化的背景を持つ子どもたちが自主的に相互理解を深めることである。

   岩村さんが中南米に初めて滞在したのは21年前。隊員として赴任したパラグアイの村落で住民グループに加わり、学校からドロップアウトした青少年のための社会活動を行った。

   英語や日本語講座などの職業訓練、性教育、子どもたちの居場所となる広場作り…。子ども自身が考えて行動できる仕組みを整えようと、できることは何でもやった。だが、2年間の活動に心残りもあった。「私は国際協力だと言って草の根的に現地へ入って楽しく活動しましたが、貧しい子たちの将来に貢献できたか疑問で、私が去った後は何も残らないとも感じました」。

文化交流企画局のスタッフや理事たちと岩村さん

文化交流企画局のスタッフや理事たちと岩村さん

   その後は日本企業を経て、エルサルバドルの日本大使館で無償資金協力の外部委嘱員として1年間働いたが、援助で造られた施設が維持されていない状況を目の当たりに。一連の経験の中で、貧しい人々への直接支援ではなく、特に中間層の児童への教育の質を上げ、社会制度を変える人材を育てることが、貧富の差の解消につながるとの考えに至った。そして再び帰国し、語学力を生かして東京の在日メキシコ大使館で働いていた時、リセオのことを知った。

「同僚にリセオの卒業生がいたのですが、メキシコ人なのに俳句が好きだったり茶道のたしなみがあったりして、その学校、面白い!と思いました」

   リセオの文化交流企画局の求人を知った岩村さんは2014年にメキシコへ渡る。「企画局の役目は両コースの交流促進で、交流イベントや同窓会、インターンシップなど、異文化交流の中で子どもたちが学びを深められるような企画をどんどん出しました」。

   2年半ほど前のめりに働いた岩村さんだったが、「一職員としての裁量の限界から、まだ交流を本格的に増やせる状況ではないと感じていました」。リセオを辞めて一度帰国し、1年間米国の大学院へ留学。東京で働いていたところ、リセオで岩村さんに目をかけてくれていた理事長から文化交流企画局の局長として戻るよう打診された。「一度はお断りしたのですが、『以前できなかったことも、局長になればできるかも』と説得されました」

リセオでは文化祭や運動会を実施するなど、日本とメキシコの児童・生徒が交流する機会を設けており、現在は日本コースに130人、メキシココースに1000人余りが籍を置いている

リセオでは文化祭や運動会を実施するなど、日本とメキシコの児童・生徒が交流する機会を設けており、現在は日本コースに130人、メキシココースに1000人余りが籍を置いている

   心に引っかかっていたやり残しをくみ取ってもらえたように思い、リセオに再就職したのが19年。メキシココースの日本語教育では日本コースの生徒との交流授業を増やすなどインプット型からアウトプット型に転換したり、日本の学校とのオンライン交流を毎月実施したりと、実際に日本語を使う機会を増やした。「メキシココースの高校部3年生は例年約60人が在籍していますが、以前は日本の大学への進学者は学年に1人いるかいないかでした。私は上智大学などと協定締結にこぎ着け、今は毎年1割ほどが日本の大学に進学しています」。

   学院長のポストが空いたことから代理も兼ねるようになった現在、学院全体の業務にも追われる岩村さんだが、目標はあくまでも明確で変わらない。「まだ大人が交流授業などを企画せざるを得ませんが、本来は校舎もカリキュラムもできる限り一体化し、両国の生徒たちが自発的な交流の中で人間性を育むことが理想です。日本コースの生徒たちも、せっかく外国にいて日本人の仲間内だけで行動するのはもったいないですし、交流する中で意見をぶつけ合い、ケンカするのも大事だと思います」

   地道な改革でリセオを理想の姿に近づけながら、「リセオモデル」を他の教育現場にも広げていきたい――。岩村さんの挑戦は続いている。

岩村さんの歩み

1979年、神奈川県茅ケ崎市生まれ。

子どもの頃から海外に興味があり、テレビのドキュメンタリー番組や世界地図を見るのが好きでした。高校1年生の時に米国でホームステイした先がベトナム人移民の家庭で、多様性を感じ、刺激的な経験でした。

2002年、新卒で協力隊に参加。

学生時代にバックパッカー旅行をして、いろいろな国の人とワイワイ話すことの楽しさを覚えたのが、協力隊に魅かれたきっかけかもしれません。

2008年、エルサルバドルの日本大使館で草の根・人間の安全保障無償資金協力外部委嘱員として1年間勤務。

2010年、結婚。

夫は日本の企業に勤めている日本人です。結婚してからの13年間、私は半分以上を海外で単身赴任していますが、年に4回はどちらかの長期休暇を利用して1~3週間ぐらい一緒に過ごしています。理想的な結婚生活です(笑)。

2011年、在日メキシコ大使館の商務部で働き始める。

2014年、日本メキシコ学院(リセオ)に転職。

2017年、ロータリー財団奨学生としてカリフォルニア大学ロサンゼルス校の大学院で多文化教育を学ぶ。

英語が得意ではなく、欧米人にコンプレックスがあったのが正直なところですが、留学先で対等以上にディベートできたので自信がつきました。

2019年、文化交流企画局長としてリセオに再就職。

2022年からは学院長代理。

現場が好きなので、オフィスにこもらずに学校中を巡回して、生徒や先生たちとは必ず挨拶しています。好きな仕事ばかりができるわけではありませんが、何事にも楽しみや面白さを見いだすことが大切だと思っています。

※リセオ…日本メキシコ学院のスペイン語名Liceo Mexicano Japonésにちなむ通称。Liceo は中南米圏で中等学校などを意味する。

Text=大宮冬洋 写真提供=岩村華子さん

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