[特集]進路相談カウンセラー、
企業・NPO代表がアドバイス   協力隊後の仕事を考える

Case3

(認定)特定非営利活動法人シェア=国際保健協力市民の会は、
プライマリヘルスケアの最前線。「弱い立場にいる人への共感能力」が不可欠

本田 徹さん

(認定)特定非営利活動法人シェア=国際保健協力市民の会
理事/前代表

本田 徹さん
チュニジア/医師/1976年度3次隊・愛知県出身

<NPO法人シェア=国際保健協力市民の会>
1983年に設立された保健医療分野専門のNGO。途上国において保健医療サービスが受け難い環境にある住民の健康改善を目的として活動している。日本人専門家を現場に長期間派遣し、現地の人の主体性を尊重しながらプロジェクトを実施するのが特徴。海外だけでなく、在日外国人に対する医療分野での支援活動も行っている。結核やHIVに関する医療通訳派遣や医療電話相談など幅広く活動。2021年からは、東京都内に住むネパール人母子の支援を重点的に行っている。


日本に住むネパール人対象の母親学級で栄養について説明するシェアのスタッフ。このほか、「母子保健通訳相談窓口」なども開設している

日本に住むネパール人対象の母親学級で栄養について説明するシェアのスタッフ。このほか、「母子保健通訳相談窓口」なども開設している

   私が北海道大学の医学部を卒業した頃は学生運動が続いており、人生の羅針盤というべき存在が周囲には見当たりませんでした。

   道内の病院で3年ほど研修医として働いていましたが、「今のままでいいのだろうか」という気持ちが消えず、思い切って異文化の中で自分の腕を試してみようと思いました。

   どうせ行くならまったく知らないイスラム圏がいいと、協力隊に応募。チュニジアに派遣されたのが1977年のことです。医師の参加は協力隊史上2人目だったと聞いています。

   チュニジアではジェルバ島に赴任し、病院の小児科を任せてもらいました(※1)。住民の中に溶け込んで働かせてもらうことができたと思います。非常にラッキーなことに、チュニジアでの活動中にアルマ・アタ宣言(※2)のニュースが飛び込んできました。この宣言によって世界中に広まった「プライマリヘルスケア」の概念は、今でいえばSDGsの目標3「すべての人に健康と福祉を」に通じる内容です。

   私は派遣前に佐久総合病院の若月俊一先生が著した『村で病気とたたかう』(岩波新書)を読んでおり、予防医学を中心とした農村医療の取り組みがアルマ・アタ宣言とつながっていると深く腑に落ちた感動を今でも覚えています。

カンボジアで行っている子どもの健診の様子

カンボジアで行っている子どもの健診の様子

   帰国してから憧れの佐久総合病院で4年間勤務させてもらい、東洋医学を学ぶために東京の日産厚生会玉川病院に転じました。鍼灸は医療設備の整っていないような場所でも使える治療法だからです。

   当時は日本におけるNGOの勃興期であり、私はJVC(日本国際ボランティアセンター)の医療班にも参加しました。この医療班が保健分野に特化したNGOであるシェア=国際保健協力市民の会(以下、シェア)の前身であり、88年から今年4月までは私が代表を務めました。現在は、東ティモールとカンボジアに看護師や栄養士を長期派遣し、医療・保健現場に参加しながら現地スタッフの育成を行っています。

   日本人を長期で海外に派遣するのは資金確保が大変です。在外事務所の維持管理も含めて1人あたり年間1千万円以上はかかります。そのため、シェアで雇用し続けるのは難しく、海外プロジェクトから帰ってきた方には次のキャリアを目指してもらうことがほとんどです。幸いなことにシェアでの活動経験はキャリアアップにつながるようで、国際機関や保健分野の研究機関、他のNGOなどに移る方が少なくありません。

   協力隊との親和性も高く、過去20人以上のOVがシェアの一員になってくれました。現在、東京事務所のチーフスタッフにもOVがいます。

情報収集を怠らなければ、
次のステップにつながる何かに出会える

シェアでは女性普及員の育成も行う。日本在住外国人の妊婦さんの家で説明を行うネパール人女性普及員

シェアでは女性普及員の育成も行う。日本在住外国人の妊婦さんの家で説明を行うネパール人女性普及員

   途上国での活動には失敗や苦労がつきものです。任地での経験があるOVはフレキシブルに対応ができ、言語習得も早い傾向があります。コミュニケーション能力も高く、現地に違和感なく溶け込んでいくのです。とても信頼しています。

   シェアの現場では、さまざまなつてをたどって現場の中に入り、リーダーとして働くことが身上です。現地スタッフを引っ張るには当事者意識が不可欠で、その点でも自らの意志で協力隊に参加した経験のあるOVは資質を備えていると感じています。

   途上国で苦労をすると、弱い立場にいる人への共感能力が磨かれるのだと思います。それはシェアのような組織で働く上で最も大切なことです。

   生活の場も含めた現場に入っていくことの重要性はプライマリヘルスケアの観点からも欠かすことはできません。以前から日本の医療機関は「3時間待ちの3分診療」などと批判されてきました。患者と向き合わずにパソコン画面を見つめてばかりの診療をする医師も少なくありません。

   私は医療のデジタル化に反対するわけではありませんが、人と人との信頼関係やコミュニケーションは医療の基本です。特に生活習慣の観察が必須の予防医療は市井の人たちの生活に入り込んでいかなければ適切な分析はできません。

   例えば、小さな子どもの栄養失調。両親が仕事で忙しくておばあちゃんが駄菓子で育ててしまっている生活事情があったりします。患者の症状だけを見るのではなく、なぜこの病気になったのかという背景にも目を向けなければならないのです。

   佐久総合病院では劇団部を結成し、当時は娯楽が少なかった農村の人たちが楽しみながら公衆衛生について学べる取り組みを続けていました。シェアも重要な手法だと位置づけており、歌うことが好きな人の多い東ティモールでは、「回虫をやっつける歌と寸劇」を子どもたちに見せて、子どもから親へと手洗いなどの重要性を伝えています。

   病院の中にこもるのではなく、積極的にコミュニティの中に出ていくこと。アウトリーチと呼ばれる手法で、シェアでも重視しています。協力隊の精神にも通じるものがあるのではないでしょうか。

研修で栄養について学ぶ、東ティモールの現地保健ボランティア

研修で栄養について学ぶ、東ティモールの現地保健ボランティア

   キャリア形成を考える現役隊員の方にお薦めしたいのは、「任地での活動を最優先に考えて全力で取り組む一方で、今の活動が長い目で見て自分にどのような意味があるのかという視点を持つこと」です。協力隊での経験を将来の肥やしにするためです。

   そのような視点を持ちながら、並行して情報収集をすることもお薦めします。

   隊員時代、私は『The New England Journal of Medicine』という権威ある医学総合情報誌をチュニジアでも毎週購読していました。医学の最先端情報が載っているので、医師として遅れてしまっていると感じることなく、むしろ感度を高めてアルマ・アタ宣言の「プライマリヘルスケア」にぶつかり、次のステップへと進む大きな足がかりとなりました。

   現在の隊員なら、デジタルツールを使って世界中の技術の最先端に触れることができます。情報収集を怠らなければ、次のステップにつながるような何かに必ず出会えることでしょう。

※1 協力隊事務局では、一律に医療行為(身体への侵襲行為)を禁じていないが、派遣される国によって状況が異なるため、個別の要望調査票を要確認。

※2 1978年9月、旧ソビエト連邦(現カザフスタン共和国)のアルマ・アタでWHOとユニセフの共催で「プライマリヘルスケアに関する国際会議」が開催された。143カ国の政府代表と67の機関が参加し、1週間にわたる会議の最終日に採択されたアルマ・アタ宣言では、「すべての人々に健康を」というスローガンの下、健康が基本的人権であることを明言した。

[本田さんの協力隊後のキャリア]

1979年   協力隊から帰国。佐久総合病院(長野県)の内科に勤務後、日産厚生会玉川病院(東京都)勤務。

1983年   シェア=国際保健協力市民の会の設立に参加。東京・山谷地区の医療活動やエチオピア飢きんへの緊急支援などに参加。

1988年   シェアの代表に就任。
1991年タイ・マヒドン大学修士課程でプライマリヘルスケアを学んだ後、93年神奈川県港町診療所勤務。その後、94年ルワンダ難民支援、95年阪神・淡路大震災医療活動に参加。96年から堀切中央病院(東京都)に院長として勤務。99年に東ティモール緊急支援に参加。2008年から浅草病院(東京都)勤務。

2011年   東日本大震災緊急支援に参加(気仙沼市)。その後、いわき市福島労災病院(福島県)に週1回通う。2019年から21年まで高野病院勤務(福島県双葉郡)。

2022年から拠点を福島県飯舘村に移し、いいたてクリニックに勤務。23年にシェアの代表を退任し理事に。

現役隊員が今、すべきことは?

<情報収集>

活動に全力で取り組みながら、今の活動が長い目で見て自分にどのような意味があるのかという視点を持ち、情報収集を。シェアの活動に興味がある人には、SNS やメールマガジン登録を行うのもお薦め。
https://share.or.jp/

Text=大宮冬洋 写真提供=本田 徹さん

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