※2023年4月7日現在
出典:外務省ホームページ
※2023年7月31日現在
出典:国際協力機構(JICA)
1963年に独立を果たしたケニア。協力隊派遣は66年に始まり、アフリカ初の派遣国でもある。
国の歩みや協力隊事業の歴史について紹介する。
お話を伺ったのは
PROFILE
JICA監事。1996年国際協力事業団(現JICA)入団。総務部などを経て2001年から04年までケニア事務所で勤務。外務省経済協力局(現国際協力局)出向、JICA人間開発部次長兼高等教育・社会保障グループ長の後、15年から19年までケニア事務所長。沖縄センター所長、経済開発部長を務め、22年より現職。
インド洋に面するケニア沿岸部は古くから交易の要衝として栄え、15世紀の終わりにはポルトガルがモンバサを極東へ向かう船の補給地としていて、モンバサ港は現代でも東アフリカ最大の港となっている。19世紀末以降、ケニアは保護領を経てイギリス植民地となったが、1940年代から独立運動が広がり、63年に独立を果たす。独立後は比較的安定し、発展を遂げてきた。
元JICAケニア事務所長の佐野景子さんは、その歩みが、ケニア人のプライドになっていると話す。
「複数の民族の言葉や文化を大切にしながら、統一国家を運営してきました。アフリカ連合や東アフリカ共同体の実質的なまとめ役といえる存在です。日本以外では初めてTICAD(アフリカ開発会議)の開催国にもなりました」
ケニアはアフリカ最初の協力隊派遣国でもある。初派遣は66年で、ケニア独立からまだ3年、協力隊事業開始の翌年でもあった。初代隊員は建設機械2人と電気設備1人。以後、自動車整備などの職業教育、理数科教師、保健、農業などの分野で派遣され、時には技術協力プロジェクトと連携したりもしながら、成果を蓄積してきた。「ケニアの協力隊の特徴はチーム力。職種別の分科会や派遣地域のグループが、経験の共有や相談の場となり、活動のノウハウが引き継がれています」。
近年は経済成長に伴って都市への人口集中やごみ問題も顕著になり、環境教育や障害児・者支援、青少年活動など要請の幅が一層広がっている。
現地からの評価が高いのが、多くの隊員たちが任地の人々の民族語を積極的に学んで使っていること。「英語などではいつまでもよそ者のままだからと必要に迫られたものでも、相手に対する敬意の表れでもあり、配属先からは驚きと感謝の言葉を頂きます」。
ケニアでの注意点として、「選挙の時期は社会全体が緊迫します」と佐野さん。選挙結果で政策が大きく変わり、与野党支持者の利害に直結するためだ。2007年の総選挙の後には、結果をめぐる暴動が発生し、1000人を超える死者と数十万人ともいわれる国内避難民が出ている。ただ、この出来事はケニア人たち自身にとっても異例で衝撃的だったようだ。「ケニア事務所の現地職員もなぜあんなことが起きたかわからない、絶対繰り返してはいけないと話していて、選挙時のテレビCMでもそうしたメッセージが流されます」。その後も選挙時には隊員の首都待機などの対応が取られていたが、13年、17年、22年の総選挙では大きな混乱はなかった。
ともあれ、「総じてケニア人とは仕事がしやすいです」と佐野さん。能力が高く、〝空気を読む〟など日本人に似た気質があるという。何よりも、「村の人も街の人も、みんな親切。隊員が困っていれば、何とかしようと動いてくれます」。
Text=三澤一孔 写真提供=佐野景子さん