※人数は2023年7月末現在
PROFILE
小学校1年生の時から柔道を始め、大学まで柔道に打ち込む。高校時代にインターハイや国民体育大会に出場。大学卒業後は夜間高校の事務や中学校の保健体育の講師をし、留学を検討していた際、大学時代の顧問に協力隊を勧められて参加。帰国後、夜間中学の保健体育教諭を経て、現在は小学校教諭として特別支援学級を担任している。
配属先:体育庁タクナ支部
要請内容:地域の青少年にさまざまなスポーツをする機会を提供している体育庁の地方支部にある柔道クラスで、児童・学生を中心とした約30名の柔道選手に競技力の向上を目指し精神面、技術面を指導。柔道を通して、競技に向かう姿勢や生活上の日本的な礼節や道徳の指導を行う。
PROFILE
3歳から柔道を始め、高校時代には日本選抜チームで海外遠征を経験。大学卒業後、郷里の道場で教えた後、アメリカでナショナルチームなどへの指導を4年半行う。海外でさらなる経験を積みたいと協力隊へ。帰国後は柔道着メーカー勤務の傍ら大学院でコーチングを学ぶ。今年9月からスロバキアで2028年ロサンゼルス五輪出場を目指すナショナルチームとジュニアナショナルチームの指導に当たる。
配属先:マダガスカル柔道連盟
要請内容:首都の柔道連盟で、柔道指導者に精神鍛錬を含めて指導技術向上のためのアドバイスを行う。また、市内のクラブの柔道選手を対象に、基礎技術や柔道の精神についての指導を行う。
「柔道」隊員は省庁のスポーツ局や競技団体などに配属されて、選手への指導、練習環境の改善、現地指導者の指導力向上を行うほか、ナショナルチームの強化に取り組む場合もある。
基本的に3段以上の段位が必要で、選手に対する指導経験が豊富なほど活動に生かせる。近年は障害者柔道の指導を行うケースも増えている。
ペルーに派遣された中尾智栄子さんの配属先は、体育庁による無料の柔道教室。小学生クラスと、中学生から大学生の2クラスをカウンターパート(以下、CP)と共に指導した。2代目の隊員で、基本的な礼節やレベルに合わせた練習などに前任者の活動が生きていた。しかし、遅刻や無断欠席は多く、開始時間になっても誰も道場にいないことが日常的だった。
「道場に時計を設置して、生徒たちに時間を認識してもらいました。そして、『時間は、先生と生徒との大事な約束。それを破られるのはとても悲しい』『連絡もなく休まれると、事故にでも遭ったのではと心配になる』と伝えました」
小学生に付き添ってくる保護者がその話に納得し、時間を守る意識が広がった。しかし中学生以上には、難しい事情のある生徒もいた。
「経済的に苦しい家庭もあり、連絡を入れる携帯電話を持っていない子や、家の手伝いを優先しないといけない生徒もいて、多少の遅刻や連絡がなくても仕方ない、と思うようになりました」
週に1回だけだった道場の掃除は、生徒たちが毎回行うように指導した。
「砂丘がそばにある町だったので、畳がすぐに砂ぼこりだらけになってしまう。道場を大切にしよう、自分たちが使うところはきれいにしようと話し、皆で畳を掃いて、拭く手順を教えました」
ペルーで教室などの掃除を生徒が行うことは一般的ではないが、中尾さんはほうきの使い方から教えた。
「最初はガミガミ言っていたのですが、しつこく言わずに待つようにしたら生徒たちが少しずつやるようになりました。言っては待つ、の繰り返しでした」
1年半後、生徒による道場の掃除が定着。リマのJICA事務所から訪ねてきた職員が「ここはペルーなのか」と驚くほどきれいな道場になっていた。
活動を開始してすぐ、男性のCPから「生徒が混乱するから、教えないで」と言われてしまいました。技の教え方について私が口出ししたこと、しかも女性からというのがプライドを傷つけたようで、半年ほど、稽古に参加するだけの活動に。言葉もうまく話せず、唯一の相談相手だった先輩隊員も任期を終え帰国し不安になったのですが、生徒の保護者が「私たちは家族よ」と温かく受け入れてくれたことが支えになり、CPとも徐々にコミュニケーションがとれるようになりました。
子どもたちが「先生、先生」と集まってきてくれる時でした。稽古に励んでくれることはもちろんですが、休憩時間にたわいもない話をして楽しく過ごせると、打ち解けてくれていることを感じました。子どもたちにとっては珍しい日本人なので初めは距離がありましたが、活動後半には「先生、掃除したよ!」とニコニコして言うようになりました。柔道教室は無料なので気軽に入ってきてすぐやめてしまう子も多いのですが、こうした子はずっと続けてくれました。
マダガスカルの柔道連盟に派遣され、選手たちの強化を目指す基礎技術の向上と、視覚障害者柔道の普及を図ったのが井手龍豪さんだ。
マダガスカルの柔道はナショナルチームの選手でも、派手な投げ技など力まかせの部分が多く、きちんと組んで相手を崩す、といった体さばきや寝技ができていなかった。そのため、柔道の基礎である受け身・打ち込みを教えた上で細かい技術を指導した。
「効率よく技がかけられるつま先への重心の置き方や、柔道着をつかむ際に指先で引っかければ疲れないことをやってみせ、どうすれば技が入るのか、生徒自身が気づいて動けるように教えました」
指導者への配慮も欠かさなかった。
「皆さん熱意を持って指導し、マダガスカルの柔道を支えてきました。敬意をもって、その技術や考え方にプラスする形で、より良い稽古の方法を一緒に作り上げる姿勢で臨みました」。
各クラブは週2回の練習だったが、選手強化には圧倒的に足りないと感じた井手さんは、週に6日間、体育館の一角を借りて無料の自主練習会を行った。
任期が残り1年になった頃、マダガスカル柔道の可能性を広げたいと、視覚障害者柔道クラスを現地の指導者と立ち上げた。メンバーは井手さんらが街中で声をかけて集めた。指導を2年ほど受けたそのうちの一人は昨年末、東京で開催された国際大会に出場するまでに育った。
「子どもも大人も、健常者も障害者も、所属やレベルに関係なく同じ場所で教えました。彼らが一緒に稽古することで互いに刺激になりますし、大人は子どもを、強い選手は障害者をサポートし、寄り添って柔道を学んでいける場づくりができたと思います」
地方のクラブに指導に行った時、食中毒になってしまったことです。初日の稽古を終えて子どもたちと街を歩いている時に、「先生、ココナッツの実を割った中にある白いところがおいしいんだよ」と勧められて一緒に食べたら、一人だけあたってしまいました。それから翌日朝まで嘔吐と下痢、胃が引きちぎられるような痛みが続き、痛み止めをいくら飲んでも効きませんでした。翌日の稽古は気力でなんとか行いましたが、隊員生活で一番つらい経験でした。
出張指導に行って子どもたちに教えた翌日、その親の方々から「子どもたちが『学校に行きたくない、今日も龍豪と柔道をしたい』と言っている」と言われたことが心に残っています。また、視覚障害者の選手のもとにJICAオフィシャルサポーターの高橋尚子さんが来られた時、「僕は目が見えないから弱い人間だと思っていたけれど、龍豪先生に教わって変わった。今、僕は強いんだ」と話すのを聞いて、教えていて良かったと感無量でした。
Text=工藤美和 写真提供=中尾智栄子さん、井手龍豪さん