[特集]座談会・6人の経験に見る協力隊で身につく19の力

深澤さんが身についた力

編集室
まずは皆さんの活動内容についてお話しいただきたいのですが、どのように状況把握や課題の発見をして活動を進めていったかについてもあわせて教えてください。

深澤さん(看護師):私はケニアの首都から車で6時間ほど離れた町にある、カプカテット・サブカウンティー病院の看護部の所属でした。ここで品質改善チーム(Quality Improvement Team 以下、QIT)をつくり、5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)活動を実践しながら、医療サービスの質の改善や効率化に取り組みました。

   初代の隊員だったので、着任して2、3カ月は現場を見て回って、活動計画を立てました。数年前に近くの病院に配属された先輩隊員が配属先の病院にも巡回指導に来て5Sを始めたと聞いていましたが、残念ながら継続されていませんでした。

   病院は手術室や救急外来、新生児病棟など五つの病棟があって新型コロナウイルス陽性者用の病棟も新設して受け入れていましたが、感染対策が十分なされておらず、衛生面でも多くの課題がありました。

   まずは物品の整理整頓や適切なゴミ処理方法などを伝えてチームで実践することから始めようと、意欲の高い職員が多かった3部署を対象にして5Sの活動を進めました。

村上さん(コミュニティ開発):私はマダガスカルの首都があるアナラマンガ県内の村を巡回し、地域住民の生活改善や収入向上につながる活動を行いました。配属先はJICAと生活改善プロジェクトに取り組んでいるマダガスカルの農業・畜産省で、首都にはカウンターパートがいましたが、任地にはいませんでした。また、そこの地域に日本人は私が初めてで、当初頼れる人がいませんでした。

   在学中に学んだ開発人類学の考え方とフィールドスタディの経験から、文化や生活を知るために現地調査が必要と考えました。まず市役所での会議やイベントなどで各地域のリーダーとのつながりをつくり、調査に協力してくれる家庭を紹介してもらいました。

   訪問調査にあたっては、「この地域の生活について知らないから教えて」というスタンスでお邪魔して、食事や生活スタイルはもちろん、生計の立て方や生活で困っていることなどを1日3軒程度聞いて回りました。その結果を基に、改良かまどや栄養改善、家計簿研修などさまざまなワークショップを開きました。

園尾さん(小学校教育):深澤さん、村上さんと同じで、私も初めて協力隊を受け入れる地域への派遣でした。

   パラオの主要都市のコロールから車で1時間ほどのガラスマオ小学校に配属されて、算数と体育を教えました。村自体が人口200人にも満たない小さな村で、小学校は8学年ありますが全校生徒が35人程度でした。

   算数の課題は計算力の低さでした。反復練習が足りていなかったので、かつてパラオの小学校教育の隊員が使った「マスヒーロー」という計算ドリルを使うことにしました。1日10問で構成された計算ドリルで、1年で80回分あります。担当したクラスではドリルを終えた児童のスコアが上がり、授業が進めやすくなりました。体育の授業では、他の隊員や地域の人と協力しながら、任期中に2回、運動会を実施しました。児童たちの運動能力は低くないのですが、運動の経験がほとんどなかったので、潜在能力を引き出すプログラムを企画して実践していきました。

山崎さん(体育):私は2代目の隊員として、カンボジアの首都プノンペンにある生徒数約700人のボントラベック中学校・高等学校で体育を教えたり、配属先である認定NPO法人ハート・オブ・ゴールドのワークショップに参加して、体育事業普及に向けた支援を行ったりしました。

   同NPOの体育科研修のモデル校となっている中学校・高等学校で体育教員は5人いたものの、現地教員の給料は高くなく、副業している先生もいて、なかなか全員そろわないのでコミュニケーションを取るのが大変でした。

   さらに体育の授業は体を動かすのが好きな生徒や真面目な生徒だけが参加したりしている状況で、なにかと苦戦が続きました。現場力を発揮し、授業再開までは体育の授業を円滑に行うための環境整備に焦点を絞り、草をむしったり、運動マットを干したり、そんな活動からのスタートでした。

神崎さん(学校保健):私の場合は、コロナ禍前はスーダンで小・中・高校を巡回して手洗いの大切さを伝えるなどの衛生教育を行っていたのですが、スーダンの情勢悪化に伴いエジプトに任国変更になり、派遣されたものの約半年でコロナ禍に入ってしまって一斉帰国になりました。特別登録を経て再派遣されたのが22年の6月です。

   エジプトでは支援が必要な保育施設を巡回しながら幼児や保育者、保護者に向けて手洗いや食育のワークショップなどを実施しました。日本ではいわゆる「保健室の先生」で、小学校の児童に向けた指導をしてきたので、対象の違うエジプトでの活動になって、当初心配でした。エジプトの幼児教育分科会なども活用しながら活動しました。

小鹿原さん(日系・剣道):私はシニア海外協力隊として、18年に短期派遣で1カ月間エクアドルへ、翌年、長期派遣でアルゼンチンの日系社会へ派遣されました。

   エクアドルでは稽古前に全員が床の雑巾がけをするなど、取り組む姿勢の素晴らしさに感激しました。日本では忘れ去られつつある「初心忘るべからず」を感じる日々でした。アルゼンチンの日亜学院剣道部には子どもや初心者、熟練者まで技能レベルの違う生徒が50人ほど所属していました。剣道イベントでのパフォーマンスやアニメの影響などで剣道を知って習い始めた人が多く、剣道への情熱は素晴らしいものでした。日系国際スポーツ親善大会(CONFRA)の企画運営やアルゼンチン剣道連盟の試合や審査、剣道セミナーにも携わり、計画性を持って配属先だけでなく、国レベルで剣道の普及に努めました。


村上さんが身についた力

編集室
既にお話にも出ていますが、皆さんは新型コロナウイルスの影響を受けられているので、平時以上のご苦労もあったと思います。コロナ禍で大変だったこと、大変だったからこそ身についたと思えることはありますか?

山崎さん(体育):派遣前訓練が終わった途端、待機することになってしまって、学校を辞めてしまっていたのでまずはハローワークを頼り、農家でのアルバイトを始めました。その後、小学校の学習指導員ができることになって、再派遣を待ちました。お金の心配もあり、いつ行けるかと心配でした。

   カンボジアへ派遣されてからも、2週間の隔離と1カ月の現地語学訓練を経て、やっと活動が始められると思った矢先、今度はロックダウンになってしまって。前任の先輩隊員が残してくれた食料や企画調査員(ボランティア事業)が教えてくれたデリバリーサービスを利用しながら、なんとかしのぎました。先輩隊員が同じアパートに住む日本人の方々と連絡を取ってくれていたので、アパート内で助け合ったり、カンボジアの状況を聞くことができたりして、少し安心できました。

   学校もロックダウンで閉鎖になって、先生とコミュニケーションを取りづらい状況が続きましたが、できることをやろうと人がいない運動場やバスケットコートの整備などを細々と進めました。

   日々やることをルーティン化したり、目標を決めて動いたりすることでストレスを感じないように努力しました。ストレスコントロール力がついたと思います。待機期間も含めた空いた時間を、英語やクメール語の勉強に費やしたため語学力が向上し、その後コミュニケーションが取りやすくなったのもよかったと思います。

園尾さん(小学校教育):私は派遣国や職種が変わり続けました。2020年1次隊としてキルギス(青少年活動)へ英語教育で派遣予定でしたが、コロナ禍で派遣延期となり、20年度は元の学校に戻って勤務しました。その間、東ティモール(青少年活動)へ図工指導で任国変更があったのですが派遣不可能となり、21年3月にマレーシア(青少年活動)へ学童運営で任国変更となったので、訓練所ではマレー語を学びました。しかし訓練終了直前にマレーシアの派遣ができなくなり、1カ月ほどの待機期間中にパラオ(小学校教育)に任国変更となって10月にやっと派遣となりました。

編集室:それは驚くほどの変わりようですね。ストレスコントロール力がついたのではないでしょうか。

園尾さん(小学校教育):コロナ禍だったので仕方がなかったと思っています。

   高校3年生を送り出したタイミングで、現職教員特別参加制度を利用して協力隊に参加予定だったので、待機期間中は元の学校に復職できて助かりました。ただ1年延期して本当に行けるかが一番心配でした。

深澤さん(看護師):私も派遣前訓練中にコロナ禍に入り、待機になると聞いて落胆しました。ただ待機期間中は病院で働けることになったので、ただ悶々と待つ、という時間がなかったのはありがたかったです。

   ケニアへ行った直後もロックダウンとなり首都にとどまったり、コロナワクチン接種のために1カ月間以上帰国することになったり、予期せぬ事態が立て続けに起きたりしましたが、おかげでへこたれない力が身につきました。

   コロナ禍でもどかしかったのは、派遣先の職員や地域の方から食事に誘われても断らなければいけなかったことです。「せっかく活動ができるようになったのに、ここでコロナにかかったらまた活動ができなくなってしまう」といった危機感があったからです。

編集室:深澤さんは住まいも自分で探さなくてはならず、コロナ禍のさまざまな影響を受けられていて大変でしたね。「ストレスコントロール力」や「リスクマネジメント能力」もついたのではないでしょうか。ところで、小鹿原さんは一斉帰国中も精力的に活動され、週に1回程度、オンラインで指導を行われていたのですよね。

小鹿原さん(剣道):そうです。私の場合、一斉帰国後の再派遣までに2年近くかかりました。定年退職後、第二の人生のライフワークにしようと意欲を持って指導に当たっていたので、帰国は残念でなりませんでしたが、不完全燃焼の状況を抜け出そうと始めたのが、オンラインでの遠隔稽古です。

   最初の頃は週2回、座学を取り入れて著名な剣士の話をしたり、カメラの前で素振りの練習をしたりしました。

   多い時にはアルゼンチンの生徒だけでなく、南米各地から100人以上が参加した回もありました。スペイン語は苦手ですが、配属先の日系剣士がサポートしてくれたので助かりました。諦めずにやってみようの精神で「主体性」や「実行力」が身についたと思います。

村上さん(コミュニティ開発):私の場合は、派遣中に一斉帰国の連絡が来たんですが、当初は危機感ゼロで。3月に日本に帰っても、5月くらいにすぐ戻れるならいいかな、なんて軽く考えていたんです。でも、実際は夏になっても派遣の見通しが立たず、いったん就職活動をして広告代理店に就職することになりました。

   その後再派遣が決まってからも、任地に戻った時、「勝手に帰った日本人」とそっぽ向かれたらどうしようと不安でした。でも、とあるお母さんが、私の顔を見た途端に大喜びしてくれたんです。コロナ禍前は2カ月くらいしかいられなかったものの、私の代は訓練所でマダガスカル語を学ぶことができたので、現地の人とも早い段階から密なコミュニケーション(外国語でのコミュニケーション能力)を取ることができたのだと思います。家庭調査による課題発見力もつきました。

神崎さん(学校保健):私の場合は新型コロナウイルスが原因ではありませんが、スーダンでの活動が軌道に乗り、現地の人との交流も深まってきた頃に情勢不安で任国変更になりました。

   エジプトに派遣されてやっと活動ができてきたと思ったらすぐ、コロナ禍で一斉帰国。先が見えなくなり、あらゆることをネガティブに捉えていた時期もあります。でも待機期間中に「美容院や歯医者にも行くことができたので、ゆったり過ごす時間ができてよかったかもしれない」と気持ちを切り替えるようにしました。ストレスコントロール力はついたと思います。

   オンラインでエジプト隊員の分科会が活用できたのも心強かったです。幼児教育や障害児・者支援、青少年活動の隊員と協力して、食育の紙芝居、野菜や果物のパズル、塗り絵、手洗い動画などを作って遠隔でも使える資料を準備しました。

   急な変化をポジティブに捉え柔軟に動いたり、困難な状況でも諦めずに周囲の人に頼りながら物事を進めていく力、「へこたれない力」「現場力」「働きかける力」などが培われたと思います。


園尾さんが身についた力

編集室
任地で活動を円滑に進めるために、工夫したことや身についた力があれば教えてください。

村上さん(コミュニティ開発):任期終盤に、日本マダガスカル協会の助成を頂き、ミシンや料理の道具をそろえ、裁縫と料理のグループをつくって商品の製作・販売を実践し、収入向上につなげました。

   大学のゼミで、地域開発を進める上で大切なことをたくさん学びましたが、マダガスカルではそれらを思い出しながら、まず住民の方に信頼してもらい、現地のニーズに合った活動をするために、具体的な目標を立てました。そして、この目標を達成するための計画作りにも力を入れました。そうした意味では計画力が身についたといえるかもしれません。

   地域のリーダーは忙しくて主体的に動いてくれない人もいましたが、ワークショップに関心を持ってくれる人は少なからずいて、手応えを感じました。試行錯誤の連続でしたが、関心を寄せてくれるキーパーソンを見つけて継続的に働きかけ主体性を引き出す重要性も身をもって学びました。

園尾さん(小学校教育):私は派遣期間が短くなり焦りもあったので、主体性を持って動くことを決め、派遣後すぐに全校生徒を対象にした運動会を開催しました。綱引きや玉入れ、リレー、障害物競走など6、7種類の競技を取り入れました。

   意識したのは、一人でやろうとせず、発信力を持って村の人々や同僚に説明し、働きかけながら一緒に物事を進めていくことです。例えば、玉入れのカゴがなかったので近所の人に相談したところ、ココナッツの葉を編んでカゴを作ってくれました。障害物競争のハードルは、同僚の教員のつながりで現地の陸上協会に相談すると、協会のハードルを貸してくれました。

   日本に比べてモノがない中で、何をどう準備するか、現地の人の知恵やネットワークに助けられました。他にも体育隊員らと協力してサッカーのミニゲームを実施したり、現地で知り合った日本人と一緒に日本文化紹介のイベントを企画したり、頼れる人を巻き込んで活動の幅を広げていきました。働きかける力現場力実行力がついたと思います。

   また、パラオの人に「これをやろう」と呼びかけると、その場では「ぜひやろう!」と答えてくれるのですが、すぐに忘れられがちでした。現地の人と物事を進めていくには、一度伝えるだけでは不十分だと理解し、「何度も説明・相談して状況を確認する」というプロセスも大切にしていました。

深澤さん(看護師):粘り強く伝えていくのは大変ですけど大切ですよね。

   私は5Sを通じて院内の業務改善を目指していましたが、院内のスタッフは5Sの知識を知っていても実践が進まない、という課題がありました。

   そこで「5Sをやればコロナ感染を防ぐことができる上、業務時間の短縮につながる」とメリットを明確に伝えながら、実践を促しました。これは課題発見力になるのかもしれません。

   JICAからの資金協力を期待する職員もいたのですが、早い段階で「お金はない」ときっぱり伝え、折り紙で箱を作って整理整頓を促したり、壊れた扉を自力で直したり、できることはなんでも、主体的な姿勢でやりました。

   ケニアで利用者が多いメッセージアプリを使ったQITでは、スタッフ一人ひとりが院内の状況を把握して改善事例を発信し合う機会をつくり、それらを見た上層部の意識も少しずつ変わっていった実感があります。また、院内には顕微鏡や麻酔台など、外国から支援された後、壊れて使えなくなった資機材がいくつも放置されていました。中には直せば使えるものもあり、私は周囲のスタッフに粘り強く働きかけながら、歯科治療台の排水ポンプを修理しました。

〔座談会・Part2〕に続く

Text=新海美保 写真提供=ご協力いただいた各位

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