派遣国の横顔   ~知っていますか?
派遣地域の歴史とこれから[モンゴル]

大相撲力士の出身地として、また、壮大な草原やゴビ砂漠など豊かな自然で知られるモンゴル。
協力隊派遣国では最も北にあり、派遣は30年を超えている。
モンゴル

モンゴル国

  • 面積:156万4,100平方キロメートル(日本の約4倍)
  • 人口:約345万人(2022年、モンゴル国家統計局)
  • 首都:ウランバートル
  • 民族:モンゴル人(全体の95%)およびカザフ人など
  • 言語:モンゴル語(国家公用語)、カザフ語
  • 宗教:チベット仏教など(社会主義時代は衰退していたが1990年前半の民主化以降に復活。1992年2月の新憲法は信教の自由を保障)

※2023年8月15日現在
出典:外務省ホームページ

    
  • 派遣実績
  • 派遣取極締結日:1991年3月26日
  • 派遣取極締結地:東京
  • 派遣開始:1992年4月
  • 派遣隊員累計:748人

※2023年8月31日現在
出典:国際協力機構(JICA)

民主化・市場経済化から30余年
日本語学習者の多い親日国

モンゴルへの協力隊派遣は、民主化・市場経済化直後の1992年に始まった。
モンゴルでの隊員活動のこれまでとこれからとは。モンゴル留学経験もあるJICAモンゴル事務所次長の吉村徳二さんに話を聞いた。

お話を伺ったのは

吉村徳二さん
吉村徳二さん

PROFILE
JICAモンゴル事務所次長。大学時代にモンゴル語を専攻し、1998年から約2年間モンゴルに留学。2001年にJICA入団後、JICA東京を経て、ロシア語を学ぶためサンクトペテルブルグに留学する。JICAキルギス共和国事務所、産業開発・公共政策部、JICA関西、管理部などを経て、19年4月から現職。


   モンゴルはロシアと中国の二つの大国に隣接する内陸国である。1924年に世界で2番目の社会主義国となって以来、親ソ連政策を取ってきた。しかし、ペレストロイカの影響を受けて政治や経済の改革が進み、90年に民主化・市場経済化へかじを切った。

「モンゴルは大の親日国です。民主化直後の経済・社会的混乱期に、日本が世界銀行と共に支援国会合の開催を呼びかけるなど、国際社会で最初に手を差し伸べてくれたことをモンゴルの人々はよく覚えています。以来、日本は二国間援助で最大の支援国の一つです。人口当たりの日本語学習者数は世界で最も多く、日本での留学や就労から帰国したモンゴル人もいて、日本語を話せる人が多いのです」と吉村徳二JICAモンゴル事務所次長は話す。

近年著しい発展を続けるウランバートルの中心部。革命の英雄、ダムディン・スフバートルにちなんだスフバートル広場や政府宮殿がある(中川絵梨子さん提供)

近年著しい発展を続けるウランバートルの中心部。革命の英雄、ダムディン・スフバートルにちなんだスフバートル広場や政府宮殿がある(中川絵梨子さん提供)

   支援は日本からの一方的なものではない。日本が阪神・淡路大震災や新潟県中越地震、東日本大震災に見舞われた時は、モンゴルから毛布や手袋、カシミアセーターなどの物資や義援金が届けられた。96年から17名のシニア海外ボランティア(当時)が貢献したウランバートルの第4火力発電所では、東日本大震災に際して、全従業員が自らの給与1日分を義援金として寄付したエピソードもある。

   協力隊の初派遣は、憲法が発布された92年。2名の日本語教師隊員から始まった。教育分野の隊員が多いことが特色で、経済や社会の改革と共に中間技術者の人材育成が急務となり、建築、電気機器、婦人子供服など技術者養成機関への派遣や、就学前・初・中・高等教育、体育、スポーツ、日本語の職種が多い。また、看護やリハビリテーションなどの保健医療分野でも、医療従事者の知識と技術の拡充に貢献。これまで累計700人以上が派遣されている。

   日本の約4倍の国土に340万人ほどの国民が暮らすモンゴルだが、その半分近くが首都ウランバートルに集中している。首都との格差緩和のための地方の開発や人材育成が課題で、コロナ前、隊員派遣は地方が大半を占めていた。現在、派遣は首都から再開しているが、今後は地方への派遣を増やす方向でもある。

「教育、保健医療、障害者支援に加えて、中小企業や観光産業の振興といった民間セクター分野、都市の廃棄物問題に対応する環境教育などで隊員に活躍してほしいと考えています」

   学生時代のモンゴル留学から約20年ぶりに赴任した吉村さん。のどかだった首都の変貌ぶりに驚いたという。

「交通渋滞や大気汚染、貧富の差の拡大などの都市問題が深刻ですが、モンゴル人の人懐っこさや裏表なく話すところ、人を助ける優しさ、家族愛と祖国愛の強さは変わりません。隊員の皆さんにはモンゴルを第二の故郷と呼べるぐらい好きになってほしい。活動が楽しくなるし、きっとその後の人生も豊かになりますよね」

Text=工藤美和 写真提供=吉村徳二さん

知られざるストーリー