先輩隊員のシューカツ記

帰国後、内定までの就職活動の方法を聞きました。

【今月の先輩の就職先】宇宿保育所、用安保育所

濱口悠介さん
濱口悠介さん
ヨルダン/障害児・者支援/2018年度2次隊・神奈川県出身

就職先:宇宿保育所、用安保育所



濱口悠介さんの略歴

  • ▶1981年          神奈川県生まれ
  • ▶2006年3月     大学卒業
  • ▶2006年4月     システムエンジニアとして一般企業に就職
  • ▶2010年3月     退職
  • ▶2015年4月     発達障害児支援施設に就職
  • ▶2018年9月     障害児・者支援隊員としてヨルダンに赴任
  • ▶2020年3月     コロナ禍で一斉帰国
  • ▶2022年4月     奄美市笠利の保育所に非常勤保育士として勤務

やりたいことを実現するため
選んだのは「非常勤」という働き方

   大学卒業後、システムエンジニアとして企業で4年間勤務した濱口悠介さん。一度退職し、しばらくは国内外を旅していたが、東日本大震災でボランティアとして子どもたちと触れ合ったことをきっかけに幼児教育に関心を持ち、発達障害児の支援施設に就職。在職中に保育士資格も取得した。一方、元々海外に興味があり、現地の様子を自分の目で見たいと思っていたことから協力隊に応募した。

   派遣されたヨルダン南端の都市アカバでの活動は、特別支援学校の4~12歳児を対象としたクラスで絵画や音楽などのレクリエーション活動を提供するというもの。児童に頭ごなしに接する教師が少なくない中、柔軟な指導の実践を心がけた。

   さらに、現地で遊牧民族の暮らしに触れ、わずかな食べ物や水を探して生きるすべを持つ人たちの姿に驚きを覚えた。コロナ禍での一斉帰国後はボランティアをしながら国内を転々とし、北海道で有機農家にホームステイをしながら農作業を手伝ったりした。

「そこでは自給自足の生活をしていたのですが、〝食〟という生きることに直結する仕事の素晴らしさを感じ、自分もそんな暮らしをしたいと考えるようになりました」

   そうして各地を周遊するうちにプライベートな心境の変化があって定住を考えた時、ちょうど滞在していたのが奄美大島だった。濱口さんの好きなクジラが回遊してくる環境も気に入り、保育士として働き始めた。非常勤という働き方を選んだのは、やりたいことを実践する時間を確保したいというのが理由だ。それは、奄美に購入した土地で自給自足の生活をすること。これからじっくりと時間をかけ、家を建て、果樹を植え、野菜を育て、基盤を整えていくつもりだ。長い休みの時には、海外の児童養護施設などでボランティア活動も行っている。

「奄美を拠点にしつつ、木を育てたりして得た知見を生かしてヨルダンの砂漠の町に植物園を造るなど、今後も海外に関わっていくのが夢です」



1.協力隊時代   2018年9月~2020年9月

絵本の読み聞かせをする濱口さん

絵本の読み聞かせをする濱口さん

休日に訪れた児童養護施設では、ボランティアで日本語や図画を教えた

休日に訪れた児童養護施設では、ボランティアで日本語や図画を教えた

配属先の障害児・者施設は、特別支援教育、理学療法、職業訓練の3部門に分かれており、要請内容は特別支援教育担当の教師に対し、指導の知識・技術を共有することでした。私は年齢別のクラスで音楽、絵画、絵本の読み聞かせなどのアクティビティを実施し、民族衣装を着用している女性教師には指導しづらい体育も担当しました。配属先とは別に、休日などに児童養護施設を訪ねてボランティアを行ったことも。2020年3月の一斉帰国後は、地元の横須賀で引きこもり児童を支援する団体でのボランティアを行い、オンライン座談会でヨルダンでの経験を話したりもしました。

2.国内でボランティア活動   2020年9月~2022年1月

地元でのボランティアの後は、北海道や沖縄などを転々と旅行して過ごしていました。時には自転車で旅をしたり、農家で自給自足の生活も体験したりしました。22年初め頃からは鹿児島県の奄美大島でサバイバル生活をしていたのですが、そろそろ落ち着いて暮らしたいと考えるようになり、元々クジラが好きで、冬にザトウクジラが回遊してくる奄美の環境が気に入ったこともあって、ここで定住することを決めました。

3.就職活動   2022年3月

奄美では土地を購入して自給自足に近い生活をしたいと考えていて、時間の融通が利く非常勤の仕事がいいと思いました。幸いなことに保育士資格を持っていたので、働き口はあるのではないかと考え、「奄美」「保育士」「非常勤」などのキーワードで求人情報をネット検索すると、正職員を条件にしなかったためか、求人は思っていたよりもありました。そこで見つけたのが、奄美市笠利地区の非常勤保育士の求人でした。

4.書類提出・面接

市役所の笠利総合支所に相談し、所定の申込書類に記入して提出。書類の内容は一般的な履歴書のようなものでしたが、まだ定住地を決めていなかったので「住所がないと応募を受け付けられない」と言われてハッとしました。その後、役所の職員との面接があったのですが、志望理由としては、子どもと接することや奄美の環境が好きなことを話しました。
役所からの採用の知らせはすぐにあったのですが、現場の保育所からはなかなか連絡が来ず、役所に何回か問い合わせたことを覚えています。縁もゆかりもない土地から来た男性ということで不安もあったのかもしれません。

5.採用決定   2022年4月

現在の仕事

現在は市営住宅に住みつつ、できるだけ水やエネルギーを自給して暮らしている

現在は市営住宅に住みつつ、できるだけ水やエネルギーを自給して暮らしている

職場の一つである用安保育所はへき地保育所(※)で、公民館の建物を使用している。庭のキリンの像は濱口さんが塗装した

職場の一つである用安保育所はへき地保育所(※)で、公民館の建物を使用している。庭のキリンの像は濱口さんが塗装した

勤務しているのは奄美大島東部にある宇宿保育所と用安保育所の2カ所で、児童の数も少なくてのどかな雰囲気です。月によって働く日数が変わって収入も増減するのですが、飲み水は山で湧き水をくみ、電気はソーラーで賄っており、光熱水費はわずかなので十分やっていけます。保育所では体力を生かして海遊びや園庭での駆けっこなど、子どもと一緒に思いっきり楽しんでいます。まとめて休みが取れた時には海外を旅行し、福祉施設でのボランティアもしています。

※へき地保育所…認可保育所の設置が著しく困難な地域で、都道府県知事などが一定の基準に適合すると認めて指定した認可外保育施設のこと。


後輩へメッセージ

帰国後、就職関連のセミナーや説明会などの案内に多く接する中で、情報に惑わされてしまう面も大きいでしょう。私自身、パレスチナの駐在員の募集を見かけて心を引かれたものの、よく考えると仕事の内容そのものに必ずしも引かれていないと気づき、応募をやめた経験があります。大切なのは自分が何をやりたいのか、どう生きたいのかを意識することだと思います。
また、元々縁のない奄美へ移住した私の場合、保育士資格が信用につながった印象がありました。何か肩書があると、間違いなく強みになるはずです。

Text=油科真弓 写真提供=濱口悠介さん

知られざるストーリー