派遣国の横顔   ~知っていますか?
派遣地域の歴史とこれから[コロンビア]

途切れなかった業務改善・生活向上への道

1985年の派遣開始以降、情勢が緊張する中でも隊員活動は途切れず続いてきた。

金子 浩さん
金子 浩さん
水産物加工/1986年度2次隊、日系/漁業/1990年度0次隊・神奈川県出身

PROFILE
実家は青果店だったが、中学時代から釣りに興味を持ち、大学で水産を学ぶ。卒業後、横浜市中央卸売市場での冷凍魚の販売を経て、協力隊へ。任期を延長して3年間、活動した。コロンビア移住を考え、1991年にJICAの海外開発青年事業に参加し、漁業用船舶の販売に従事。その後もコロンビアで仕事を続け、現地で刺し身や寿司などの魚の食べ方やさばき方の普及にも取り組む。

中田伊知子さん
中田伊知子さん
青少年活動/2010年度4次隊・徳島県出身

PROFILE
高校時代にカンボジアを訪れ、地雷のために足を失った人が義足でリハビリに取り組む姿を見たことをきっかけに理学療法士になった。海外支援への関心はあったが、理学療法士としての経験はまだ浅いと考えていたため、青少年活動の職種に応募。帰国後は、東日本大震災の被災市町村応援職員として宮城県石巻市で勤務し、仮設住宅での支援などに当たった。

松友正志さん
松友正志さん
SV/品質管理・生産性向上/2015年度2次隊、SV/ラオス/品質管理/2012年度2次隊、SV/ペルー/品質管理・生産性向上/2019年度2次隊、SV/ウルグアイ/品質管理・生産性向上/2022年度7次隊・東京都出身

PROFILE
メーカーなどに勤務して工程設計や新製品開発、品質管理を経験。ベトナムやフィリピンなどへの赴任時代、移動中の車が交差点で止まるたびに駆け寄ってくる貧困層の子どもたちの姿に胸を痛めた。定年後、そうした子どもたちの家族を支えたいと協力隊に参加。最初の派遣ではラオスでSVとして活動した。続いてコロンビアで活動し、現在はウルグアイで活動中。

平山 将さん
平山 将さん
マーケティング/2022年度7次隊・新潟県出身

PROFILE
国際協力の仕事に興味があったが、新卒では難しいと考えて不動産開発デベロッパーに就職。その時の経験を生かしてマーケティングの職種を選んだ。また、大学時代にスペインに留学したことから、スペイン語圏への派遣を希望した。私生活では、配属先職員のサッカーチームでプレーしたり、同期隊員の配属先メンバーとフットサルを楽しんだりとスポーツに精を出している。

魚の冷凍技術の定着へ
作業員と一体で活動・生活

金子さんが活動した時代のコロンビアの様子(クロスロード1987年1月号より)

金子さんが活動した時代のコロンビアの様子(クロスロード1987年1月号より)

   今よりも治安情勢に緊張感のあった1987年、水産物加工隊員として派遣されたのが、日本の市場の水産部門での経験があった金子 浩さんだ。

   金子さんが派遣されたのは、カリブ海に面した、当時人口3万人ほどの漁村、トルー。村ではJICAが70年代後半から漁業支援を進めていて、その一環としてコロンビア政府との合弁で設立された水産加工会社のペストルー社があり、魚やエビの加工・冷凍を行っていた。ペストルー社での技術指導が金子さんの役割だった。

   同社にはJICAから漁船が供与されていて、漁師たちが船に乗り込み、エビやタイ、クエ、カンパチなどの白身魚を捕っていた。そして、同じく供与されていた急速冷凍の設備や製氷機を用い、水揚げ後の魚介類を加工・冷凍した後、別の大きな水産加工会社に卸していた。

   しかし、作業員たちは魚の加工や冷凍に不慣れだった。さばいたり、内臓を取り除いたりという工程を待つ魚が無造作に置かれていることや、少量の魚を加工するたび頻繁に冷凍庫を開けて中に入れるので庫内の温度が下がり切らないことなど、改善すべき点は山積み。魚を放置せずすぐに氷で冷やしたり、まとめて加工してから冷凍庫に入れて翌日まで開けないことで鮮度を落とさず急速冷凍したりと、基本的な事柄から指導した。新しいやり方を身につけてもらうため、金子さんは一緒に作業しながら、「がんがん、怒鳴った」と苦笑する。

   他方、一方的な押しつけではなく、現地の人の話も取り入れながら活動すべきと感じるきっかけもあった。

   着任2週間後、現地の人が魚のシチュー、サンコーチョ・デ・ペスカードを食べさせてくれた。揚げた魚や野菜を、ココナッツミルクなどが入ったスープで煮込んだ料理。とてもおいしかった。金子さんは食べながら、「教えなきゃ、教えなきゃと考えてやってきたが、俺は何しにここへ来たんだ。ここにあるものに学ぶこともある」と思ったという。

   以降、現地の人と積極的につき合い、一緒に酒を飲み、誘われるままに踊った。工場の作業員はもちろん、漁師や船長が港に帰ってくるたび、一緒に飲んだ。ある時は漁船に乗り込ませてもらって10日ほどの漁に一緒に出たことで、漁師たちの信用も一気に高まった。人間関係ができると仕事もうまく回るようになり、1年がたつころには冷凍した魚の鮮度が目に見えて改善し、取引先からも「質が良くなった」と言われるようになった。

派遣後も約40年、コロンビアで水産・漁業関連の仕事を続ける金子さん。
魚の加工処理や調理技術についての講習・講演も多い

派遣後も約40年、コロンビアで水産・漁業関連の仕事を続ける金子さん。魚の加工処理や調理技術についての講習・講演も多い

   金子さんが日々の活動の中での悩みや不安を口にすると、作業員たちは自分のことのように考えてくれた。若かった金子さんが、年上でキャリアも豊富な日本人専門家との接し方に悩んでいると、仲を取り持ってくれた。「コロンビア人、いいなぁ、と。俺、日本に生まれたのが間違いだったんじゃないかと思った」と振り返る。

   活動を1年間延長した金子さんが帰任する時には、「あんたのおかげで加工技術が上がったよ」と多くの人から声をかけられた。「すぐに帰ってくるよ」と伝えると歓声が上がった。

   有言実行でコロンビアへ戻り、水産分野の仕事に就いて約40年。隊員時代、コロンビアに刺し身や赤身魚を食べる習慣はなかったが、近年は魚食の普及が進み、コロンビア人が1年間に食べる魚の量は当時と比べて5倍以上に。寿司やマグロを食べることも定着してきている。

「この国で魚を捕る技術や加工方法、マーケティングを伝えたのは代々の隊員だと言っても過言ではないでしょう」と金子さんは誇らしげに語った。

障害者の社会参加へ
再生紙製作の作業を改善

   コロンビアの社会では貧富の格差が大きく、障害者の社会参加の道も広くはなかった。そうした中、中田伊知子さんは2011年から2年間、障害児・者の社会参加を進める施設で再生紙を作る作業を支援した。

   中田さんの任地はコロンビア第3の都市、カリ市。障害者への総合リハビリテーションを提供するNGO、イデアル財団に配属された。財団は医療・療育面の支援のほか、若者層(14歳~30歳)の教育や就労支援にも注力していて、中田さんが主に活動した就労支援部門では、障害者の作業療法の一環として、再生紙作りに取り組んでいた。

   再生紙作りには、主に医療部門で使われた古紙を使う。その紙を水に漬けた後、ミキサーで細かく砕き、紙の繊維が混じった水を紙すき枠ですくい、乾燥させる。

   派遣前に紙すきの技術補完研修(現在は課題別派遣前訓練)も受けた中田さんは作業を観察し、三つの課題を見つけ、改善に取り組んだ。その一つは、踏み台の導入。紙すきの作業は、約1メートルの高さの台の上で行われていた。体を動かすことは、特に機能障害のある人にとってはリハビリとして効果的だが、身長が低いために作業がやりにくい利用者もいた。

「体に合わせてやるほうがいいと思い、踏み台を置くよう提案しました。理学療法士の経験を生かせた部分ですね」

   改善の二つ目は、すいた後の紙を乾燥させる方法だった。従来は新聞紙に貼りつけたり、紙すき枠上で乾燥させたりしていたが、ベニヤ板に紙を貼るようにしたところ、「きれいな紙ができるようになりました」。

紙すきの作業を見守る中田さん

紙すきの作業を見守る中田さん

   しかし、三つ目の課題の解決は難しかった。それは、再生紙を作るために医療部門から持ち込まれる紙の束の多くにホチキスの針がそのまま残っていること。再生紙の質を下げ、時には針から「さび」が広がっていた。

   中田さんは同僚に「針を取らないとだめだよ。ミキサーも壊れちゃうよ」と改善を呼びかけたが、返ってきた答えは、「外すの面倒くさいよ」。それならば医療部門にあらかじめ針を外すよう頼めばよいのではないかと提案すると、「じゃあ、イチコが頼んでよ」と言われてしまった。同僚たちは調整や連携が苦手で、他にも、事前に担当の職員が来ないとわかっているのに情報が共有されないことなどもあった。

   うまくいかないことも多かった一方、同僚たちの心を捉えた取り組みが、水面に塗料を垂らして紙に写し取ることで、偶然生まれる模様を楽しむ「マーブリング」だった。

   施設では、再生紙でしおりやノート、ポストカードなどを作成し、来訪者に記念品として渡していた。中田さんは、その中にマーブリングの作品を加えることを思いついた。「障害があっても自由にデザインが作れるし、コロンビア人は華やかなものが好きなので、気に入ってもらえると思いました」。

   専用のマーブリング液は現地には売っておらず購入できないので工夫を重ねて製作に臨んだ。試行錯誤の末、小麦粉を溶いた水を沸騰させてでんぷん状にし、油絵の具とテレピン油(※)を混ぜて作った専用の塗料を使用した。模様を写し取った後、小麦粉を洗い流して乾燥させれば完成だ。

   想定どおり、同僚たちの反応は上々だった。「これ、いいね」「どうやってやるの?」と興味を持ち、利用者たちも嬉しそうだった。同僚はやがて、より安価で質のいい材料も独自に工夫して準備できるようになり、自ら指導もできるようになっていった。

※テレピン油…松脂を蒸留した精油で、油絵の具を薄めたりする際に用いられる。

南米のシリコンバレーへ
日本の知見を電子教材化

「南米のシリコンバレー」が、近年のコロンビアの成長を示すキーワードだ。地方都市で生産性や品質管理の向上を図るカイゼンの指導に取り組んだ後、政府のDX推進プロジェクトでもカイゼン手法を広めたのが松友正志さんだ。

   松友さんは最初、コロンビア中部のアンデス山中に位置するマニサレス市の商工会議所に配属された。さっそく現地の企業を訪問して調査すると、課題はすぐに見えてきた。

「日本では会社に入ると、半年から1年間、新入社員教育を受けますよね。これが全くないんです」。そのため、社員には仕事に必要な知識がなく、特に顧客を大切にする意識がなかった。

マニサレスでの活動当時、共同作業のグループワークに取り組むセミナーの参加者

マニサレスでの活動当時、共同作業のグループワークに取り組むセミナーの参加者

   しかも専門的な知識や同様の職務経験を持つ人を採用しているわけではなく、「縁故主義による採用が多く、特にマニサレスは、そうした傾向が非常に強い町でした」。

   松友さんは、カイゼンに関するセミナーや、セミナー参加企業に対する個別指導などを進めた。セミナーで意識したのは二つの点。一つは、世界基準の生産性・品質管理の考え方を紹介した上で、カイゼンを紹介すること。

「カイゼンは日本独自のもの、日本だからできると捉えられてしまうと、受け入れられないと思ったからです」

   松友さんは品質マネジメントに関する国際規格ISO9001などを紹介し、「製品・サービスなどの継続的改善と向上」や「顧客満足の向上」が世界的にも重視されていることを伝えた。

   もう一つ重視したのは、チームワークの大切さを伝えること。業務の何を見直すのか、チームで話し合うのがカイゼンの基本だからだ。グループワークを取り入れ、紙とセロハンテープだけで、できるだけ丈夫で、長時間崩れない建物を作る課題を出した。縁故主義が強いからこそ、知らない人同士でグループをつくり、取り組んでもらった。すると、「事前の想定とは異なり、みんなものすごくヒートアップしました。コロンビア人も、チームプレーが嫌いなのではなく、知らなかっただけなのだと実感しました」。

   1年後、活動の転機があった。全国の企業を結ぶ情報ネットワーク網の整備とデジタル化を図る「Vive Digital」の一環で、「生産性向上や品質管理に関するeラーニングのコンテンツを作りたい」とコロンビアの商工観光省からJICAに協力依頼があったのだ。

マーブリングの作業に取り組む施設利用者

マーブリングの作業に取り組む施設利用者

「貧困層の多い山間部は道路も整備されていないところが多く、教育環境も整っていませんでした。その中で産業を興そうとすると、デジタル化で各地の中小企業をつなぎ、経営管理や部品調達、教育などを行うのが唯一の手段だったと思います」と松友さん。それは成長への道でもあり、和平を定着させる道でもあった。

   コンテンツ制作に打ち込むため、異例だが、配属先が同省に変更された。eラーニングのコンテンツには、日本なら新入社員が入社から2~3年の間に身につける内容を盛り込むことにした。カイゼンを実践している様子を写真やビデオに収めるため、コロンビアに進出している日系企業にも連絡し、協力を得た。実際の状況を想定したテストも盛り込んだ。

   省庁の職員には、アメリカの大学院に留学し、修士号や博士号を持っている人が多かった。経済理論には詳しかったが、現場経験は乏しく、「相談する相手もいない状態で、作業のすべてが大変でした。かつて会社で仕事している時より働きました」と笑う。

   コンテンツは離任直前に完成。配属先からは「公開後すぐに3000人が登録する人気のコンテンツになった」と報告を受けた。

農業・市場の収入増加へ
農家自身の意識改革を重視

   1950年代には、コロンビアの人口の約60%が農村に住んでいた。しかし、農村地域での反政府ゲリラの活動の激化もあり、多くの住民が都市に移動し、2000年代初めには農村人口の割合は20%を切った。治安回復と共に農村地域への回帰の動きも見られる中、マーケティング隊員の平山 将さんは22年8月から、小規模農家の収入向上や市場の改善に取り組んでいる。

   平山さんの配属先は、北東部に位置するコロンビア第5の都市であるブカラマンガで活動するNGOコンプロミソ。NGOの農家支援チームが対象とするのは、県内3都市にある15の集落の計約150世帯の農家だ。集落は都市の周りの山岳地域に分散し、キャッサバやコーヒー、カカオ、オレンジ、トウモロコシなどが栽培されている。

ワークショップでマーケティングについて説明する平山さん

ワークショップでマーケティングについて説明する平山さん

   平山さんはスタッフと共に農家の経済状況などを把握し、農家の人々自身も自らの状況を把握できるよう取り組んできた。最初の大事なステップが帳簿の作成と記録だ。効果を上げるため平山さんは、JICAがアフリカや中南米で展開する「市場志向型農業振興(SHEP)アプローチ」を取り入れた。SHEPには四つの段階があり、その第1段階が各自の生産や販売などの状況の把握。第2段階が、需要の整理で、第3段階でどの作物をいつ、どれくらい作るかを決め、第4段階が作物を作る技術の指導だ。

   コロンビアの農家の多くは元々、自分たちで食べるために農作物を栽培し、残ったものを市場で売っている。そのため、需要に合わせて作物を作ったり、より高い価格で売ったりという発想があまりない。しかし、収入向上への意欲自体は高く、コンプロミソが行うワークショップには、片道2時間近くをかけてやって来る参加者もいる。同僚が実施するワークショップなどにも合わせつつ、これまでに2つの都市の周辺で特に力を入れて活動してきた。

   今後、残り1年を切った任期の中で、平山さんはSHEPの第2段階以降の取り組みと共に、市場の改善を進めたいという。現在の集客などを改善するほか、既存の市場から離れている農家のため、「中間地点」に新たな市場を開設できないかとも考えている。しかし、具体的な取り組みを実施すること以上に、平山さんが実現したいと考えていることがある。

「市場の運営や活用に関しても、どういう課題があって、どう改善していったらいいのか、農家さんたちが自分たちで見つけて提案できるようになってくれればいいと思っています。農業や市場のことを一番知っているのは農家さん自身ですし、私がここで活動できるのは2年間しかないので」

SHEPの第1段階の一環で、農家の人たちの農耕技術やマーケティング意識を把握するためのアンケートに答えてもらっている様子

SHEPの第1段階の一環で、農家の人たちの農耕技術やマーケティング意識を把握するためのアンケートに答えてもらっている様子

   そのために、コンプロミソのスタッフの意識も変える必要がある。「彼らは優秀で、大学で農業知識も学んでいるので、つい自分たちでやりがちなのです。でも、彼らがやってしまっては、農家自身で改善を進めていく持続性が生まれません」と平山さんはいう。

   長く続いた内戦で、ブカラマンガの街でも手や足を失った人と出会うこともある。一方、治安と経済は大きく改善し、尻ポケットにスマートフォンを入れて歩く人も少なくないという。

「将来、農業をやりたくないという子どもも多いですが、農業で収入を上げられるようになれば、農業に可能性を感じられるようになります。子どもたちの中から農業に従事することを選ぶ人が一人でも増えてくれたら」と平山さん。それは内戦で荒れた農村の回復と、格差の縮小にもつながるだろう。

活動の舞台裏

住む場所で決まる社会階層
発展するカリの街(2013年ごろ)。地域により貧富の格差がかなりある(中田伊知子さん提供)

発展するカリの街(2013年ごろ)。地域により貧富の格差がかなりある(中田伊知子さん提供)

   コロンビア独特の社会制度に、住んでいる場所を基準に社会経済階層の区分を決めるEstrato(エストラート)制度がある。

   エストラート1が最も経済力が低いとされる層の住む地域で、同6が最上位だ。

   2011年からカリ市のNGOで活動した中田伊知子さんは、職場の同僚に「どこに住んでいるの?」と聞かれて答えた時の反応が忘れられない。

「尊敬を込めて『すごいね』と驚かれました。職場は『3』の地域で、同僚の多くは近くの同区分のところに住んでいたのですが、私の住まいは、JICAの安全規定により『5』の地域だったから、というのが後になってわかりました」

   エストラート1から3の住民は、電話、電気、水道、ガスなどの公共料金への補助(減額)があり、減額分を5・6の住民が負担。制度は、経済的な格差の是正を目指すものでもある。

   エストラート3の職場では時々停電や断水があったが、同5の中田さん宅ではほとんど起きず、ネット環境も整備されていたという。

活動の舞台裏

渋滞改善へマイカー規制
ブカラマンガ最大の幹線道路での帰宅ラッシュ。多くの車やバイクが道を埋め尽くしている(平山 将さん提供)

ブカラマンガ最大の幹線道路での帰宅ラッシュ。多くの車やバイクが道を埋め尽くしている(平山 将さん提供)

   コロンビアの課題の一つが深刻な交通渋滞。ブカラマンガを拠点に農家の支援に当たる平山 将さんは「朝・夕の道路はかなり混んでいます。バイクの利用者も多く、交通事故もよく目にしますし、排気ガスの影響など、環境面からも問題です」と話す。

   1990年代以降、JICAの提案と協力で、ボゴタに専用レーンを走るBRT(バス高速輸送システム)が導入されたりしているが、電車はメデジンの街にしかなく、車の増加に追いついていない。

   こうした中、マイカーの利用制限も導入されている。偶数のナンバーの車しか使えない日、奇数の車しか使えない日が設定されており、さらに年1回程度はバスやタクシーしか使えない日もある。「最初は気づきませんでしたが、いつもと比べて静かだなと感じました」。

   もっとも、複数の車を持つ富裕層は制限を逃れているともいわれている。渋滞は経済成長の象徴でもあるが、課題解決は難しそうだ。

Text=三澤一孔 写真提供=ご協力いただいた各位

知られざるストーリー