※2023年8月現在
出典:外務省ホームページ
※2024年1月31日現在
出典:国際協力機構(JICA)
正式な国交の樹立前から日本人専門家が指導に入り、多様な職種にわたる協力隊派遣は2023年に35周年を迎えた。
お話を伺ったのは
PROFILE
JICAブータン事務所長。2002年にJICA(国際協力事業団)に入団。以降、JICAボランティア事業、技術教育・職業訓練、経済インフラ、中小企業など海外展開支援、民間セクター開発分野を歴任。ボランティア事業関係では、40周年記念式典に伴う国際ボランティア会議、米国平和部隊との覚書などを担当。22年8月から現職。ブータン事務所は、08~11年のインドネシア事務所以来2回目の海外駐在。
「幸せの国」として知られるブータン。その背景には、1970年代に先代のジグミ・シンゲ国王が提唱した「国民総生産(GNP)よりも国民総幸福量(GNH)が重要」との考え方がある。2022年のGNH指標調査でも、9割の国民がGNHの各項目の半数以上で「充足している」と回答している。
ヒマラヤ山脈の南側に位置するブータンは、北を中国、南をインドという二つの大国に挟まれながら、独立を維持してきた。1990年代末からはシンゲ前国王主導で民主化が進行した。現在もインドとの関係は深い一方、中国や米国、ロシアなどとは国交がない。
皇室との関係をはじめ、日本との関係は親密で、2011年の東日本大震災ではジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク現国王主催の追悼式が営まれ、同年、国賓として来日した国王ご夫妻は福島を訪れ、慰霊と励ましを行った。JICAブータン事務所の山田智之所長は、両国関係の背景には「23年に派遣35周年を迎えたJICA海外協力隊の活動など『協力の歴史』も大きい」と断言する。
首都ティンプーの街並み[写真提供=鈴木育則さん(コンピュータ技術/2019年度3次隊)]
最初のページを開いたのは、故西岡京治氏だ。国交のなかった1964年、国際協力事業団(現JICA)から農業専門家として派遣され、92年に亡くなるまで、農業の近代化や新しい作物の導入、米の品種改良などに力を尽くした。「西岡専門家は、その功績で、最高の爵位である『ダショー』を授与されました。通常、外国人にはあり得ない評価です。苦労されながら、農産物の生産量を大きく伸ばし、自分と日本への信頼を勝ち取りました」。
86年に両国の国交が結ばれ、88年、協力隊の派遣が始まった。「派遣は農業分野から始まり、西岡専門家と一緒に活動した隊員もいます。翌89年には教育、保健、職業訓練の隊員を派遣し、その後、職種は広がりました」。
ブータンでの協力隊の活動の成果の一つが、学校での「体育」教科。ブータンでは体育の授業はなかったが、「隊員の活動をきっかけに、体育の重要性が理解され、正式教科に採用されました。教員たちも体育の授業を受けた経験がないので、歴代の隊員が授業の実践方法を助言してきました」。
ブータンから協力隊への要請について、山田所長は「長い経験年数や資格が求められることが多い。中には専門家といってもいいくらいのレベルのこともあります」と話す。その背景には、協力隊や日本への信頼がある。
加えて、強い愛着もある。ブータンで公式行事に参加する時には、男性は「ゴ」、女性は「キラ」という伝統衣装を着用する義務がある。着任した隊員は、最初のゴまたはキラに仕立てる伝統的な生地を王室から贈られる。
山田所長がブータン国内で県知事などを訪問すると、「サッカーのうまかった○○隊員はどうしていますか」などと隊員の名前がすぐに出てくるという。その関係が35周年の重みでもある。
Text=三澤一孔 写真提供=山田智之さん