帰国後、内定までの就職活動の方法を聞きました。
就職先:アムコン株式会社
事業概要: 汚泥脱水機、各種排水処理装置などの開発製造販売、給排水設備メンテナンス、汚泥・水質・環境の各種分析などの事業を展開。世界15の国と地域に販売代理店を持ち、77カ国にサービスを提供している。
大学時代に1年間、ワーキングホリデーを利用してカナダで生活し、海外で仕事をすることに漠然と憧れていたという横井隆宏さん。大学卒業時に協力隊に応募したが不合格だったため、海外進出を計画している中小企業に就職し、仕事の傍ら夜間の専門学校でプログラミングの勉強をしていた。しかし、たまたま出会った協力隊経験者から、協力隊の職種でPCインストラクターの要請が多いと聞き、再度チャレンジした。
任地はポルトガル語圏のモザンビーク。市長が暗殺されるなど情勢が不安定になることもあったが、不安はあまり感じなかったという。
「モザンビークの人はとてもフレンドリー。顔見知りになると、僕が危険な目に遭わないように、危ない場所や人の情報を教えてくれるのです。人とのつながりが大事だと、この時に強く感じました」
初等教員養成学校での活動は、授業時間の不足などの困難もあったが、PCに関心が高い生徒への補習やPCの修理など、できることをやり遂げた。
任期中にJICAの「PARTNER(※)」を利用して企業を探し、モザンビークに進出して養殖を行う日系企業から内定をもらい、任期終了後は再びモザンビークに渡航する予定でいた。しかし、思いも寄らない災害によって企業の経営が悪化してしまい、内定は取り消しに。
「30歳を過ぎていたので焦りました」と、すぐに就職活動を再開させ、アムコン株式会社への就職を決めた。
同社は排水処理装置などを開発製造するメーカーだが、そこでの仕事のやりがいを横井さんは「装置を売ることで地球環境に寄与できること」と語ってくれた。「いつかはアフリカにも拠点を出し、環境の改善に貢献できたら」と思いは膨らむ。
そして、横井さんには素人落語家という意外な顔もある。
「仕事の他に趣味も持とうと始めましたが、いずれは協力隊の経験を落語にしたいという夢も持っています」
※PARTNER…JICAが運営する国際キャリア総合情報サイト(https://partner.jica.go.jp/)
卒業式で生徒たちと記念写真に納まる横井さん
モザンビーク北部にある初等教員養成学校で、生徒と同僚教員にPCの指導をすることが要請内容でした。授業計画にはオフィスソフトからプログラミングまでの指導とありましたが、カリキュラムではPCの授業は1年次の2カ月間だけ。PCの電源を入れたことがない生徒が半数を占めていたため、目標達成は困難でした。授業のない期間は、PCルームの運営を任されていました。そこにはPCに興味を持つ生徒たちが集まってくるので、授業とは別に分解と組み立てを教える補習などを行っていました。先生方へも、会議の資料のフォーマット作りの指導などを行いました。
任期が終わる少し前からモザンビークのNGOや日系企業に、求人の有無を問い合わせました。その中で、モザンビークに法人を設立する日系の養殖会社から内定をもらうことができました。正式採用は、任期終了後に日本で面接を受けてからだったため、帰国後に連絡を待っていたのですが、その間に、モザンビークを襲ったサイクロンにより養殖場が全滅してしまい、経営が悪化して内定は4月に取り消しになりました。
日本に帰国していたので、就職先を民間企業に絞り、イチから就職活動をスタートさせました。英語とポルトガル語が使えることに加え、前職の製造業(生産管理・品質管理)での経験が自分の強みなので、それらの経験が生かせる会社であること、また、前職の経歴から中小企業での働きやすさに魅力的なイメージがあったため、中小企業に絞り、業種を限定せずに転職サイトで「グローバル」「中小」などの語で検索し、ホームページの会社情報から面白いと感じたところ数社にエントリーしました。
会社のホームページから履歴書と職務経歴書を提出しました。自己PR欄は語学や製造業での品質管理の経験に加え、協力隊については活動を通じて仕事がなくても自ら課題を見つけ行動を起こすなどの問題解決能力を身につけたことなどを書いたと思います。
1回目はオンライン、2回目は対面での面接でした。1回目の面接では、ポルトガル語と英語をどのくらい話せるのか質問されました。2回目の面接では、海外営業では機械、電気、業界についての理解が必要になるが、新しい知識を学べるか、また、すべてを一人で行うことになるが大丈夫か、などを聞かれました。そして、2回目の面接があったその日に採用の連絡がありました。実は1回目の面接では、海外営業を任せるには若すぎるのではないかという声が社内であったのですが、2回目の面接で大丈夫と判断されたそうです。
アメリカ出張の時の写真。後ろに見えるのがアムコン株式会社の製品
現在の所属は海外営業部です。弊社は機械メーカーなので、販売して終わりではなく、その後もメンテナンスや修理などが必要になります。国内ではそれぞれ専門のチームがありますが、海外営業部はそれをすべて一人で担当します。一つの国に滞在するのは2~3カ月。1年の半分は、スーツケースと工具箱を持って海外を移動しています。扱っている製品は安価なものではありませんが、顧客が困っていることに対して修理や買い替えなど最適なソリューションを提案することに、面白さを感じています。入社してすぐにコロナ禍となったため海外に行けず、約3年間、国内の各部署で研修を兼ねて勤務しましたが、その経験も生きています。
英語やポルトガル語を使いたくて海外で仕事をしたいと思っていましたが、最近感じるのは、語学力は武器ではないということ。会話だけならChatGPTなどでできます。人間関係をつくるために必要なのは、語学力よりも人間力。語学がほとんどできずにモザンビークで生活した協力隊の活動は、そのための貴重な経験でした。協力隊の活動では、自分のやっていることが役に立たないのではないかと落ち込むこともあると思いますが、それもチャレンジ。何かアクションを起こす行動力が、その後の進路にもきっと役立つはずです。
Text=油科真弓 写真提供=横井隆宏さん