帰国後、内定までの就職活動の方法を聞きました。
就職先:有限会社 桂樹舎
事業概要: 富山県の伝統的工芸品である手すきの八尾和紙を製造。和紙ステーショナリー、型染め(※1)和紙、型染め和紙加工品なども製造している。
※1 型染め… 和紙や布に模様を彫りぬいた型紙と、防染剤を用いて文様を染め出す、日本の伝統的な染色技法。
大学卒業後に家庭用品の卸売会社に就職し、品質管理のために中国の工場に頻繁に出張していた北川 諒さん。自分が扱っている製品の現地の作り手が何を大切にして生きているのかを知りたい気持ちがあったが、短期出張で言語もできないため、コミュニケーションがままならず、もどかしい思いが残った。そうした生産者が暮らす現地で生活をし、深く知りたいと参加したのが協力隊だった。
協力隊での配属先はJICAの資金援助によって2000年にラオスに設立された造林センター。そこでは地域の手工芸品グループが、JICAの技術協力プロジェクトで日本の短期専門家が伝えた「流しずき(※2)」の技法で手すき紙を作ったり、その紙から紙布を作ったりしていた。12年には香川県から丸亀うちわの生産技術も伝わっていた。そうした製品の売り上げ向上につながる活動が、北川さんへの要請だった。
「元々、伝統工芸に興味はあったのですが、ラオスで継承されている日本の伝統工芸に出会ったことで、興味がより強くなりました」
帰国してしばらくは就職のことは考えず、ラオスに紙すきの技術を伝えた高知県や、丸亀うちわを伝えた香川県など、伝統工芸が盛んな地域を訪れた。そして、東京都にある日本民藝館を訪れたとき、桂樹舎の染め紙と丸亀うちわの骨を使ったうちわに出会い、「それまでの自分の経験がすべてつながったと感じました」。
作り手に興味はあったが、作る側に自分がなることは考えたことがなかったため、悩みもしたという。協力隊の同期や先輩、友人に相談し、背中を押されて桂樹舎に応募をした。
今は、作り手として、ひたすら紙をすく日々。製品として出荷もされているが、「まだまだ」と自己評価は厳しい。「今も、手仕事を生業にしている人たちが何を大切にしているのかを知り、情報発信をしたいという客観的な視点は持っています。自分が作り手となることで、新たに見えてくるものがあるのではないかと期待しています」
※2 流しずき…日本独特の和紙の手すき方法の一つで、簀桁(すけた)で紙料液をすくい上げて縦横に動かし繊維を絡み合わせ、桁を傾けて余分な液を流すすき方。
国立リハビリテーションセンターで行ったうちわ作りのワークショップ
現地の生産者を訪問して情報収集と交流を深める北川さん
元々はラオスの産業商業局で活動をする予定でラオスに入国しましたが、コロナ禍によってロックダウンとなり、要請は白紙になってしまいました。その後、新たな要請内容が決まり、10月に農林省森林局の造林センターに配属されました。同センターは、森林資源の保護や活用に関する研修機関で、カジノキを原料として、手すき紙を作ったり、その紙から紙布を織ったり、うちわを作ったりして、現金収入につなげていました。その売り上げ向上につなげるためのニーズの分析や広報・宣伝活動、販路拡大のための情報分析などが私への要請内容です。私は何もわからないので、生産者のところに行ってひたすら質問するところから始めました。だんだんと生産者が、紙すきや紙布織り、草木染めの方法から、現地の事情まで、いろいろと教えてくれるようになりました。首都向けに手工芸品の情報を発信するため、パンフレットの作成、展示会への参加、ワークショップなどを行いました。
日本民藝館を訪れた際、売店に置いてあったうちわに気づきました。いいなと思って聞いたら、そのうちわの紙は富山の八尾和紙、骨は丸亀うちわだと教えてくれました。自分がラオスでやってきたことが重なっていることに驚き、その八尾和紙を作っている桂樹舎のホームページを見ると、「急募、和紙製造」と書かれていたので、応募することを決めました。
会社に問い合わせてからハローワークで紹介状をもらい、履歴書、志望動機書、職務経歴書を持って、自宅がある千葉から富山へ向かいました。志望動機書では、ラオスでの和紙作りの経験のほか、日本とラオスに共通する工芸品の課題などを挙げ、作り手として自然や文化、伝統などの情報を発信したいと書きました。
会社に行って書類を手渡し、そのまま社長との面接になりました。面接では持参したラオスの工芸品なども見ていただき、途中から工芸品の話で盛り上がり、2時間半くらい話しました。実際に物を見せながら活動や考えを伝えたことで、関心を持たれたのだと思います。1週間後に採用の連絡が来ました。
桂樹舎に隣接する「和紙文庫」では紙をテーマに貴重な民芸品・工芸品を展示している
紙すきに取り組む北川さん
会社には紙すき部門と染め部門があり、約20人の職人と社員が手作業で紙すき、型染めなどを行っています。私は、周りの先輩にアドバイスをもらいながら、毎日ひたすら紙をすいています。紙すきは、それなりにすけるようになるまで5年、一人前になるまで10年といわれていて、今はまだ失敗もたくさんしています。技術が身につくまで時間はかかりますが、今はのびのびと仕事をさせてもらっています。ラオスでも日本でも、製品に価値を見いだしたり、安らぎを得たりする人がいる以上、この業界には長く続いてほしいし、将来は自分の体験から学んだことを多くの人に伝えたいと思っています。
自分の根っこにある興味、無意識に大切にしてきたものが、やはり大切なものなのだと気づかされたのが協力隊の経験でした。価値観が変わったというよりも、自分が大切にしているものが深まったという感覚です。抽象的な言い方になってしまいますが、その部分を大切にすれば、自分が進む方向もおのずと見つけられるのではないかと思います。協力隊の活動では、周りの人に助けられていると思いますが、これから先も助けてくれる人はいるはずなので、飛び込んでみるのもありだと思います。
Text =油科真弓 写真提供=北川 諒さん