熊倉百合子さんが、教育系職種の協力隊OV二人と共に、地元の栃木県佐野市で民間団体「ちょこっと」を立ち上げたのは2023年1月。同団体の活動は、①地域型子ども食堂(月1回)、②子どもの居場所(週2回)、③親子相談(個別に困り事相談に乗る、食材の提供を行うなど)と大きく三つある。
協力隊活動後、JICA栃木デスクとして働いた熊倉さん。並行して子ども支援のNPO団体「子どものとなり佐野」を運営しながら感じたことが、「ちょこっと」の設立につながった。
「NPOでは子どものいる貧困家庭に限定した活動をしていましたが、表に出てこない困り事のある家庭は多く、そういった家庭にも対応できるようにもっと地域で見守っていける、緩やかなつながりをつくりたいと思っていました。特に外国籍の方は、子どもだけでなく、親の介護問題などでも日本人より困り事が多い。ちょこっとでは、私たちの協力隊経験も生かして、外国籍の方の相談や手続きのお手伝いもしています。栃木県内のOVたちのサポートもたくさん受けています」
熊倉さんの理想とする「緩やかなつながり」は、赴任先のインドネシアでは、あちこちにあった。「一番親切にしてくれたのは、言葉も通じない近所のおばあさん。ごはん食べてる?困ったことはない?って一緒にいてくれました。寄り添ってくれる人には、資格も知識もいらないと気づきました。働くお母さんたちは、職場に子どもを連れてきて、その場の大人たちが皆で子どもの面倒を見ていました。人と人がつながり合い、支え合うことは普通にできることで、自然なこと。相互扶助の精神は、よりよく生きるために大切なことと学びました」
もともと熊倉さんの要請内容は、学校をドロップアウトした子どもたちが通うセカンドスクールを巡回しながら、先生たちと共に授業の計画や改善をしていくことだった。赴任直後に通った首都ジャカルタの研修施設には先生がいて子どもも来ていた。しかし任地を巡回すると、施設はなく小学校などの空き部屋を使ったり、村長などの家の庭を借りて授業を行っており、先生がいない地域もあるため、子どもたちの参加もほぼなかったという。
「それでも、私がいればたまに来てくれる子たちもいて、その子たちとアクセサリーを作ったら、なかなかの出来映え。試しに売ってみたところ、結構売れたんです。ドロップアウトした子たちの稼げる道筋が一つできて、それ以降も、服飾のシニア隊員と一緒に、ものづくりの講座を行いました」
当初の目的からは外れたが、熊倉さんの活動に共感してくれるカウンターパートや同僚隊員のおかげで、活動は思いがけない方向に広がっていった。この経験から、「自分がやりたいことを実現したい時は、周りに自分の思いを直接話して、理解してもらうことが大切」と振り返る熊倉さん。「ちょこっと」設立時も、協力者に理解してもらうために言葉を尽くしたという。
「大切にしていることは、支援する人、される人、助ける人、助けられる人と分けず目線を同じくすること。困ったら困ったとお互いに言い合いましょうと。現状、私たちの活動は対外的には困窮家庭に限定していませんが、自分の望む未来を自分で切り開きづらい、困っている子がターゲットなのは、設立当初から変わっていません。そういう子の家庭は親も困っているので、子ども食堂を無料にしたり、食材を宅配しながら話を聞いたりしています」
「ちょこっと」の活動自体、地元の高齢者支援を行うNPO法人「まごの手」から全面的な協力を得ている。
「家賃も光熱費も『まごの手』さんに負担していただいて、私たちはやどかり状態ですが、いただいた寄付をお分けしたり、ボランティアスタッフを融通したりして、少しずつお返ししています。『まごの手』さんは高齢者、私たちは子ども、と支援の対象は異なりますが、地域を良くしていこうという思いは共通しています。そんな二つの団体がコラボしているのは、特徴的かなと思っています」
みんなが誰かのために「ちょこっと」ずつ頑張る。そんな思いを団体名に込めた「ちょこっと」は、地域でもちょこっとずつ、でも確実に広がっていっているようだ。
▶栃木県佐野市の農家の長女として生まれる。
「栃木県佐野市の米農家の4人姉妹の長女に生まれ、両親、祖父母、曽祖父母の4世代が一緒に暮らす大家族で育ちました。両親に怒られても、祖父母が助けてくれるから大丈夫、という安心感の中で、子ども時代を過ごせたのは、幸せなことでした。」
▶大学時代は野外活動団体に夢中。
「地元の高校から東京の大学に進学。大学時代は野外活動団体に所属し、子どもたちと一緒に一から暮らしを作るキャンプを行いました。大学卒業後は、大学院へ。修了後は都内にある中国系の貿易会社に4年ほど勤務し、その後Uターンし、地元の中学校で4年間講師をしました。」
▶2008年6月、青少年活動隊員としてインドネシアへ。
「学校勤務時の同僚の協力隊OVから話を聞き、国際協力に興味を持ち、協力隊に応募しました。任地での配属は県の教育委員会。小・中・高校をドロップアウトした子たちと作ったアクセサリーが予想外に売れて「ものづくりをして販売する」ことが、一つのブームになりました。」
▶帰国後、地元の大学院に進学、JICA栃木デスクとして勤務。
「帰国後は宇都宮大学大学院でノンフォーマル教育を研究しながら、小学校に勤務。研究後は、JICA栃木デスクで働く傍ら、野外活動団体や国際交流の活動をしていました。また2019年に佐野市で子ども支援を目的としたNPO法人を地元の方と立ち上げ、副理事長として団体の活動も始めました。帰国した当初から「子どもの貧困」が社会問題になりつつあったので、子ども支援NPO団体の活動は念願でした」
▶2023年、協力隊OV2人と民間団体「ちょこっと」を立ち上げる。
「NPO団体では支援し切れない人の受け皿として、長沢絵美さん(モザンビーク/理数科教師/2011年度4次隊)、清水美生さん(ホンジュラス/数学教育/2016年度4次隊)と民間団体「ちょこっと」を設立。高齢者支援を行う認定NPO法人「まごの手」さんの協力を得ながら、地域型子ども食堂や子どもの居場所づくり、親子相談を行っています。将来的には、あらゆる世代のための居場所づくりを目指しています。」
Text=池田純子 Edit=ホシカワミナコ 写真提供=熊倉百合子さん